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序章2-3

 司の言う通り、理事長室はすぐの場所にあった。 「親父……じゃなくて、理事長! 隼人です。お客様がお見えになりました」  隼人は学園で父に用がある時は、いつもこんな調子なのだろう。  隼人の声を聞いて、よほど待ち切れなかったのか、勢いよくドアが開かれる。  中から飛び出して来たのは、雰囲気こそ全く違うものの、学生時代は今の隼人の顔に似ていたのだろうなという印象の、初老の男。理事長その人であった。 「……あ、ああ。ご苦労。私は少しこの人と話をしていくが、寄り道せず帰るんだぞ」 「いつまでも子供扱いすんなよなー。って冗談、わかってるって。それじゃ、学園長先生、さよならー」  隼人は父の言うことを少しだけ茶化して、あとは何の疑問も持つことなくそのまま背を向けて去って行った。  なんと聞き分けの良い息子か。父の仕事に理解があり、家族関係も良好であるらしい。  素直であるがゆえに面白みがないとも言えるが、時にその純朴さは強みにもなる。  何にせよ、隼人は監視せねばならない存在だった。  神嶽が明皇学園にやって来ることとなったきっかけ、杉下前学園長殺害の依頼をしてきたのは、この隼人の実の父親なのだ。  依頼者の血縁の者として、何らかの形で利用することも十分にありえた。  理事長は神嶽を招き入れると、即座にドアを閉め鍵もかけた。この状況を誰かに見られることを恐れ焦っているようだった。 「初めまして、西條様。神嶽修介と申します」  神嶽は、そんな理事長とは正反対の涼しい笑顔で片手を差し伸べる。  自身の想像とは大きく異なった若々しい外見をしていた神嶽に、理事長は訝しげな顔をしながらも軽く握手を交わした。  依頼こそしたもののそれは多くのクラブスタッフを介しているため、理事長が神嶽本人と会うのは今日が初めてのことであった。 「杉下様の件、誠に残念でしたね」 「心にもないことを……君は演技が上手いな」 「お褒めにあずかり光栄です」  年下にしか思えない神嶽に嫌味をさらりと受け流され、理事長はますます苦い表情になった。もっとも、神嶽の実年齢など確かめる術はなかったが。  今回の依頼者、西條清彦理事長も地下クラブの会員である。  とはいえ、皆が皆、先日のような宴を愉しんでいる訳ではない。あれは膨大にいる会員の中のごく一部に過ぎないのだから。  会員の種類も様々だ。宴を好み頻繁にクラブへ足を運ぶ者や、会員になったものの表の仕事の都合等で滅多に参加できずに、他の会員からの感想を聞き悔しい思いをしている者もいる。  そして、個人的な理由で実質的・社会的抹殺の依頼をする者も──理事長のような新参者などは主にそんな利用の仕方が多かった。  理事長は神嶽に応接用のソファーへ座るよう促した。理事長が向かいに腰掛けたのを確認して、神嶽が口を開く。 「杉下様は元より心臓を悪くされていたようでしたので、突然死ということで全ての処理を完了しております」 「……そう、か……」  理事長は杉下の葬儀にも参列したのだ。説明されずとも事の詳細はよく知っているのだが、やはりこうして神嶽と面会するまでは心配の方が大きかったようだ。  杉下の死を淡々と伝える神嶽に、理事長は自ら依頼したことでありながらも浮かない顔をしている。 (私はただ、学園の名誉と家族を守りたかっただけだ。全て杉下が悪いのだ。あいつは殺されて当然の人間だ……私は悪くない……ああ、間違ってなんていないとも)  神嶽が心を読めば、理事長から漏れ出たのは幼稚な言い訳だった。今だけなく、依頼をしてからずっと、こうして罪の意識から逃げ続けて来たのだろう。  だがそれも無理はない。今回は募り募った怨みでもって行動してしまったが、理事長は悪心も良心も同程度持つ男だった。実に人間らしいと言えよう。 「つきましてはクラブからお伝えした通り、残任期間のみではありますが、杉下様に代わり私が学園長を務めさせて頂きます」  杉下の残任期間は、七月末までを予定していた。神嶽はあくまで、次の正式な学園長が選出されるまでの穴埋めだ。  しかしその方が理事長もクラブも互いに都合が良い。いくらクラブの力があるとて、あまり長く同じ場所に居座れば、それだけ面倒事が増える可能性もある。  クラブが必要とする奴隷指導に使える時間は限られていたが、神嶽にとっては十分すぎるほどであった。 「……さて、西條様。次は、報酬の件に関してお話ししたいのですが」  報酬、という言葉を聞いた理事長がゴクリと固唾を呑んだ。  慈善事業ではない以上、クラブはもちろんそれなりの対価を支払って貰う代わりに、会員からの様々な依頼を受けている。  それは金が主だが、今回の場合には、金品の類は要求していない。しかし、金と同等に需要があるものだ。 「……学園内の人間をクラブの商品に……とのことだったか。一体、誰を……」 「それは納品次第お教え致します。ただ、ヒントを言うならば……生徒も教員も関係ありません。この学園に通う人間全てが対象になり得ます」 「は、ははは……」  理事長は思わず、ピリピリとした空気にそぐわない渇いた笑いを零した。 「こんなこと……まるで、クラブへの生贄じゃあないか……」  消え入るように呟いた理事長の言葉に、神嶽は薄い笑みを浮かべる。  生贄。今回の目的を簡潔に表した、なんと素晴らしい言葉か。  それに選ばれてしまった者は不運としか言いようがないが、他の者が助かるのならば、必要不可欠な犠牲だ。犠牲がなければこの世は成り立っていないのだから。 「心中お察し致します。ですがどうかご安心を、西條様。既に依頼は完了しているのです。あとは全て私共に任せ、あなたはただ、これまでと変わらず日常を過ごすだけ。簡単でしょう?」 「それは……しかし……う、うぅむ……」 「あなたにご迷惑は掛けさせません。クラブはこの世の誰より優しく、義理堅いのですから……」  神嶽の悪魔のような甘い囁きに恐ろしげなものを感じ、理事長は震え上がった。 「……ご理解頂けたようですね。それでは、理事長。短い間ではありますが、宜しくお願い致します」 「…………」  神嶽は実に優しげな学園長の仮面を被り、押し黙ってしまった理事長に笑いかけた。  それから、明皇学園に新しい学園長がやって来たのは、一ヵ月後の四月のことであった。

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