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序章4-1

 正門前での朝の挨拶運動は、教師と風紀委員が曜日ごとに交代で行う。  前学園長の杉下は生徒との交流に熱心な男で、自ら毎日参加していたらしい。それは学園内の巡回にもおけることで、現に神嶽が自由に学園内を動いていても、何ら不審に思われることはなかった。  それどころか、司は例外として、無能な生徒や教員達には「前学園長のように気さくな人だ」と、まだ赴任して間もないながら神嶽は一定の信頼を得ていた。 「あっ、学園長先生。おはようございまーす!」 「はい、おはようございます」  きゃわきゃわとした数人の女子生徒に挨拶され、神嶽は学園長用の笑みで応対する。  単純に生徒達の様子を見るだけでなく、心置きなくクラブの商品になりうる生贄候補を観察できるという点もあるので、これも決して無駄な時間ではない。  今日は神嶽の他、勝も当番で正門前に立っていた。 「木村先生、学園長先生、おはよーございまーっす!」 「おはようございます」 「おう、おはよー。ああそういやお前、例の彼女とはどうなったよ? 俺が助言してやったんだから、ちょっとは教えろよな」  悪戯っ子のような笑みで、勝は挨拶をしてきた男子生徒の肩を肘でつつく。仲の良い生徒なのだろう。生徒の方も自慢げに携帯を取り出して勝に彼女の写真を見せたりしている。  普段の勝はこのように生徒達と近況を話したり、冗談を言い合ったり、生徒にとって身近で話しやすい教師だと思われているようだった。 「おはようございます」 「おは……って、おい如月! 声が小さい! たかが挨拶されど挨拶だ! これ、社会に出てからも大事なことだからな!」  もっとも、司のように馴れ合いを好まない一部の生徒からは面倒がられていたのだが。  司は勝に不機嫌な視線をやると、呆れたようにため息をついた。「以後気を付けます」と小さく反省の言葉を述べ、勝にこれ以上絡まれないよう、早々と過ぎ去っていく。 「かーっ、相変わらずクールな奴だなぁ。さっすが孤高の生徒会長様」  司の背を見つめて嫌味を言う勝は、司よりも子供じみていた。  次に登校してきた生徒へ挨拶しようと神嶽が顔を向けると、そこには鉄也がいた。まだ眠いのか、小さくあくびをしながら、重いまぶたを指でこすっている。 「おはよう、鬼塚くん」 「あ……ぼ、僕の名前……」 「覚えておくって、言っただろう?」 (あぁ……それって、僕が変だから……学園長先生にもすぐ覚えられて……)  素直な鉄也の心の声がだだ漏れてくる。なんとも自虐的な考えだが、それは神嶽にとって興味深い思考でもあるようだった。  神嶽が善良な学園長の笑みを貼り付けて俯く鉄也を見つめていると、勝も鉄也に気付く。 「おお、鬼塚! おはよう!」 「ひっ…………お、おはよう、ございます」  鉄也はいきなり大きな声を出した勝にびくりと肩を震わせた。 (き、木村先生……こういうところ、すごく男らしくて……やっぱり、苦手だな……)  同時に漏れる勝への嫌悪の声。困った表情の鉄也に神嶽がもう行きなさいと校舎の方に顎をしゃくると、深く頭を下げて駆けていく。 「あーあー……鬼塚もノリ悪いなぁ……。ったく、最近の若者は本当にやる気が感じられないですよ。そんなんで将来大丈夫なんですかね?」 「なに、きっと寝不足で調子が悪いだけですよ。大人にだって朝が苦手な人は多いですからね」 「……まぁ、学園長先生が仰るなら本当にそうなんでしょうけど……。俺はただ、あいつらがちゃんと卒業して、自分の望む道に進めるかが心配なんですよ」  勝は弁解するように頭をかきながら言った。以前ならば生徒らへの愛ゆえに厳しいことも説く、そんな教師にでも見えたところだが、既に勝の腹の黒さは神嶽に把握されている。 (やっべ……今のは失言だったかもな。せっかく新しい学園長の機嫌取りも上手くいってるってのに……)  案の定、勝の心の声は上司からの評価を案じる自己中心的なものだった。 「ええ、木村先生の仰りたいことも、とてもよくわかりますよ。厳しい話ですが、社会に出れば勢いのない者は置いていかれるだけですからね」  神嶽が同調してやると、勝は目を輝かせてうんうんと頷く。手の内がわかってしまえば、扱いは至って単純な男だった。  クラブには自らを棚に上げ、勧善懲悪を好む人間もいる。また、だからこそどれだけ貶めても何の良心の呵責も感じない。そういった者達にこの男はうってつけだった。  目の前の白々しい勝に、神嶽の眼鏡の奥の瞳は笑っていなかった。

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