12 / 249

序章4-3

 部活動が終わる時刻、約束通り、鉄也は学園長室にやって来た。 「やあ、待っていたよ」 「は、はい、お待たせしました……」  嬉々とした神嶽に迎えられ、鉄也は緊張した面持ちで鞄から透明な袋でシンプルに包装されたクッキーを取り出した。  形も、色味も、まぶされたチョコチップの量もちょうど良く、見ただけでも実においしそうなものであった。 「ああ、良ければ君も寄っていってくれないかな。良い紅茶があるんだ、それともコーヒーの方がいいかな」 「い、いえ、そんな……お気遣いなく」 「一人でお茶にするには少し寂しいから、話し相手になってほしいんだよ。みんなには内緒で、ね?」 (……そんな……学園長先生と二人きりだなんて……うぅ……でも……学園長先生は他の人と違って優しい気もするし……)  少し迷って、神嶽の顔を伺う鉄也。柔和な表情を変えることなく待つ神嶽に警戒心も薄らいだようで、「じゃあ、お邪魔します」と呟いて、学園長室に招き入れられた。  鉄也のクッキーと紅茶の甘い香りが混ざり合い、神嶽が黙々と仕事をこなしていた学園長室はすっかりティータイムの場となった。  ソファーに浅く腰掛けた鉄也は、目の前に出された紅茶を遠慮がちにちびちびと啜る。それを見て神嶽もクッキーを一つ手に取り一口頬張った。 「うん、おいしい。上手くできているよ」 「本当ですか……? 良かった……」  手作りクッキーの味を褒められ、鉄也はホッと胸を撫で下ろす。  そうして、神嶽をちらりと見上げ、鉄也はおずおずと声を絞り出した。 「……あの、学園長先生、どうして僕なんですか……? あっ、いえ、お菓子だって女の子が作った方がもっとおいしいと思って、他にも、学園長先生とお話ししたいって言う女の子はたくさんいるし、その……」 「ああ、それね。私は一度、君とこうしてゆっくり話がしてみたかったんだ。もしかして私は、君に嫌われているのではないかと不安になってしまってね」 「そ、そんな。どうしてそう……思うんですか……?」 「私はこの学園では部外者の身だから、そう簡単にみんなに心を許してもらえるとは思っていなかったけれど……中でも君は、私を怖がっているようだったから」 「違うんです……!」  消極的な鉄也がそこだけは誤解されては困るというように声を上げた。  不思議そうに首を傾げた神嶽に、鉄也は一息ついて、ぽつぽつと話し始める。 「……学園長先生にこんなこと言うのは、すごく失礼だってわかってるんですけど……僕、男の人が、苦手なんです……。自分も男なのに……。だから、先生が嫌いだとかっていう訳ではないんです。……す、すみません。やっぱりこんなの変……ですよね。僕、本当に変なところだらけで……」  同性に距離を置く理由を打ち明けた鉄也は今にも泣きそうだった。それは紛れもない事実であり仕方のないことだというのに、自分を責めてばかりいた。  神嶽は鉄也の告白にさもショックを受けたように目を見開かせて、申し訳なさそうに鉄也を見やる。 「そうだったのか……。そうとも知らず、無神経なことをしたね。君がそんな風に悩んでいるとは、考えもしなかったんだ」 「い、いえ。だって、同性が苦手だなんて普通は……おかしいですから」 「……そんなことはないさ。こんなに美味しいお菓子が作れる人は、とても繊細で……優しい心の持ち主に違いないからね」  神嶽はそう言うと、自らの発言に照れたように残りのクッキーを口に運んだ。 (嘘……こ、こんなに純粋な人がいるなんて……それも男の人に……)  本当においしいね、と笑ってみせる神嶽に、鉄也は見とれていた。  学園長という権威ある立場にいる神嶽の素の一面を垣間見れたような気がして、これまでにない大きな衝撃を受けている。  鉄也に見せるもの全てが演技である、いやむしろ、神嶽修介などという人間の存在すら虚構であることを、鉄也は知る術がない。 (ちょっと……偏見だったかな……。そうだよね……悪い人なんてごく一部だもん……如月さんだって優しいし…………学園長先生も、きっと……)  鉄也はあれだけ怖がっていたことが嘘のように、くすりと微笑んだ。  本人も気付かないほどにその違和感はないようで、彼の中の天秤は、もうすっかり神嶽が稀に見る善人であるという方向に傾いていた。  神嶽が鉄也の手料理を気に入ったような演技をしながら、また何か作ったら食べさせてくれないかとお願いすると、鉄也は二つ返事でそれを承知した。  少なくとも、神嶽の前ではもう鉄也に怯えの表情はなかった。

ともだちにシェアしよう!