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序章5-1
「優子くん。ちょっと良いかな。話があるのだけれど」
「えっ? は、はい」
ある日の昼休み、神嶽が友人達と弁当を食べようとしていた隼人の妹、優子を呼び止めると、周りから黄色い声が上がる。妄想好きな友人達に優子は少し困ったように笑った。
司に振られていた時とは違い、優子はおっとりとしていて、やはり兄妹だ、機嫌のいい時の隼人の面影がある顔つきだった。
神嶽は優子と共に屋上にやって来た。
学園の屋上は普通の学校のような簡素な作りでなく手入れの行き届いた庭園となっていて、生徒の休憩場所としてもなかなか人気がある。優子は美しい花々の光景にうっとりとしながら、ベンチに腰を下ろした。
神嶽が優子と話す機会といえば学園内での日々の挨拶程度ではあったが、彼女もまた理事長である父から神嶽が学園にやって来る表向きの訳は聞いているのだろう、隼人と同じく神嶽に懐くのも早かった。
優子は神嶽にいったいどんな話をされるのか検討もつかず、にこやかな表情で神嶽の言葉を待っていた。
「先日、如月くんとお兄さんが君のことで揉めていたよね?」
「ど、どうしてそれを?」
「ちょうどその時私も居合わせていたんだ。ただ、私が止めに入った時には、君はもう行ってしまった後だったからね。何やら泣いていたようだったから、心配になって」
「まぁ、それでわざわざ……? ありがとうございます、学園長先生。でも大丈夫です。私、元気が取り柄ですからっ!」
優子は豊満なバストを揺らしながら、両手でガッツポーズをしてみせる。
「それは本心?」
「うぅ……学園長先生、鋭いです……」
神嶽が笑ってそう言うと、優子は眉を八の字に下げ、しょぼんとしてしまった。読心などしなくともわかるほどの空元気だった。
「実はまだ少し、落ち込んでます。でも、もう諦めはついたんです。私、初等科の頃からずっと司さんをお慕いしてきましたけれど……司さんが振り向いてくださらないことは承知の上でしたから。それに、司さんは……やっぱり、お優しいんです」
言いながら、優子はブレザーのポケットから物の良さそうなレースの白いハンカチを取り出した。
先日、司が鉄也に頼んでいたプレゼントは、きちんと優子の手に渡っていたようだ。
優子は綺麗に畳まれたそれを膝におき、そっと手のひらで撫でた。
「司さんって、ちょっぴり冷たい方に見えるでしょう? でも、不器用なだけなんです。本当は、こんな風に好きでもない人のことまで想ってくださる紳士ですのに」
「不器用? あの真面目な如月くんが?」
「……うふふ、はい。だって、司さんは将来、お家を継ぐ為にって、日々一生懸命努力なさっているんですよ。ですから、その他のことについてはあまり興味はないらしくて……。私にとっては、そこも魅力的だったんですけれど」
優子は司のことになるとずいぶん楽しそうにべらべらと喋る。
振られてしまったとは言え、それほど長く恋い焦がれてきた相手だ、隼人のように悪くは思わずに、むしろ良い思い出として明るく捉えていた。
勝手に語られる司からすればたまったものではないが、神嶽の狙いなど知るよしもないのだから、無理もない。
「そうか。君は如月くんのことをよく見ていたんだね」
「はい! って、いけないっ。これでは、未練な女だと思われてしまいますよぉ。……ふはぁ。どこかに、素敵な殿方はいらっしゃいませんかー」
優子はまるで自らが舞台の主人公にでもなったかのように、さんさんと輝く太陽に向かって投げかけた。
無論返事などありはしないが、満足したようにくすりと笑って、優子は神嶽を見つめる。
そんな調子の良い優子に神嶽が感じることと言えば、見たままの「依頼者の家族」「司の情報をくれる女」くらいなものだろう。
優子と別れて一人になった神嶽は、迷いなく奥の給水塔に歩いていくと、タンクを見上げた。
「……さて、と。隼人くん、もう降りてきて良いんだよ」
「……が、学園長先生」
神嶽が声をかけると、ばれた、と困惑した表情の隼人が、タンクの陰からこそっと顔を出した。
少々行儀は悪いが、隼人は普段こんなところで過ごしている訳ではなかった。いくら理事長の息子という立場であっても、そんな危なげなことをするほど、彼は自由奔放な人間ではない。
今日は、偶然にも二人きりで屋上に上がってくる神嶽と優子の姿が見えたので、慌てて登ってしまっただけだった。
給水塔からゆっくりと降りてきた隼人は、一応の弁解はしたが、それよりもやはり神嶽が優子となにを話していたのかが気になるらしく、いつになく真面目な顔つきで神嶽に詰め寄る。
「学園長先生、さてはオレの妹、口説いてないっすよね? オレ、もし学園長先生が義理の弟になるなんてことがあったら複雑すぎてどういう顔して良いかわかんねーっす。ってかそれ犯罪ですから」
「はは、ずいぶんと話が広がるな。ただ世間話をしていただけだよ」
「……なら良いんですけど。この前あんなことがあったばかりですし、オレ、妹には……優子には、できるだけ悲しい思いはしてほしくないんです」
司の件については、当事者である優子より、むしろ隼人の方が頭を悩ませていた。
理事長は家族に甘い節がある。それは守るべき家庭のある人間としては当たり前だとも言えるが、隼人や優子もそんな環境に育ってきたからか、目立った反抗もなく仲は良かった。
だからこそ、大切な家族を傷付ける者に対しての憤りは人並み以上だった。
(……まあ、学園長はその辺わかってくれそうだからまだしも、やっぱ問題は司だよなぁ。あんのクソ眼鏡、いつだって自分が正論みたいな態度、マジでムカつくんだよ。絶対いつかギャフンと言わせてやるからな)
妹に悲しい思いをさせたくない。そんな優しい──そのためには一方的に他人を憎むこともある──兄の願いが成就するか否か。
それは全て目の前の男にかかっていることとも知らず、隼人は浮かない顔で溜め息をついた。
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