神嶽がしばらく鉄也と談笑しながら弁当を食べ進めていると、また学園長室に来客があった。今度は勝だった。 　勝が入ってくると、鉄也は勝と入れ替わりにそそくさと出て行った。神嶽と二人きりでいるのも緊張するが、それよりそんな場面を誰かに見られることの方が恥ずかしくてたまらなかったようだ。 　勝を迎え入れると、神嶽の視線は勝の手元の書類の入ったクリアファイルに向いた。 「学園長先生、これ、教務主任から預かった書類です。サインお願いしますね」 「はい。ご苦労様です」 （ったくあの頑固オヤジ、俺を雑用係とでも思ってんのか？　このくらい自分でやれっつうの。これだからエリートは嫌なんだ） 　クリアファイルを受け取りながら神嶽が心を読むと、それは上司から雑用を押し付けられたことに対する愚痴だった。温和な見た目によらず、小さなことを気にする男だ。 　勝は神嶽のデスクに広げられた弁当を見て、良いものでも見つけた子供のように目を見開いた。 「おっ、今日は弁当ですか。もしかして、彼女さんとか？」 「まあ、そんなところです」 「うっわ、良いですねぇ。羨ましいです。俺はこれから一人寂しく学食で済ませる予定ですよ……」 　女の影を匂わせるような態度の神嶽に、勝はがっくりと肩を落としてみせた。今現在は交際している女性もいないのだろう。 （んだよその余裕の態度。ああそうだよな、教務主任といい学園長といい、ほんっとにこの学園のエリート教師共は人生何も困ることなんてないからな。どうせ俺のことだって陰で馬鹿にしてんだろ？　白々しいんだよ） 　勝は神嶽と親交を深めるうちに、心では神嶽への悪口を言うようになった。根拠もないというのに、勝手な逆恨みである。 　どうやら勝は少しでも気に入らないことがあると他人の悪口を言わずにはいられない人間のようだ。 　そのくせ、それを悟られないようにすることが上手いため、なかなかしたたかである。 「またまた、一人ということはないでしょう。木村先生は生徒に慕われているようですし、ええと、そう、例えば野球部の菅沼くんとか」 　神嶽が思い出したかのように菅沼の名を上げると、勝は困った顔で笑う。 「まあ、そうなんですけど。あいつは、そういうの好きじゃないみたいなんですよね。無理に誘っても悪いですし」 （はっ、菅沼なんかと一緒に食うなんてせっかくの飯もまずくなる。それにどうせあいつは今頃、便所で食ってるっつうの） 　菅沼のいじめの件もまた、心ではずいぶんよく話してくれるようになったものだ。 　勝の本音を菅沼が知ればそれこそ自殺を考えるかもしれない。例えばこの先菅沼が死を選んだとして、勝はそんな結末を望んでいるのだろうか。 　だが、自身の行動に何の疑問も反省も抱かない勝には、そこまでの想像をすることは難しいだろう。 「ところで、木村先生。先日の特別授業についてなのですが」 「え？　ああ……あの、いじめの？」 （なんで、俺にそんな話……まさか、菅沼の奴、学園長にチクったのか？） 　核心をつかれた話題に、勝は少しだけ声が小さくなった。 「ええ、生徒の感想文を読んでいたら私もいろいろと思うところがありましてね。木村先生はどんな感想を抱いたのか、是非とも聞いてみたくなったのです」 「……感想、ですか。うーん……。やっぱり、大人がしっかりと見てあげていれば、子供達のSOSサインにも必ず気付けるし、救うことができるはず……そう、改めて思いましたね」 「そうですね。それに尽きます。……実は、以前あなたが仰っていたこと通りだなと、感心していたのですよ。あなたのような生徒想いの先生がいる限り、この学園でいじめなど起こることはないでしょうね」 （……な訳、ないよな。あいつを直接いじめてんのは野球部の奴らで俺じゃねえんだし……。つうか学園長、俺のこと信用してるっぽい？　なんだ、やっぱこいつも平和ボケしたお坊っちゃまか。案外ちょろい奴だったな） 　神嶽が演技に乗っかってやっているだけに過ぎないとも知らず、勝は心の中で勝ち誇りほくそ笑む。 　神嶽を格下の人間だと判断し馬鹿にしきった勝は、すっかり油断して愚痴愚痴と心の声をこぼした。勝の言い分は、どこまでも独りよがりだ。 　嘘の上手な二人は互いにその本性を隠しながら、世辞を言い合って笑った。