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木村勝編BAD-1 ※IF、流血

 終業後ほどなくして、勝が学園長室にやって来た。戸棚の前で学園についての資料に目を通していた神嶽は、勝を見ようともしない。  今日も勝を呼び出しているには違いないが、指定は学園長室ではなく、いつもクラブへ行く際に使う車を置いてある駐車場のはずである。 「どうした。お前が向かうべきはここではないだろう」 「……はい。今日も、クラブへ行くんですよね? でも俺……あそこは何度行っても慣れなくて……。だから、少しでも学園長先生と一緒に居て、安心したかったんです」  そう言う勝は、まるで感情をなくしてしまったかのような、淡々とした口調であった。  なのにその表情はへらへらとした笑みさえ浮かべていて、温厚に見える垂れ目はすっかり据わってしまっている。 はどこか吹っ切れたような、今までの勝とは何かが違っていた。  いよいよ精神も朽ち果てた。一見すればそうして異常行動をとっている勝。  神嶽は簡単な約束事すら守れぬ勝を叱ることなく、一つ息を吐いてみせた。 「そうか。まあいい。本当は移動中ゆっくりと言って聞かせる予定だったが、お前がそのつもりなら話は早いに越したことはない」 「え…………?」  様子が違ったのは勝だけでなく、神嶽の方も同じだ。普段通りの冷徹さの中にも、足元から引きずり込まれそうな闇がある。  今の勝にとって強大な存在の彼が、勝の今後をどうしようとしているのか。不穏な予感を察した勝の身体が緊張に強張っていく。  後ずさりをしてしまいそうなところをどうにか踏みとどまっている勝を目だけを動かして見据え、神嶽は言った。 「お前は今宵、クラブに納品される」 「なっ……なん、だよ、それ……ど、どういう……」 「お前の身体はもう十分クラブに相応しいマゾ奴隷に変わった。その時点で俺の目的は達成された。お前は用済みということだ」 「────ッ!」  用済み。平然と吐かれた残酷な言葉に勝は顔を蒼白にさせた。  どんな辱めを受けても、耐え忍んでいればいつかは解放されると信じていた。  だがいつからか、勝にとってこの不条理な凌辱行為すら日常となって、いつまでも続くのではないかと彼の脳髄を支配していた。  神嶽という男の存在だって、彼の中で日に日に大きくなるばかりであった。それなのに、だ。  改めて“日常の終焉”を突き付けられ、勝は一気に現実へと引き戻された。 「俺も後日学園を去る。お前と居るのは、今日が最後だ」 「最……後……?」  ぽつぽつと言葉を紡ぐ勝の顔は、今にも泣きそうだ。いつもの癖で頭を掻いてみるが、混乱し、理解が追い付いていない。  しかしこのまま神嶽の言う通りにすれば、勝は今日、確実に捨てられる。  学園を、神嶽の元を離れ、どこともわからぬ施設で朝から晩までその身を酷使される日々が始まることになる。 「そう……か……最後……へ、へへ……最後、か……」  それは幸か不幸か。勝は震えてしまう手を隠すようにジャージのポケットに利き手を突っ込んだ。 「それなら…………学園長先生に、伝えておきたいことがあります」  勝はそのまま甘えるように神嶽の広い背に身を預けた。  神嶽の身体に触れていると、行為を思い出すらしい。主人に対する犬のように首筋に頬を擦り寄せ、耳元に吹きかける吐息は熱い。 「なんだ」 「……この前……言ってたじゃないですか。俺に……奴隷になれって……。俺、あれからずっと考えてました。考えて、考えて……ようやく…………自分の気持ちがわかったんです」  くすり。勝が小さく乾いた笑みをこぼす。  なのにその奥底にはゾッとするような冷たさを帯びている。  まるで、もう後戻りのできないところまで追い詰められ、何の恐怖も感じていない人間の声。 「俺は…………」  ジャージのポケットに突っ込んでいた勝の手に握られているのは、サバイバルナイフだ。 「俺はぁっ! 奴隷なんかじゃねぇっ! そんなもんになんて、絶対にならねぇっ! うあぁあぁあああああああっ!!」  狂ったように叫びながら、勝はナイフを握り締めた手を大きく振りかぶり、神嶽の首筋に突き立てた。  強く、深く、彼がもう二度と襲って来ぬように、ありったけの憎悪を込めて抉り込む。致命傷であることは明らかであった。 「あんたがいけないんだっ! 俺は何も悪くないっ……! こうなって当然だよなぁっ!? あはっ、あははははは! ざまぁみろ!」  遂に、やった。心身をこれでもかというほど犯し汚した憎々しい男に裁きを下してやった。  静かな学園長室に勝の上擦った高笑いが響き渡る。  さすがの神嶽でも、人間である以上、長くは持つまい。そのままナイフを力任せに引き抜き、噴き出した返り血を浴びながら、心底勝ち誇った顔で勝は凶器片手に学園長室を出て行った。 (俺は教師……悪い子には……お仕置きが必要なんだ……うひひふひあひひひひひひひひひひひひひひひ)  背後でどさりと重たいものが崩れ落ちる音を心地良さそうに聴きながら、勝は勝利を噛み締めた。  それ故に、最も警戒すべき男の息の根が確実に止まったか、見極めもせず。  実に軽やかな足取りで、残る復讐対象に、“罰”を与えに向かった。

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