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木村勝編BAD-3 ※IF、流血、失禁
────悲鳴が止んだ。
部室内には、一刻前まで人間であった肉の塊が散らばっている。
勝は最後の被害者の腹に馬乗りになって、何かに取り憑かれたように滅多刺しにしていた。
大量の返り血を浴び、白いシャツやスニーカーまでを真っ赤に染めながら、狂気の表情を浮かべる勝。
やがてそれも飽きたのか、凶器を振り下ろす手が止まった。
ゆっくりとその生徒から離れると、ベンチに座ってぼうっと窓の外を眺める。
おびただしい量の血液とその錆び付いた臭いが充満する中、月明かりだけが勝を優しく照らしていた。
朝が来れば、勝に呼び出されたと言ったまま帰らない子供を心配した親御から学園に連絡が入り、ここも真っ先に調べられるだろう。事が発覚するのも時間の問題である。
だが、今の勝に自身の未来を考えられる余力は残っていなかった。
ただただ、悪い子をこの手で罰してやった。そのひどく歪んだ満足感でいっぱいだ。
しかし何故だろう、勝の目からは大粒の涙が溢れ出して止まらない。
どうしてこんなことになってしまったのか。どこで間違ってしまったのか。わからない。何もかも、理解するには遅すぎる。
僅かに残った良心すら遂に耐え切れなくなったのだろうか、勝も声を上げてすすり泣いていた。
ひとしきり泣いて、ふっと口元を緩ませた勝が、傍らに置いたナイフを見つめた。
「……こんな人生、最初から間違いだったんだ」
何もかもお終いなら、いっそのこと自分もここで楽になってしまおう。
血に塗れたナイフに手を伸ばそうとした──次の瞬間。
勝の手が到達するよりも早く誰かに手首を掴まれ、奪われた。顔を上げた勝はカッと目を剥いて戦慄した。
(え……な……なん、で……っ。俺……確かに、殺した……刺した感触もあったのにっ……)
そこには、居てはならない人物。勝が殺害したはずの、神嶽修介その人が立っていた。
あのいついかなる時も冷静沈着である神嶽が崩れ落ち、もがき苦しみ、助けを乞いながら、みっともなく一人孤独に死んでいったのだろうと、勝は想像していた。
だが、今の状況は、異常と言う他ない。彼の姿はまるで初めから全て無かったことのように、何一つ変わっていないのだから。
こうして実際にその姿を目で見、体温を肌で感じている以上、怨霊の類ではないだろう。
彼は確かに生きている。しかし、あの傷で生還することはまず、ありえない。
例え運良く誰かがすぐに気付いて病院送りになったにしろ、それでは何故彼は今ここに居られるのだろう。
鍵だって持ち出したはずなのに、どうやってここに入ったのか? なぜ気付かなかったのか? 疑問ばかりが勝の頭を駆け巡る。
おずおずと視線を動かした先、勝は息を呑んだ。
神嶽の首筋には、勝が付けたはずの傷すら存在していなかった。しかしながら、流れ出た赤はYシャツに染み付いたままだ。
気を失いそうな勝が、これが変えようのない現実であることを知る。
彼はいったい、何者なのか。ずっと不気味だった。
これでは本当に神か、悪魔のようではないか。
「あ……あぁ……あぁぁぁっ……」
逃げようとするも腰が抜け、勝は床に倒れ込んでしまった。
神嶽は己を痛めつけ、この惨劇を引き起こしたナイフをつまらなそうに一瞥し、懐に収めると、コキッと首を傾げてみせた。
「本気で人を殺したいのなら、ここでくたばっている連中のように徹底的にやることだ」
青白い月光が眼鏡のレンズに反射し、妖しく映る。
そこでようやく、暗がりでよくわからなかった神嶽の表情が見えてきた。
神嶽は、ただひたすらに無感情に勝を凝視していた。
「ひっ────ひいいいいいいいっ!!」
その人間とは思えない鋭い瞳を見た瞬間、勝の喉から断末魔のごとき絶叫が迸った。
「す、すいませんでしたあああああっ! こここ殺すつもりはっ、な、なかったんですぅっ! 学園長先生が悪いとかぁっ、お、おお、思ってませんっ! 俺が全部悪いですっ! いくらでも犯していいっ! ゆ、許してくださいっ、殺さないでくださいいいいいいいいいいいいいっ!!」
すかさず土下座し、無様に命乞いをする勝の股間に、じわじわと染みができていく。
あまりに非現実的な神嶽への恐怖から膀胱が緩み、失禁してしまっていた。
「勝」
「は、はぃぃいいっ、はっひいいいいいい!」
「所詮無駄な足掻きだ」
恐怖に歪む勝の顔は涙と鼻水を流してぐちゃぐちゃだ。極限状態でカラカラに渇く喉を潤そうと唾が溢れ、必死に呑み込みながら震える唇を開閉させる。
勝にとって、全てがありえない事態であった。
「クラブに堕ちた者の末路を知っているか。性欲処理の便所として会員共の気紛れによって犯し殺されるか、生きたまま人体実験のモルモットに使われ医療の発展に役に立つことになるかだ。どちらにせよお前の先はもう長くない」
「そっ……ん、な…………」
「さあ、行くぞ。こんな生易しいものではない、本当の地獄を見せてやる」
「ぁ……ひ……死ぬ……俺……あ、はぁ…………」
迫り来る神嶽の手が、一歩も動けない勝に「おいで」と誘う。
絶望に砕かれた勝の心はもう、ここにはなかった。
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