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鬼塚鉄也編5-1 ※不穏

 神嶽は終業後、鉄也を駅前に呼び出していた。今夜は是非とも夕食を共にしたい、という名目である。  喜んで応じた鉄也は部活動が終わるや否や大急ぎで自宅に帰ってシャワーを浴び、カジュアルではあるが、彼なりに目一杯のおめかしをしてやって来た。それだけでも彼が神嶽と過ごす時間をどれだけ大切にしているかわかるというものだ。 「ごめんね、待ったかい」 「い、いいえっ、今来たところですから」 「それは良かった、じゃあ早速行こうか」 「はぁい……えへへ……」  神嶽の運転する車に乗り込んだ鉄也は、自然と笑みがこぼれてしまうくらいに上機嫌だった。  神嶽からはフレンチのレストランを予約したとも聞いていた。大好きな恋人と、美味しい料理を嗜みながら、甘いひと時を過ごす。鉄也にとってこの上ない幸せである。 「ん、顔が赤いね。暑いかな」 「えっ!? そ、そうですか……?」 (あ……ま、舞い上がっちゃってるってばれちゃったかな……あぅ……恥ずかしい……)  顔を火照らせていることを指摘され、鉄也は助手席でもじもじとしてしまう。楽しみのあまり、小走りで来てしまったのだ。  ちらっと神嶽を見上げると、どぎまぎしている鉄也とは対照的な凛々しい表情で運転するその横顔に、またもや体温が上がりそうになるのだった。  相変わらず神嶽のことになると弱い鉄也に、神嶽はくすっと笑ってドリンクホルダーに置いていたペットボトルのミネラルウォーターを勧める。それを鉄也も気持ちを落ち着けるように一気に飲み干した。 「大丈夫かい? 最近、少し暑くなってきたからね、体調管理には気を付けて」 「は、はい、ありがとうございます。でも僕、このくらい暖かい気候って、お昼寝しやすくて結構好きなんですよ。……さすがに、夏はもっと暑いんだろうなぁって思ったら、ちょっとくらくらしてきちゃいますけど……」 「はは、そうだね。それにしても……夏……か」  ぽつりと呟いた神嶽の寂しそうな声を聞き、鉄也の顔に影が差した。 「……そ、そっか……。修介さん、七月末には、もう学園長先生じゃないんですもんね……」 「正式に選出されれば、もっと居られもするだろうけどね。そればっかりは、私の意思だけではどうにも」 (そうだよね……そんなの、初めからわかってたことだよ……。でも修介さん、生徒にも人気があるし、学園長としてお仕事してるところも格好良いし……本当はずっと学園にいて欲しいけど……そんな無茶なこと言ったら、迷惑だよね……)  鉄也は神嶽の表向きの経歴から、例え学園長でなくなったところで多忙の身であることも聞いていた。  今はお互いに学園に属しているから良いものの、会える時間は確実に減るだろうし、最悪の場合、疎遠になってしまうことも考えられる。それに、もしそうなった時に鉄也が神嶽を追いかけられるかというと、現実問題としては厳しいものがある。  しかし、彼との将来をも前向きに考えられるようになってきていた鉄也は、今言わなくては叶わなくなるかもしれないと、わがままを言うことに少し戸惑いながらも顔を上げた。 「修介さんっ……あの……も、もし良かったらですけど、その、夏休みは……」 「うん、会いたいな。私もできるだけ時間を作るから。たくさんデートしようね」 「……! も、もちろんですっ!」  正に欲しかった答えを聞くことができて、くしゃっと表情を緩ませ子供のような満面の笑みになった。  暗い話題を吹き飛ばすように談笑していると、しばらくして、鉄也は大きなあくびを漏らした。 「……ふ、ぁ……ご、ごめんなさい……。なんだか急に、すごく眠くって……」 「おや、疲れが溜まっているのかな。着くまでまだ掛かるから、仮眠をとっておくと良いよ」 「はい……それじゃあ……お言葉に甘えて……。おやすみなさい……」 「おやすみ」  自分を気遣ってくれる優しい神嶽に笑いかけて、睡魔に任せるまま瞼を閉じると、鉄也はすぐに深い眠りへと誘われていった。 (────────)  心の声も聞こえなくなった、つまり完全に鉄也の意識がなくなったのを確認すると、神嶽は都会の明るさで賑わう繁華街から人気のない脇道へとハンドルを切る。  無防備に眠りこける鉄也は、まさか神嶽に貰った飲み物に闇ルートで流通する強力な睡眠薬が混ぜてあるとは夢にも思わなかっただろう。  鉄也の想像するような楽しい夏休みなど、一生やって来はしない。  神嶽の運転する車は、鉄也を絶望の淵に叩き落とす場所──地下クラブへ向かっていた。

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