132 / 249
鬼塚鉄也編BAD-3 ※IF、流血
神嶽は下腹に視線を落とす。
鉄也のしなやかな利き手に、これで料理をしていたならこの上なく似合っただろう包丁が握られていた。
20センチほどあるその刃は、根元近くまで突き刺さっている。内蔵まで達していることだろう。
相当の覚悟を持った力でなければ筋肉が邪魔をして中途半端に止まってしまう。ここまで深く刺し貫くことは困難だ。
確実に殺そうとしたのだ。
あのか弱い鉄也が、最愛の人を、その手で。
本気になればこうして理不尽な暴力で他人をねじ伏せられる。彼も所詮は、男だったというわけだ。
唇が離れると、神嶽は上手く動かない手で柄の部分に触れた。真っ白なシャツがじんわりと赤黒い色に染まっていく。それで自身の身体に起きていることをようやく理解したらしい。
鉄也は自らの凶行にわなわなと震え、立ちすくむことしかできない。
「うぅっ……ぐすんっ……うあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ……!!」
やがて神嶽がその場に倒れると、鉄也もがくりと膝から崩れ落ちてしまった。
「ごめんなさいっ……ごめんなさい、修介さん……! ごめんなさいいいいいいいいっ!!」
神嶽の身体をきつく抱き締め、鉄也は狂ったように涙を流しながら謝罪の言葉を繰り返す。
「優しかったのは全部僕を騙す為の嘘だったって言われて、酷いことばっかりされて、悲しかった……! 死んじゃいたいくらい辛かった……! でもやっぱり、僕は、あなたがっ……修介さんが好きなんです……! 奴隷になんて絶対なりたくないっ! 今までも、これからも、修介さんだけのものでいたいんですぅううっ……!!」
子供のように顔面をぐしゃぐしゃにして泣き叫ぶ鉄也。
彼の心は、人として最後の一線を越えるまでに追い詰められていた。
初めから殺す気で来ただろうに、最後の最後に神嶽を求めるとは。
この期に及んでも未練を持ち続けていたのだ。鉄也はとても嘘を付けるような人間ではない。
神嶽を心の底から愛していた。彼以外の所有物にならなくてはいけない奴隷にだけは堕ちたくなかった。二人を引き裂く現実が絶対に許せなかった。
それなら、いっそのこと──歪んだ犯行動機も、鉄也なりに悩み抜いて出した唯一の救済方法だった。
癒えることのない悲しみと、どんな理由であれ彼を傷付けてしまった後悔と、こうしたことで彼がもう二度と会えないところに行ってしまうであろう寂しさ。
「本当に好きなの……大好き……っ! あなたを独りになんてさせないっ……ぼ、僕も……死んで償いますからぁっ……! だからっ……弱い僕を、どうか許して……」
あらゆる感情がないまぜになって、大粒の涙として神嶽の眼鏡のレンズにぽたり、ぽたりと零れ落ちる。
「…………鉄、也」
「っ! 修介さんっ!?」
神嶽が鉄也の頬に触れた。ボロボロと溢れて止まらない涙を指で拭う。
かつて恋人同士であった頃のような、彼を気遣う優しい手つき。
鉄也も彼との幸せな日々を思い出したのか更に顔を歪ませ、まだ温かいその手を強く握り締める。
きっと、愛する者が発する最期になるだろう言葉。それを聞き逃さないよう、神経を尖らせて、じっと待つ。
「そうか……お前は、そこまで、俺を……」
神嶽の目が思案するように細まる。
「はいっ! 愛してますぅっ……! えぐっ、えぐうぅっ……」
(……僕の気持ち……やっと……わかってくれたんですね、修介さん……? もう遅すぎるよおぉぉ……)
なおも愛の告白を続ける鉄也に、神嶽は一つ息を吐いた。
「────それだけの想いがあればお前は上等な奴隷になれる」
普段と変わらぬ低い声音に鉄也の身体がびくりと震える。
不思議そうな顔をした鉄也が、徐々にその異変に気付いていった。
ともだちにシェアしよう!