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如月司編1-2

「それにしても……私ですら知らない社内の情報を、よくもまああそこまで調べたものだ」 「そんな大事なことを、真っ先に父親に相談しないのか」 「する訳がない。たった一人の人間の脅しで、如月が屈するとでも思っていたのか? ずいぶんと安く見られたものだ」  今の司の表情は、自信と余裕に満ち溢れている。だが、心の中は……。 (……こんな得体の知れない男に不正の情報が漏れたことを知られたら、父さんの立場が……いや、如月家の未来だってどうなることか……)  やはり、自分より家のことが不安でたまらないようだ。  旧財閥系である如月グループの力は並ではない。もし不正の情報が広まった場合に、社会に与える影響の大きさが計り知れないことを、司はよく理解している。 「何せ、お育ちのいいお坊っちゃまだ。怖気付いて泣いているかと思っていたぞ」 「馬鹿にするな。私はそんな風に弱い人間じゃない。この程度では父に頼る必要もない」 「言ってくれる。俺はそれだけの人間だということか」 「人の弱みを握って目的を果たそうとするなど、下衆のすることだろう」  そう言って、司は汚いものでも見るかのように冷たく神嶽を見上げる。 「……お前の目的は何だ? 金か? 望みがあるのならさっさと言えばいい」 (低俗の発想など、たかが知れる……。金で済むなら私でも多少は何とかなる……だから、面倒事に巻き込まないでくれ……)  司は逃げ腰なのではなく、単純に冷めているだけだ。  金目的に如月家に近付いてくるような輩も大勢見てきた。だからこそ、己の人生の障害になりうると判断したものは、できるだけ避けて歩みたいのだろう。  しかしそう思うのも無理もない。目の前の脅迫者が自分に性奴隷教育を施そうとしているなど、司の想像の範疇を超えている。 「金、地位、名誉。そんなものは、俺にとって何の価値もない」 「なんだと?」 「俺は、お前に興味がある」 「……私、に……?」  ぴくりと、司のひそめられていた片眉が跳ねた。 (この男……一体何を考えている……?)  予想だにしなかった答えに、司は腕を組んだ指を、ぐっと肌に食い込ませる。表情の見えない神嶽の解せぬ思考に、司は隠しきれない苛々を感じていた。  司は一度目を伏せると、次の瞬間には強い意志を持って睨みつけてきた。 「お前の魂胆など、知りたくもない。だが……弱みを握っていい気になっているのも、今の内だ。お前など、私が潰してみせる。もう二度と私の前に現れることが出来ないよう……徹底的にな」 (……社内の裏事情を知り得る者など、そう居ない……。すぐに素性を調べて、如月を敵にしたことを後悔させてやる)  恐れを知らないのは育ちが良いせいもあるが、脅されている割には、司はずいぶん挑戦的だった。  どこまでも強く、気高い司。その性格が仇となって己の心を破壊するか、あるいは再び形成するか……それは定かではない。 「威勢の良いことだな。では、早速俺に従ってもらおう。ついて来い」  司の返事を待たないまま、神嶽は歩きだす。  いつの間にか公園の入り口には、一台の黒塗りの車が停まっていた。異様な存在感のあるそれを見た司は、神嶽を追いかける足を止めた。  神嶽は先にドアを開け、司を振り返って言う。 「乗れ」 「……私が無事に帰って来られる保証はあるのか?」 「ああ。約束は守る」 「…………ふん」  約束は守る。このように人を脅迫する犯罪者から発せられたとは思えない言葉に、司は呆れたように鼻を鳴らした。  どの道、拒否権などないのだ。司は少しためらって、渋々車の後部座席に乗り込んだ。  神嶽も後に続くと、シートベルトを締めた司の頭に、車内に用意してあった口元だけが開いた黒いマスクを被せた。 「なにをするっ!?」 「ただの目隠しだ。じっとしていろ」 「……こ、こんなことをしなければ行けないような場所なのか……」 「そうだ。このままお前が抵抗すると手足も縛らなくてはならない」 「…………っ」  更なる脅しともとれる言葉に、司の動きがぴたりと止まった。 (私は、これからいったい、どうなってしまうんだ……)  さすがの司も、未知の不安と恐怖には、ひざに乗せた手のひらをぐっと握った。心なしかその手には冷や汗をかいているようにも見える。  神嶽は大人しく従うことを選んだ司を相変わらずの無感情の目で見つめると、運転を担当するクラブスタッフの男に車を出すよう命令した。  生贄を乗せた車は、誰にも気付かれることなくひっそりと闇夜に紛れていった。

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