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如月司編7-6
「優子くん……優子くん、起きられるかい?」
神嶽に優しく肩を叩かれ、優子はようやく目を覚ました。普段からぐっすりと眠れるタイプなのか、まだ夢心地である。
「んん……学園長先生……おはようございます……?」
「はは、おはよう。もう今日の授業は終わる時間だ、帰り支度をしておいで。まだ辛いようなら、私個人としては、部活に出るのはあまりお勧めしないが……」
「あ……そうでしたっ。ふぅ……おかげさまで、体調はもう大丈夫そうです。ありがとうございます、先生」
「そうか、それなら良かったよ」
血色の戻ってきた優子は、あくびをしながらぐっと猫のように伸びをした。空いた隣のベッドを見て、はてと首を傾げる。
「先生……あの、司さんは……?」
「如月くん? 君が起きる少し前に、戻って行ったよ」
「そう……ですか」
優子は残念そうに俯いた。できることなら、一言二言でもいいからまた彼と話をしたかった、切なくも楽しかった恋を経験させてくれた礼を言いたかった、そんな顔である。
「君は、彼のことを慕っていたんだったね。何か伝えたいことでもあったかい?」
「いえ……ただ、このままぎくしゃくしてしまうのも何ですし、前と変わりなく仲良くして頂けたらなって。私、司さんのことはもう、尊敬する先輩としか思っていませんから。実はその……最近、他に好きな人ができて……」
「ほう? 君の心をそう容易く奪ってしまうなんて、ずいぶん魅力的な男性なんだろうね」
「はいっ、そうなんですっ! 本当に……。えへへ……」
優子の熱烈な視線にまったく気付かない振りをして、神嶽はニコニコと人のいい笑みを浮かべた。女とは何とも切り替えの早いものである。
ぺこりと丁寧にお辞儀をして優子が保健室から出て行くと、デスクの下から二人の会話を息を潜めて聞いていた司が這い出てきた。
なんとも疲れ切った顔で乱れた制服を正し始める。
優子が次に恋をした相手というのが神嶽であることを、察しの良い司はわかっていた。千切れんばかりにギリギリと唇を噛み締める。
(……どうして、よりにもよってこいつをっ……。こんな畜生を善良な学園長と信じているだなんて、どいつもこいつも狂っている……)
関係のない優子までその不思議な魅力で陶酔させる神嶽への強い怒りと、彼がどんなに残酷な男か伝えられない、いや、例えそうしたところで伝わらないであろうやるせなさ。
それも今の司では胸の内に留めておくしかない。
「優子は昔気質な良い女だな。惚れた男には尽くしてくれそうだ」
白々しく言う神嶽に、司の顔は今日一番の怒りに染まった。
「……彼女には絶対に手を出すな……いいな……」
「振っておいてずいぶん勝手な物言いだな」
「私のせいで一度傷付けたからこそ……お前の好きにはさせない」
神嶽の性愛の対象が男性のみであるという保証はどこにもない。
性別に関係なく司にしているような行為を強要してきたのだろうが、むしろ神嶽が肉欲に執着するような人間にも見えないことが、彼の不気味さをよりいっそう際立たせていた。
司にとっての優子は、幼なじみであり、犬猿の仲である隼人の妹という存在に過ぎなかったが、この学園の生徒代表として、何より人としての情が、これ以上の犠牲を出すことはあってはならないと司の中で警笛を鳴らしていた。
「できることなら、今すぐにでもこの手でお前を殺してやりたいくらいだ……! でも……そんな真似をすれば、私はお前と同じ外道に成り下がってしまう……。それだけは……絶対に御免だ……」
(今の私ができるのは……この狂った日常に耐えること……。それが平井へのせめてもの償いにもなる……そう……信じたい……)
今後も続くだろう凌辱への不安に手先が震えてしまうのを隠すように、司は腕組みをした。
恥辱の時間が終われば気丈な凛々しい瞳をしているが、その眼光はわずかに弱くなったように見える。
「……私はまだ諦めない。お前から……何もかも守ってみせる」
司は改めて自身に言い聞かせるように呟いた。
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