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如月司編10-1 ※虐待描写
信じられないことが起こった。
学期末のテストが終わり、廊下に貼り出された試験結果の前では人だかりができ、どよめいていた。
明皇学園では恒例の、上位者の健闘を讃え、生徒達の競争心を刺激する為にわざわざ掲示されているそれ。
現在の高等科でもう一つ恒例となっているものと言えば、当然、最優秀者として“如月司”の名が書かれていることだった。
しかしどうしたわけか、今回、そこに司の名前はなかった。上位にすら入っていなかったということである。
悪夢のような凌辱の最中でも、司は並々ならぬ努力を重ね、学園生活、とりわけ勉学に関しては普段通りの優れた成績を維持していたはずだった。
それが司自身、理性を保つ為にも重要であったからだ。
少し確認すれば気付けたであろうケアレスミスばかりが点数を落とす原因ではあったが、生真面目な司であればありえない事態だ。
そして司の代わりに一位に躍り出たのは、奇しくも司という大きな壁を追い越せず、万年二位の辛酸をなめてきた隼人であった。
隼人はしばし信じられなさそうな顔で己の成績を見つめていたが、興奮気味の友人に声をかけられると、実感が湧いてきて手放しで喜んだ。
ようやく自分の頑張りも実を結んだのだ、気に入らない司に勝てたのだと、司に対する同情心は皆無であった。
高等科に進学する以前からずば抜けた才を持ち、常に将来を有望されてきた、あの如月司が。ここに来て、なんと情けないことか。
同級生はもちろんのこと、噂好きな下級生、教師や保護者の間にまで、学園の有名人である彼の痛恨のミスは持ち切りとなった。
隼人を始めとした普段から司に嫉妬していた者はいい気味だと嘲笑い、比較的距離の近い生徒会メンバーらはどう励ましてよいか迷ううちにそのことには触れられなくなり──司は孤高の道を歩んでいたことが仇となり、肩身の狭い思いをせざるを得なくなっていた。
そんな一件もあり、後日学園長室にやって来た司はどことなく覇気がなかった。
一時芳しくない点数を取って拗ねているだけならいいが、司の場合はそれも深刻である。上昇することしか知らない者が転げ落ちた先の闇は、凡人には理解ができぬほど重く深い。
それに、いつもとは若干ヘアースタイルを変えて目立たぬようにしていたが、頰の辺りが腫れ上がっていた。本人はぶつけただけだと周囲に漏らしていたものの、とてもそうは見えない顔だ。
「ひどい顔だな。この時期にこう成績を落としては両親と揉めて殴られでもしたか」
「な、何故、それをっ……」
言ってから、司はしまったという顔をした。
(こ……この男にだけはばれたくなかったのにっ……)
司の両親、特に現当主という重い荷を背負う父は、些細なきっかけから一人息子に暴力を振るったことも一度や二度ではない。
世の中は過程より結果、どれだけ努力をしても、しかるべきところで力を出せなければ、それで終わり。
日頃からそう言い聞かせ続け、司が何か失敗をすれば途端に鬼のような剣幕で叱る。
実に高尚なしつけ──別の言い方をするならば、我が子とはいえ他人をコントロールできる気になって、うまく行かぬことがあるたび当たり散らす、子供のような親のエゴによる虐待。
しかし家の為、親の為に、そんな言い付けを守って相応しい子でいようとしてきた司はそれも全て、自らを大切に思うが故の愛情表現と受け止めていた。司の高い理想への執着はそこにあった。
だからこそ、揺れていた。
敬愛する両親は神嶽の言う通り、不正に加担しながら自分をも欺いていた悪人なのではないかと。
高貴であるのは名ばかりで、自分もその穢れた血を引く人間ではないのかと。
そんなことはありえないと思いながらも、一度考えだせば止まらない夜が続いていた。
「お前があれだけ必死に守ろうとしているものが、お前を傷付けるのだな」
「うっ……うる、さい」
「事実を言われたくないだけだろう、司」
「黙れ……黙れ黙れ黙れえええええっ!!」
カッと怒りに目を見開いた司が声を裏返らせて叫んだ。
積もり積もったものを一度表面に出してしまえば、もう抑えきれない。息を荒げ、神嶽の胸倉を掴んで詰め寄るという手荒な行為にまで出た。
「お前に私のなにがわかる! あの地下クラブで脂ぎった醜い男たちに私の身体を弄ばせているお前が! 私がどんな思いで辱めに耐えているかなんて想像もできないくせにっ! どうして私なんだっ……! 私が、何をしたと言うんだ……どうし、てぇっ……」
司はブルブルと肩を震わせ、冷めた彼らしからぬ激情を目の前の男にぶつけた。
(こ……こんな男に当たったところでどうしようもないのに……私はどこまで愚かな人間に成り下がってしまったんだっ……)
他人にここまで感情を剥き出しにしたことは司の人生になく、自分でも驚いたのだろう。司はすぐに我に返って手を離した。
「理由が必要か」
神嶽は曲がったネクタイを直しながら言った。
「この学園で初めて出会った人間がお前だった。それだけだ」
「っ…………」
(それだけ……? それだけで、私は、こんな……? は、は……なんて、ことだ……本当にそうなのだとしたら、私は……生贄というのも、間違いではないのかもしれない……)
追い詰められた司には信じられないほどの、軽い物言い。
己の未来は全て神嶽の采配に委ねられているのだろう絶望感に、司は膝から崩れ落ちてしまいそうだった。
「だが、今は──お前がどれだけ誇り高い男か、如月の名に驕らず死に物狂いで努力してきたか、よくわかった。だからこそ、そんなお前をクラブ専属の牡奴隷として堕とす為に今後も全力を注ぐつもりでいる」
神嶽の眼光が司の瞳をじっと射抜いた。
心の奥底を見透かすようなその視線は、司にとっていつも心地が悪かった。めげずに睨み返してみても、当の神嶽からは何一つ伺い知ることはできない。
司はこんなにも思考を掻き乱されているのに、あまりに不公平だ。
(ハッタリもここまでくると見事なものだな……。こんな奴に私のことがわかる訳がない……なのに……もしかして、全て掌握されているのではと思ってしまう自分もいる……。神嶽修介……本当に、気に入らない男……)
司は言葉を失い、ただただ俯くことしかできなかった。
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