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如月司編16-1

 隼人が失踪した。  彼の携帯電話は、自宅の部屋に置きっぱなしであった。そこから、家族宛に時間指定でメールが送られたのだ。 『ごめんなさい。もう疲れました』  そんな遺書とも受け取れる内容が、彼らしい文章で書かれていた。  それは静かな日常の終焉の幕開けであった。  優子は、普段のおっとりとした態度が嘘のように、途方に暮れていた。  たった一人の大好きな兄がいなくなってしまったのだから、それも仕方のないことだ。  本当はこうして学園に来るのもやっとの精神状態だ。それでも、もし、隼人がひょっこり登校していたらと思うと、じっとしてはいられなかった。 「優子くん。大丈夫かい? 理事長から話を聞いたが、どうにも尋常なことではなさそうだね」 「学園長先生……」  声を掛けられた優子が振り返ると、現在の想い人である学園長が困り顔をつくって儚げなその顔を覗き込んでいた。  近頃はあまり睡眠を摂れていないのか、優子の目の下にはくっきりと隈が浮き出ている。  極度のストレスからか手入れの行き届いていた髪や肌までもが荒れ、飯も喉を通らないのだろう、頬の辺りがやや痩せこけている。  ついこの間まで可憐な美少女であったその美貌の面影が、だんだん消えかかっている。 「お、お兄様が……ずっと……家に帰らないんです……」 「そうか……まだ……。あれからもう一週間になってしまうよね。となると……いよいよ家出だろうか?」 「そんなことない……! お兄様が、私達家族を置いて家出なんて、絶対にありえませんっ……!」  大人しい彼女にしては珍しく、優子はカッとなって声を荒げた。  もちろん警察にも駆け込んだが、そこにクラブの手が回っているなどとは優子が知るはずもない。  友人関係にも特にトラブルがあった訳ではないとすれば、受験のストレスを抱え込んで押し潰されそうになってしまったのだろう……この歳の子供の苦悩など周りには見えづらく、助けを求める勇気もない、そうなれば思い詰めてしまいやすいものだ。  そんな風に事件性はないと判断されるのも時間の問題だった。 「……ごめんよ、優子くん。隼人くんなら、きっと大丈夫。どこかで元気にやっているよ。ね、家族である君が信じてあげなくて、どうするんだい」 「……は、はい……そうですね……。ごめんなさい……先生……。う、うぅっ」  人として、教師として、男としても一途に慕う神嶽の優しい言葉に、優子のささくれ立った心は癒され、清らかな涙を流した。  そして、父親もまた、愛娘とさほど変わりないような状況だった。理事長は神嶽を呼びつけるなり、 「どうしてだ!? どうして息子を選んだ!? 家族の身の安全は保証されるはずでは……!? 」  当然ながらそう鬼のような剣幕で神嶽に詰め寄った。  彼は神嶽が隼人だけを贄として選んだと思い込んでいるのだ。 「保証など最初から契約にはございませんよ、西條様。私はこの学園に通う人間全てが対象になり得る、と申しました」 「だ、だからと言って……」 「……何がおかしいのでしょう。お子さんはまだ一人おられます。隼人くんの代わりに大切にして差し上げれば良いだけではないですか。それとも、今からもう一人作りたいと? 別途料金を頂くことになってしまいますが、子種でも、代理母でも、何だってご用意できますよ」  たった一人、代わりなどいない大切な息子に手を出しておいて、何の良心の呵責もない神嶽に、弱気な理事長も遂に堪えきれなくなった。  神嶽への、クラブへの、軽率な真似をした自らへの怒りの全てが爆発し、神嶽の胸倉を掴み上げる。 「ふ……ふざけるなぁっ! お前にっ……お前のような人間に……親の気持ちがわかってたまるかっ!」 「親の気持ち。自らのエゴの為に子供もいた杉下を殺害するよう私共に依頼し、あげく他人の子供を贄として差し出そうとしたあなたが。本当にそう、胸を張って言えるのですか」  痛いところを突かれて、理事長は低く唸った。  そう、杉下にも自分と同じように愛すべき家族がいたことはわかりきっていたことだ。  なのに目先の怨みに囚われて、そこまで考えがついていかなかった。実に浅はかな男である。  この親にして、とはよく言ったもので、隼人の愚直な部分は彼によく似ていた。  神嶽は一つ息を吐き、力の抜けた理事長の肩を叩いて悪魔のように温厚な微笑みを見せた。 「そうご心配なさらずに。隼人くんは我々で責任持って保護しています。毎日とても元気に過ごしていますよ」 「ほ……本当か!?」 「ええ。ですから、彼のことは最初からいなかったものとでもお思いになってお忘れください。……それでも、どうしても忘れられず、生きることが辛いと言うのなら……その時はまた、何なりと」  それだけ言って、神嶽は理事長室から立ち去った。  一人残された理事長は、ふらっと眩暈を起こしてソファーへと倒れ込んだ。  何てことをしてしまったのか。どれほど恐ろしいものに首を突っ込んでしまったのかと頭を抱えるが、いくら悔やんだところで全ては後の祭りである。  憔悴しきった様子で天を仰ぎ、息子を失った哀れな父親は虚ろな目でボソリと呟く。 「クラブは……誰よりも優しく……義理堅い……」  もはや、西條家の一家心中は時間の問題だった。

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