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第2話

そんな風に夜しっかり眠ることができないくせに、鹿野目は朝起きるのは早くて、一緒に眠るようになってから、堂嶋は一度も鹿野目より早く目覚めたことがない。平日はいつもきっちり身なりを整えた鹿野目に揺り起こされて、急いで準備をしている。平日もさることながら、休日も確かめたことないが、おそらく平日と変わらぬ時間に起き出して何やらしているようだった。堂嶋は寝ても寝ても眠たい人であったので、休日に何か用事がなければ昼前までベッドの中でごろごろしているのが常だった。その日、珍しく堂嶋が目を覚ますと、丁度鹿野目がベッドから降り立つところだった。何気なく壁にかかった時計で時間を確認すると、まだ6時を少し過ぎたところだった。仕事もないのに休日にこんなに朝早くから起きて一体何をしているのだろう、一瞬だけ堂嶋は思う。夜中に起きてふらふらしていたせいで、余り眠れたような気がしなかった堂嶋は、そこで毛布に包まって眠っていようと思ったけれど、寝室の扉がぱたんと閉まる音を聞いて、ふっと目を開けた。 (そういや鹿野くん、朝何してるんだろう・・・) 重たい体を起こして、堂嶋はそっとベッドを抜け出した。鹿野目が出て行ったばかりの寝室の扉を開ける。またてっきりベランダで煙草でも吸っているのだろうと思っていたが、鹿野目はリビングにおり、見慣れぬジャージに着替えていた。 「あ、悟さん、おはようございます」 「うん、おはよう」 寝室から出てきた堂嶋を見つけると、鹿野目は律儀にそう挨拶をして、テーブルに置いてあった携帯電話をポケットに入れた。どこか出かけるのだろうか。考えながら堂嶋はキッチンまで行って冷蔵庫を開けると、ミネラルウォーターを出してコップに注ぎ、それを一気に飲み干した。だだでさえ冷えた体の芯に、それはキンと冷たく落ちていくような感覚がした。 「どっか行くの、鹿野くん」 「あぁ、はい。ちょっと走ってきます」 「走って?」 首を傾げると鹿野目は立ち上がって、そういえば何となく、その恰好は河川敷でも走ってそうな格好だと今更堂嶋は思った。 「この辺良いジョギングコースがあって。悟さんも行きますか」 「え?俺?」 「気持ちいいですよ」 「・・・あー」 ただの興味本位だったのだけどと思った言葉を半分以上飲みこんで、堂嶋は少し考えた。咲と住んでいる時は咲が食事を作ってくれていたから、それなりに栄養バランスも考えてくれていたのだろう、体重や体系のことをとやかく考えることなどなかった。ただ鹿野目と生活をするようになって、少し太ったような気がする、と密かに堂嶋は思っていた。鹿野目も自分もあまり料理ができるほうではなく、外で食べたり買ってきて済ませてしまったりしているのが大きな原因だろう。自分は兎も角、鹿野目はおそらくずっとそういう生活を送っている、その割には締まった体つきをしており、代謝が良いのか生まれつきなのか、と考えていたがそう言うことだったのかと、キッチンで腕を組んだまま堂嶋は考えた。 「んー、じゃあ俺も行こうかなぁ」 「そうですか、俺のジャージ貸しますよ」 「ありがとう」 こちらにくるりと背を向ける鹿野目の肩がいつもより跳ねているような気がして、あれはきっと嬉しいのだろうなぁとそれを見ながら堂嶋は考えていた。そういう鹿野目の姿を見つけるたびに、鹿野目は本当に自分のことが好きなのだなぁと堂嶋は呆れるみたいに思うのだった。 外に出るとまたその冷えた空気が肌を刺すようで、堂嶋はすぐさま家に帰りたいと思ったけれど、鹿野目がすたすたと歩いていくので、その背中に仕方なくついて行くしかなかった。鹿野目が言っていたジョギングのコースはマンションの近くの公園の中にあるようだった。そういえば公園が近くにあるのは知っていたが、来たのは初めてだと、まだそんなに人の姿がないそこを見渡して、堂嶋は思った。かといって閑散としているわけではなく、朝も早いと言うのに、流行りなのかもしれないが、鹿野目のような格好をした人が、時々目の前の道を走って過ぎていく。引っ越してきてというか、転がり込んでという表現の方が正しいような気もするが、取り敢えず鹿野目のマンションが生活の中心になって暫く経つのに、そういえばこの辺のことにはまだ全然詳しくないなぁと、堂嶋はそれを見ながら少し反省するみたいに思った。 「悟さんちょっと準備体操したほうがいいです」 「え、あぁ、そっか」 「急に走ったら筋痛めますよ」 「はーい」 隣で屈伸する鹿野目の真似をしながら、堂嶋はジョギングするなんて何年振りだろうと考えた。もしかしたら高校の体育でマラソンを走った時以来かもしれないと思いながら、背中に嫌な汗をかく。それは一体何年前の話なのだ、考えたくもない。元々余り運動は得意ではなく、勿論好きでもなかったから、授業のような強制的なものから逃れた後は、走ることでなくても運動らしい運動などしていない。食生活のこともあるだろうが、それは太っても仕方がないかと目を細めて考える。 「ねぇ、鹿野くん」 「はい?」 「俺、最近ちょっと太ったよね?」 「・・・あー・・・そうですか?」 答えるまでに珍しく妙な間があったと思いながら、堂嶋は思わず眉間に皺を寄せる。こんなことで怒るなんて女の子みたいで嫌だなと思ったけれど、何となく間髪入れずに鹿野目が否定してくれなかったことが、無意味に胸の奥につっかえた。 「やっぱちょっと太ったんだ・・・」 「そんなことないですって」 「だって君、今ちょっと迷ったろ、俺は見逃さないからね!」 「太ってたって俺は悟さんが好きですよ」 「勝手に肯定するな!俺は太ってる俺が嫌い!」 苦い顔をしてみせると、鹿野目は少し困っているようだった。それにしても本気でそんなことくらい思っていそうで怖い。そういう時に気の利いたことが何も言えない辺り、鹿野目らしいと思いながら、正直で良かった、と堂嶋は思っていた。 「あー、もう絶対柴さんのせいだ」 「柴さん?」 「あのひと偏食だから一緒にご飯食べに行くとほとんど俺に食べさせるし・・・」 「へぇ・・・」 「だから太ったんだ・・・柴さんのばか・・・」 俯いてぶつぶつと泣き言を漏らす堂嶋の頭の形を見ながら、鹿野目はそんなことなら一緒にご飯になど行かなければいいのに、大体誘いに行っているのはいつも堂嶋なのに、これでは逆恨みもいいところだと思いながら、それは口には出さなかった。

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