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第6話

「送ってってやろうか」 白のフーガは柴田の私物だった。事務所には所員が出張に出かけるための車が何台かあったが、柴田と出かける時はいつも柴田が自分の車を使うので、堂嶋はその助手席に乗っていた。本来ならば、運転をするのは部下の自分なのだろうが、柴田はあまり堂嶋に自分の車を運転させたがらなかったので、いつのまにかこの状態が普通になってきている。打ち合わせを終えたところで、定時を少し回った時刻だった。柴田はまさかこんなに早くに家には帰らないし、帰ることができない人ではあったが、堂嶋は予定を直帰にしていたので、事務所まで帰る必要はなかった。柴田は何かと話が早い人なので、余り仕事相手とは雑談をしたがらず、それでいて相手の考えをエスパーみたいに読み取ってしまうところがあり、いつも打ち合わせは考えていた時間をオーバーするどころか、すっきりと終わることが多かった。堂嶋は腕時計を見て、それから隣の柴田に目をやった。 「いいんですか、甘えちゃおっかな」 「いいよ、お前どこだっけ」 柴田の機嫌が良いのは、仕事が順調に進みそうだからだ。考えながら堂嶋はそっと口角を上げる。その堂嶋には気付かず、柴田は片手でハンドルを切りながら、何気なく堂嶋がこの間まで咲と一緒に住んでいた地区を口にした。背中がびくりと跳ねる。 「柴さん、俺最近引っ越したんです、よ」 「・・・あー、悪い、彼女に追い出されたんだっけ」 「まぁそういうことにしときます」 涼しい顔をして全く悪気ない柴田のことを、恨めしそうに見つめながら、堂嶋は助手席で手足を小さくした。堂嶋と柴田との間で、こんなことはよくあったから、柴田は堂嶋がこの間別れたばかりの咲と住んでいた場所も知っているし、マンションも知っていた。考えを改めてもらわなければと思いながら、ふと堂嶋は今住んでいるところを柴田に言ってもいいのかどうか少し迷った。今のマンションは元々は鹿野目の持ち物であり、柴田が鹿野目がどこに住んでいるかなど知っているはずはないと思っていたが、何となく濁しておいたほうが良いような気がする。堂嶋が悩んでいる間に、車は進んでいく。 「オイ、堂嶋、どこだよ、場所」 「えー、あー・・・」 「は?お前なんなの、早く言え」 柴田の眉間に皺が寄る。こんなことで機嫌を悪くされては困る。堂嶋はちらりと外の景色を見やった。ここから一番近い駅から鹿野目のマンションまで、偶然なのか電車で一本だった。これはもう逆に電車で帰るべきか、考えながら柴田に目を戻した。 「え、駅で良いです、駅で!」 「あー、別にそれならそれでいいけど」 興味がないのか、柴田はそれ以上詳しく聞いてこなかった。ほっとして堂嶋は柔らかいシートに身を委ねた。鹿野目は今でも時々危機感がないと言って、堂嶋の軽々しい言動に眉を顰める。それこそ露見したらどうなるのだろうとか、働き辛くなったりするのだろうとか、まぁ真中のことだからそんなに心配する必要はないだろうとか、堂嶋はひどくぼんやりと考えながら口には出さない。堂嶋だって考えてはいるけれど、何分現実感がない。鹿野目と付き合っているとか、一緒に住んでいるとか、そういうこと自体にまず、当事者の堂嶋が現実感がないと思っているのだから、その他のことをリアルに思い描くのは不可能だ。柴田の疲れた横顔を見ながら、柴田は一体どう思うだろうと考えた。一緒に居る時間は堂嶋がリーダーになってから増えたけれど、余り柴田から色恋沙汰の話を聞いたことがない。けれど柴田の彼女はきっと、背筋を常に伸ばしておかないといけないような緊張感の中にずっといなければいけないだろうし、それはきっと疲れるし忍耐強い女の子でないと無理だろうなとかそんなことしか考えたことがない。堂嶋の貧相な想像力では何も思い浮かべることが出来ない。 「着いたぞ」 柴田に呼びかけられてハッとする。駅のロータリーに車は止まっていた。堂嶋は柴田の方を見て、出来るだけにこやかに笑ったつもりだったが、柴田の表情は余り優れなかった。それを見ながら柴田もこのまま家に帰ればいいのにと思いつつ、黙って助手席から降りる。 「ありがとうございました、柴さん」 「おう、お疲れ」 さっと柴田が手を上げて、目の前のフーガは颯爽と行ってしまった。堂嶋はそれが視界から外れるまで見送った後、小さく溜め息を吐いた。ほとんど鹿野目と成り行きで始まったこの生活にも、すっかり慣れてしまったけれど、何だか考えることは山のようにあって、きっと山のようにあるのだろうけれど、堂嶋は何となくそれを見ないようにしているというか、先延ばしにしているというか、取り敢えず今思案してもどうしようもないと思っている。鹿野目はどう思っているのだろう、余りそんな話はしたことがない。堂嶋は考えながら、駅に向かって歩き出した。今考えなければいつ考えるのだろう。 マンションの最寄りの駅で降りると、丁度少し前を鹿野目が歩いているところだった。鹿野目もC班に移って半年、ずっと徳井のサブみたいなことをしていたが、柴田に聞いていた通り、鹿野目の仕事ぶりは隙がなくて優秀で、可愛げがないと思いながら堂嶋は彼が上げてくる報告書に毎回目を通している。もう少ししたら何か任せてもいいかなと堂嶋がひとりで思っていることを、多分鹿野目は知らない。改札を通ってやや速足で黒のコートを着ている鹿野目の後姿を追いかけた。例えばこんな折、ここの駅を使っているのが、真中デザインで自分たちふたりだけではないかもしれないということを、堂嶋はすっかり失念している。 「鹿野くん!」 呼ぶと彼はすっと足を止めて、くるりと振り返った。それはいつもの無表情で、寒いのかいつもより頬が白く見えた。それににこっと笑いかけると、鹿野目は僅かに睫毛を震わせて視線を落とした。どういう顔をしたらいいのか分からなくて迷っている。どうせそんなに選べるほど表情のバリエーションを持っていないのに、思いながら堂嶋はくすっと笑った。 「お疲れさま」 「お疲れ様です、早かったですね」 「へへっ、今日は柴さんとだから早いんだよー」 堂嶋が笑いかけると鹿野目はますます複雑そうな顔をした。鹿野目の表情のバリエーションは少ないが、笑うことも出来るけれど、どちらかと言えば人を馬鹿にしたような時にしかそれは発動しないようで、大体は無表情だった。それにももう慣れた。 「帰ろう」 「・・・はい」 堂嶋が少し先を歩くと、鹿野目が後からついてくる。マンションまでは2,3分だった。堂嶋は彼女と結婚を控え、色々先立つものは必要だと考えて、彼女とは割と手狭なマンションで暮らしていたが、鹿野目はひとりで割合広めのマンションに住んでいた。立地も悪くないし、鹿野目と一緒に住むと堂嶋が一方的に決めた時、鹿野目は引っ越すことも提案したが、別段今のマンションで事足りると思ったので、堂嶋はそれには首を縦には振らなかった。それにしても平の所員である鹿野目が、リーダーの堂嶋よりも大きく見ればいいマンションに住んでいるなんて、やはり独身貴族は素晴らしいなとまだ結婚手前であったが、堂嶋は思ったものだった。それにしても鹿野目がどうしてこんなにひとりで住むには広いマンションに住んでいたのか、堂嶋は良く知らない。何かの折に聞こうと思いつつ、その何かの折が今まで訪れないので堂嶋は知らない。

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