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第9話

それを鹿野目に尋ねる前から、亜子は泊まるつもりで色々持ってきたらしい。お風呂に入るのに鞄の中から、使っているシャンプーやらボディークリームやら色々と出てきて、それを見てぼんやりと堂嶋は改めて女の子だなと思った。鹿野目は亜子の来訪に少し驚いていたようだが、亜子が部屋の中にいるのにすぐに慣れたようで、堂嶋だけがここに住んでいるのに他人で、こんなことは言えないがほんの少しだけ居心地が悪かった。亜子がお風呂に入っている間、降り積もる沈黙をいつもはどんな風に処理をしていたのか、思い出せないみたいなことが、堂嶋のいつもの回路を鈍らせていた。 「ねぇ鹿野くん」 「なんですか」 「君、あんなかわいい妹がいたんだねぇ、吃驚したよ」 「かわいい・・・?」 鹿野目はやや不機嫌そうな声で答えて、首を傾げた。きょうだいとなると身近すぎて分からないのだろうか。亜子は髪の毛を染めていなせいでとてもきれいな真っ直ぐの黒髪をしていたし、白い肌に黒目の大きい瞳、化粧も服装も派手ではないが、ちゃんと女の子らしくてすごく好感の持てる外見だと思ったが、鹿野目はそうではないらしく、ピンときていない様子だった。 「それにしても似てないねぇ、君と」 「はぁ、俺は父親似でアイツは母親似なので」 「そうなんだ、君も亜子ちゃんくらい可愛げがあればいいのに」 「・・・―――」 眉を顰めて、鹿野目はそれに心底不服そうな顔をした。鹿野目には鹿野目のかわいいところがあるのは知っていたが、それは取り敢えず今脇に置いておくことにする。堂嶋がそうやって笑っていると、眉を顰めた鹿野目にがっと腕を取られてはっとした。 「・・・なに?」 「亜子、何で泊めていいって」 「え?だって帰すわけにいかないだろう、外真っ暗なのに!」 「俺は悟さんが帰してくれると思ったのに」 やや視線を落として、鹿野目は小さく呟いた。何を言っているのか分からないと思いながら、堂嶋はどうしてさっきまで亜子との会話はスムーズだったのに、自分はこうも鹿野目と擦れ違ってばっかりなのだろうとぐるぐる考えながら思った。 「俺は全然足りてないのに、もっと悟さんに触りたかった。折角今日早く帰って来られたのに」 「・・・あー・・・」 なんだそんなことかと思いながら、口にしたらそれはまた鹿野目の眉間の皺を増やすのだろうと思った。そういうことを恥ずかしげもなく言ってしまえるところとか、むしろ隠そうとする意志の全くないところとか、堂嶋は鹿野目のそういうところは分かりやすくて好きだと思った。 「ま、まぁ、そういうことはさ、まぁ休日にでもしたらいいじゃないの、かな」 「そんなこと言って、悟さん最近休日出勤多いから」 「あれねー、俺も嫌なんだけど、まぁリーダーだからね、しょうがないよね」 今日も柴田と一緒に事務所に帰っていれば、もしかしたら休日にまで仕事をしなくていいのかもしれないが。そういえば、その柴田は他のリーダー連中よりも遥かに休日に出てきたがらなくて、それで毎日のように残業している節がある。そうはいっても、結局忙しい真中との会議とか、平日にできないことは休日に出てきてやるしかないみたいであるが。その回数も、おそらく柴田が副所長になってから増えているのだろう。休日でも時々柴田の姿を事務所で見かける。考えながら堂嶋は、弱気なこと言って俯く鹿野目の頭を撫でた。相変わらず撫でやすい後頭部だと思った。鹿野目の髪型がツーブロックと呼ばれるものだと言うことを、堂嶋は最近知った。時々ざりっとした感触を指先が捉えるのはそのせいだ。 「あら、お邪魔だったかしら」 ふと後方から声が聞こえて、堂嶋ははっとして振り返った。もこもこのピンク色のパジャマに着替えた亜子がそこに立って、にこにこしながらこちらを見ている。 「あ、いや、べ、別に何もしてないよ!仕事の話を、していたんだよ、ね?鹿野くん!」 「別にいいのよ、堂嶋さん。お兄ちゃんも」 「いやよくないよー、全然よくないよー、亜子ちゃんの気のせいで思い過ごしだよ!」 「ふふ、私、壁の方向いて耳を塞いどいてあげましょうか」 「亜子ちゃん!」 耳まで真っ赤にして堂嶋が抗議をするのを、亜子はふざけたことを言いながら、にこにこしながら見ていた。兄とは違い、亜子は良く笑う女の子だった。鹿野目も何か反論をしろと、堂嶋が振り返ったところで、鹿野目は顎の下に手をやって神妙な顔をしていた。 「悟さん、亜子にそうしてもらっておくという方法もありますね」 「ないよ、そんな方法は!馬鹿か、君は!」 寝る場所をまたどうするかで、堂嶋は困った。いつもは鹿野目のベッドでふたりで眠っているが、そんなことは亜子には勿論言えず、にこにこ笑いながら黙ってこちらを見ていた亜子は、もしかしたら半分以上気付いているかもしれないが、それを堂嶋は嫌でも肯定するわけにはいかない。仕方がないのでリビングに布団を敷いて、3人で川の字になって寝ることにした。しかし血縁関係のある鹿野目は兎も角、自分は普通に男なのだが、女子大生と同じ部屋に眠っていいものかと堂嶋は考えたが、亜子の方は全く気にしていないみたいだった。それはそれで全く男として見られていないようで、全くそんな気はないのだがそうは言っても落ち込むと、堂嶋はどうでもいいことにどうでもよく傷付いたりしていた。 「ふふ、修学旅行みたいね」 「悟さん寒くないですか、夏用の布団ですけど」 「大丈夫、毛布かけて寝るから・・・でも俺ここで寝ていいのかな、ほんとに」 「亜子のことは気にしないでください」 「そうよ、堂嶋さん。お兄ちゃんも。私のことはいないと思って盛り上がってくれてもいいのよ」 「亜子ちゃーん・・・」 「ふふ、冗談よ、堂嶋さん、ごめんなさい」 そう言ってにこにこ笑う亜子の本心など、堂嶋にはよく分からない。全部知っていると豪語したみたいに、鹿野目の性癖のことは良く分かっているようだったが、そういうことを誰かに鹿野目が話したりするなんて、少し意外だなと堂嶋は思った。基本的に鹿野目は無口で何を考えているのか分からない節がある。誰かにそんな自身のプライベートなデリケートなことを話すなんて、誰かに、それが家族で妹なら尚更分からないと堂嶋は思った。亜子は鹿野目のことを好いているようだったが、だから鹿野目も亜子には話しているのだろうか。亜子とは違って色の抜かれた鹿野目の髪の毛を見ながら、堂嶋はひっそり思った。 「じゃあおやすみなさい、お兄ちゃん、堂嶋さんも」 「おやすみ、亜子ちゃん」 鹿野目が隣に横たわっているせいで、その向こうに眠る亜子のことは良く見えなかったが、暗がりに亜子の声がそう言うのに、堂嶋はそっとそう呟いて答えた。鹿野目の声は聞こえなかった。

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