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第12話

「どうなってんだよ、お前朝から!」 柴田の怒号が事務所内に響いて、堂嶋はびくっと肩を竦めた。椅子に座ったまま柴田は堂嶋を見上げる格好で、眉間に深く皺を刻んでいた。 「何回同じミスすりゃ気が済むんだよ!新入社員かテメェは!」 「すいませ・・・」 「もういいわ、俺が直す、原本メールで送ってこい」 「いや、でも」 「うるせぇ、早くしろ!」 また怒鳴られて、堂嶋は足を2,3歩後退させた。柴田に怒鳴られることはいつものことだったが、今日は一段と勢いが強い。おそらく柴田の機嫌が悪いのと、ミスが重なったのが原因だろうと思いながら堂嶋は下唇を噛んだ。仕事を山ほど抱えているとは思えないくらい小奇麗に片付いた柴田のデスクを挟んで、その主は鬼のような形相をしてこちらを睨んでいる。やはり今日も一層顔色が悪い。 「柴ちゃん、ちょっと声大きいですよ」 「はぁ!?」 暢気な声が聞こえて、柴田の目が一層吊り上る。それからワンテンポずれて後ろから急に肩を掴まれて、堂嶋はふらふらと体をよろけさせながら振り向いた。真中が困ったような顔をしてそこに立っていた。今日は柴田だけでなく、真中も事務所にいたのか、珍しいこともあるものだと堂嶋は今自分が置かれている状況から逃避しながら考えた。すっと肩から真中の手が離れる。 「上司にはぁって言わないでクダサーイ」 「真中さん、アンタ出てくるとややこしくなるから黙っていてください、俺は堂嶋と話をしているんです」 「話なんかしてないだろう、一方的に怒鳴りつけて、俺のかわいいサトがびびってんだろう、可哀想に!」 「茶化すなら向こう行けよ・・・」 「分かったからせめて敬語は使ってよ、柴ちゃん」 笑いながら真中は言って、黙ったままの堂嶋の肩をぽんぽんと叩いた。柴田の目はまだ不服そうに歪められていたが、少しだけその勢いがおさまったような気がした。ふっと見上げる。真中は背が高いから、堂嶋はいつも見上げないといけなかった。 「サト、お前、ちょっとこっち」 「真中さん、まだ話は終わって・・・」 「お前が直すんだろう、直せ直せ、後で俺にも見せてね」 「・・・―――!」 声にならない声で柴田がデスクを拳で叩くのに、堂嶋は何と言って良いのか分からなくて、真中は手を引っ張って所長室へ連れて行こうとするし、もう全くどうしていいのか分からないでいた。柴田の顔は怖かったが、すっと顔を上げた時に怒りよりも何よりも先行するものがあるらしく、堂嶋に分かるようにジェスチャーで真中について行けとサインを出して、呆れたみたいにデスクに座り直すのが見えた。堂嶋の腕を真中が引っ張る。そして柴田の隣にあるそこだけ事務所から隔離された所長室に、半ば強引に押し込まれた。リーダーになって柴田と話すことが増えたみたいに、真中と話すことも増えたけれど、仕事の話は沢山する割に、それ以外の話は何にもしなくて、そういえば所員の時はどうでもいいことを真中が時々話に来てくれたりして、そうやって様子を見られていたのだなぁと随分後になって思った。会議で堂嶋と名字をきちんと呼ばれるようになって久しい、そういえば入ったころは真中にはサト、サトとまるで犬でも呼ぶように呼ばれていたことを思い出した。 「いやー、柴ちゃん今日荒れてんなぁ、怖すぎだろ」 所長室の椅子に座りながら、真中は大袈裟に言ってはははと笑った。確かに柴田の機嫌は朝から悪かったけれど、概ね自分のミスのせいで荒れているのだと言いたい唇を結ぶ。 「サト、大丈夫か、青い顔して。お前」 「すいません、真中さん・・・俺が全面的に悪くて・・・柴さんは何にも」 「そうでも言い方ってもんがあるだろう、あいつもアレだな、自分が良く見えすぎるからそうじゃない部分の気配りができないっつーかなんつーか・・・」 そこで真中はふっと言葉を切って、デスクの上で組んだ指の形を変えた。柴田のデスクと違って、真中のデスク周りは乱雑に物が積み重なっており、お世辞にも綺麗にはされていなかった。それもそういえば久しぶりに見るようだと堂嶋は何気なく視線をやっていた。 「まぁお前さ、最近色々あったじゃん、お前があんまり気丈だからさ、皆もういいって思っているのかもしれないけど、何か色々大変だったよな、たぶん」 「・・・あぁ・・・はは・・・」 真中の言っていることが、咲とのことだということに気付くのに、少しだけ時間がかかった。堂嶋が結婚間近であるというのは事務所内のほぼ全員が知っていたと思うし、それが破談になったことも、ややあって結局は皆が知ることになった。別段、隠す必要もないと思っていたので、堂嶋はそのことを特に意識したことはなかったけれど、真中の言い方では、真中はそれを気付いていて心配してくれていたらしい。真中はそういうことが兎角気になる人らしく、それはやや過剰とも思えることがあったが、心配されていたことは純粋に嬉しいと思った。そんなことを思える権利があるのかどうか分からなかったが。 「大丈夫です、そのことはもう、終わったことなので。それに仕事とはまた違う話だし・・・」 「お前は偉いな、サト。俺なんかなんでも公私混同しちゃうから駄目だな、見習うわ」 そう言って笑った真中は氷川のことを言っているのだろうかと、堂嶋は少しだけ思った。一度だけ氷川の仕事を柴田と一緒にやったことがある。あれ以来、氷川のクレジットを事務所の中で見ることはなくなった。時期的にただ一緒に仕事をするタイミングではないのか、意図的に真中が操作して外した結果なのか分からない。誰もそれを真中に聞くことが出来ないから、誰もその真意は知らない。 「まぁ気持ち的にもう整理ついているんならいいけど。ごめんな、俺ももうちょっと考えてお前の仕事抜いてやれば良かったのに、柴ちゃんがお前のこと好きだから結局一緒に組ませてばっかで」 「・・・いえ、俺の方こそ心配かけて申し訳なかったです」 「ん、サトは偉いな、偉くて気持ちの強い子だ」 椅子に座ったまま、真中は優しく笑って、堂嶋はそれを見ながら涙が出そうだと思った。気を抜いたら子どもみたいに声を上げて泣いてしまうと思った。 「今日はもういいや、もう帰れ、ゆっくり休んで、明日またちゃんと柴と話をしな」 「・・・真中さん」 「ちゃんとアイツにも言っとくから。納期まだだろ?柴のことだから余裕見て組んでるよな、だから1日2日遅れても大丈夫」 確認しないで勝手にそんなことを決めてと堂嶋は思ったけれど、真中の言うとおりだったので何も言えなかった。氷川と真中が不思議な関係で結び付き合っているみたいなこととはまた別次元で、真中と柴田はツーカーなのだと分からせられたような気分だった。 「・・・真中さん」 俯いて堂嶋は、小さく声を漏らすのが精一杯だった。

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