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第23話
「堂嶋さん最近元気ないな」
不意にそう呟いたのは、隣の席に座っている佐竹だった。佐竹は軽い物腰とお喋りが達者なせいで、ひどく鈍感で図太く思われがちだったが、意外と人の心の機微には敏感で、真中みたいにそういうことによく気付ける人だった。その佐竹が言うのだから、多分当たっているのだろうと思いつつ、鹿野目は堂嶋の方に視線を向けた。堂嶋は事務所の隅で柴田と向かい合って立ったまま喋っている。離れているので声までは聞こえないが、柴田の表情が優れないが悪くはないので、怒られているわけではないらしい。堂嶋はというと、柴田と向かい合ってその頬を嫌に白くして頷いたり短く何か話したりしている。
「そうですか?」
「んー、何か最近あんまりからかってもばたばたしないし」
「ばたばた?」
「なんか堂嶋さんってばたばたするじゃん、焦ると」
言いながら佐竹は、器用に口角だけを上げる。よく分からなかったので、鹿野目はそれに首を傾げて答えた。佐竹は心外そうに眉を顰めて、椅子の背もたれに左肘を引っ掻けて鹿野目に向き直った。回転椅子が体重をかけられてぎしぎしと嫌な音を立てて軋んだ。
「なんだよ、鹿野。お前何にも分かってねぇな」
「・・・あぁ・・・はぁ」
何となくそれは理不尽だと思ったが、鹿野目は反論するのも面倒臭くて適当に返事をした。佐竹はそういうことにはいちいち突っ込んでこないので、話を流す分には楽だった。佐竹は頭の上で手を組むとくるりと椅子を回して柴田と堂嶋のほうに向き直った。
「よし、飲み会でも開こう。パーッと飲んで元気出してもらおう」
「・・・佐竹さんは飲みたいだけなんじゃないですか」
「お、言うようになったな、鹿野!」
頬を引っ張られて、鹿野目は思わず眉間に皺を寄せたが、そんなことは全く気にする素振りなく、佐竹はにやにや笑っているだけだった。佐竹が堂嶋を多分本当の意味で心配しているのは分かっていた、どんな薄っぺらい言葉を並べても佐竹は結局そういう人だったからだ。堂嶋はまた懲りずに柴田と組まされているらしく、班のメンバーも半分くらいはそっちに持って行かれている。最近帰ってくるのが遅くて、疲れて眠たそうな堂嶋とあまりゆっくり話すことも出来なくて、何となくやきもきするが、それを堂嶋に伝えるわけにもいかなくて、鹿野目は仕方なく堂嶋が帰ってくるのをただ待っている。
「そうと決まれば早速皆の予定、調整しといて」
「決まればって・・・何が決まったんですか?」
「徳井は今堂嶋さんと一緒に動いてるから頼めねぇんだよ、だからお前」
「そんな一方的に」
「いいんだよ、堂嶋さんにはちょっと一方的くらいの方が」
言いながら佐竹が笑って、椅子がまたぎしぎしと嫌な音を立てた。鹿野目はそれに小さく溜め息を吐いて、ふっと柴田と話を続けている堂嶋を見やった。そういえば、堂嶋と酔っぱらった女子大生のキスの現場を押さえたのは、佐竹が強引に設定した飲み会だった。口では文句を言いながらも、なんだかんだ優しいその人は、結局それに毎回巻き込まれている。文字通り堂嶋は巻き込まれているのだ。一方的だとそういえば何度も言われたことがある、そのことをふと鹿野目はその時思い出していた。流されやすい堂嶋には身の回りのことを一方的であると感じることがきっと多いだろう、けれどそれを差し置いてもまだ、鹿野目との関係は一方的だったし気持ちは一方的だった。鹿野目は堂嶋を見つめる目を少しだけ細めた。最近はあまり聞かない、堂嶋はにこにこ笑っているだけだから、時々呆れたように溜め息を吐いても、にこにこ笑っているだけだったから、鹿野目は許された気になっている。それ以上掘ると良くないことが出てきそうで怖くて。
「ワイン飲みてぇな久々に、ワインバーみたいなとこにしよ」
「・・・はぁ」
ぼんやり考えていると、隣の佐竹は仕事を放り出してインターネットで飲み会の場所を調べているみたいだった。まだ勤務時間中なのにと、鹿野目は思ったが、いかんせん先輩なので、馬鹿正直に注意するのも気が引けた。仕方なく見て見ぬふりをする。
「鹿野、お前ワイン飲める?」
「まぁ一応、味あんまり分かんないですけど」
「いいんだよ、別に味なんかなんでも」
はははと佐竹がパソコンを見たまま、軽快に笑い声を立てる。鹿野目はそれを見ていた目を、また堂嶋に戻そうとした。しかしさっきまで事務所の隅に立っていた堂嶋は、既にそこにはいなくなっていた。鹿野目は視線を柴田のデスクに移す。堂嶋と話していた柴田はデスクに戻っていて、険しい顔をして何やら見ている。堂嶋との話はどうやら終わったらしい。
「なにやってるの」
ふと声が降ってきて、鹿野目は顔を上げた。すると佐竹の隣に堂嶋が立っていて、呆れたみたいな顔をして、佐竹のパソコンの画面を指さした。
「いやぁ、なんか寒いし飲み会でもしようかと思って」
「また君はそんなことばっかり」
「いいじゃないですか、堂嶋さん最近元気ないし、景気づけにぱーっといきましょうよ」
「そんなことないよ」
反論する声は、覇気がなくて確かに随分と疲れている。それを鹿野目は注意深く観察しながら、面倒臭そうに佐竹の相手をする堂嶋を見ていた。確かに堂嶋は眉間に皺を寄せて目の中に影を落とすだけで、佐竹が言うみたいにバタバタする元気もないようだった。
「そんなことないなら堂嶋さんも来てくださいね、元気なら参加してくださーい」
「いやだよ、なんで」
「鹿野が日程調整してくれてるんで、日にち決まったら連絡しますね!」
明るく佐竹が騒ぐのを、困ったみたいに見ていた堂嶋は、その隣でその様子を見ていた鹿野目の方にすっと視線を移し、それが交差するとまるではじめからそうだったみたいな自然さでそれを反らした。別段、事務所の中で特別扱いをされることはなかったので、鹿野目はそれを無理には追いかけなかった。そして反らされたことをいい事に、その頬をじっと見つめる。
「堂嶋さん、金曜日なら大体オッケーですよね」
「どうだろう、土曜に仕事が入ってなきゃいいけど・・・っていうか俺行かないから」
「来ないんですか!堂嶋さんのために開くのに!」
「君は飲みたいだけだろう」
鹿野目は佐竹と堂嶋がいつものようにそんなくだらないやりとりをするのを、ただ傍でじっと聞いていた。佐竹が言ったみたいに堂嶋は、いつもより少しだけ元気がないようにも思えたけれど、連日柴田と飛び回っていることを考えてみれば、それはただ単純に疲れているだけにも思えた。視線を自然に反らされたことも、別段不思議ではなかったからそんなに心配はしなかった。ただ遠くにいる時には白いと思った堂嶋の頬は、近くで見ると青白く染まっていて、その色は何だか見たことがないような気がした。それに鹿野目は少しだけ嫌な予感がして、喉の奥が冷たくなるのを感じていた。
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