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第16話 虚しさ
その日、少し遅めに帰宅すると、玄関には律の靴しかなく、女の子の靴はなかった。
そのことに安堵して僕がリビングへ入ると、律が長い足を投げ出しソファで座っている。
「ああ、陽馬。ちょうど良かった」
「え? な、何?」
「母さんが買い物に出かけて留守番頼まれたんだけどさ。俺、今から出かけるんだわ。だからおまえ代わって留守番してて」
律はそう言うとソファから立ち上がった。
すれ違いざま、僕は思わず律の服の袖をつかんでいた。
「何? 陽馬」
「…………」
言いたいことや聞きたいことは色々あるのに、なかなか言葉になって出て来てくれない。
「どうしたの?」
この手を離すと律は出かけてしまう。
きっと女の子と会うのだろう。
そう思うと何故か僕の胸はモヤモヤとした。
モヤモヤの正体は分からないが決して愉快な感情ではないことだけは確かだ。
そして僕の唇はその問いかけを発していた。
「……どうして、僕にあんなこと、するの?」
「あんなこと? ……ああオナニーの指導のことか」
そんなはっきりと言わないで欲しい。
僕が真っ赤になってうつむいていると、律の手が頭に乗せられた。
その手で何度か僕の髪を撫でてから、律はあっけらかんと答えた。
「可愛いから」
「は?」
「おまえの反応が可愛いから、ついね、手が出ちゃうんだよ」
律は小首を傾げるようにして笑うと、僕の手を自分の服の袖からゆっくりと離す。
「じゃ、な。日付が変わる前までに帰って来るから。心配しないように母さんに言っといて。父さんはもう慣れてるから」
そして僕の傍を擦り抜けリビングを出て行った。
僕はと言えば、律の返答のトーンの軽さに力が抜けて、そのままカーペットの床へ座り込んでしまった。
律にとってあの行為は大した意味もないこと……はっきりそのことを突き付けられて、僕の心に虚しさばかりが募る。
「律の馬鹿」
彼が出て行ったリビングの扉に向かって僕は小さく呟いた。
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