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第2話

 外に出て、本館の方へ歩く。無言だ。  図書館を出ると中庭があり、中庭をそのまま真っ直ぐ進むと本館への入り口がある。中庭に面する形で図書館、本館、教員棟が併設されている。大学は斜面に建てられている為、図書館側の入り口から入ると本館の三階に出る。俺達が次の講義で向かう教室はその本館の一階部分にある。  今日の天気は晴れなので、中庭で過ごしている学生もちらほらいる。寒くなってきたとはいえ、日差しの暖かさは健在のようだ。  残り時間を中庭にある時計で確認し、本館入ってすぐの休憩スペースに二人を誘導する。良かった、人いない。  丸テーブルに椅子を三人分持ってきて座るようにすすめると、二人はお互いを睨みながらも座ってくれた。湊は頬杖をつきながら、先輩は腕を組ながら、ふんっとお互いから目をそらす。お互いの事を何も知らない状態でここまで反発し合うのも珍しい。  それに苦笑いしつつ、二人の間に入れるように自分も座る。 「新垣先輩は先輩だぞ、とりあえず自己紹介しろ。」 「………チッ。」 「舌打ちすんな!」  頬杖をやめ、やっと顔が此方を向いた。相変わらず不機嫌なままだが、ちゃんと目線は先輩に向いているようだ。 「失礼な奴だなこのチャラ男は。」 「そのチャラ男呼びやめてくれない?…井ノ上湊、雪哉と同じ二年で心理コース。」  眉がピクッと動いたが、深呼吸して自分を落ち着かせている。元来湊は穏やかな性格だ。先程までの事を反省し、冷静に話そうとしてくれているらしい。 「コースが違うのか。」 「あ、湊とは高校が同じなんですよ。」 「そうか。」  同じ大学を目指していると知った時は驚いた覚えがある。ちゃんと自分で望んで希望出したのか再三確認したなあ、と懐かしく思う。 「ちなみに俺は仁田雪哉です!!」 「知ってる。」 「どうして今言ったの?」 「言う流れかなって。」  なんだそれ、と二人が少し吹き出した。良かった、ちょっと空気が緩和した気がする。これなら先程よりは落ち着いてきて話が出来そう… 「ちょっと、同じ反応しないで欲しいんだけど。」 「真似したのはそちらだろう。」 出来ると良いなあ。 「で、そっちは?」 「新垣一維、三年だ。雪哉と同じ文学コースでゼミも同じだ。」  湊は、ゼミの先輩…と呟いてから、右手を口許に当てて難しい顔をする。 「やっぱり同じコースにしておくべきだったかな…。」  コース選択の時にも散々揉めた件がぶり返してしまった。  俺達の大学では2年の後期から希望したコースに入り、そこからまた細かく専門的に学びたい分野のゼミに分かれる。確か湊のゼミは社会心理で、俺と先輩は日本近代文学だ。  湊はどうしても俺と同じゼミが良いと言い、希望調査で一度日本近代文学と書いて提出してしまった事がある。にこにこと「これで一緒だね」と微笑んできた湊を一回殴って提出し直させたのだ。あの時は本当に焦った。手を出してしまったのは悪かったと思うが、あのままで通ってしまう事の方が良くない。 「湊、勉強で必要な時以外本とか読まないじゃないか。それに心理で学びたい事あったんだろ?」  自分の本当に学びたい事を疎かにして友人がいる方を選ぶ、そんな事したら嫌いになると怒鳴ったのも覚えている。 「そうだけど、こんなでかい虫が出るとわかってたら自分の事より雪哉を優先したよ!」  先輩を指差しながら身を乗り出して言ってきた。指差されて虫呼ばわりされた先輩は顔をしかめている。  俺も顔をしかめる。自分の将来に関わる事で自分ではなく他人を理由に動く、それは許せない事だ。あの時散々言って納得してくれたと思っていたのに、また言った。机を片手でドン!と叩く。  それに驚いた二人が此方を見る。湊と目が合い、俺が本気で怒っているとやっと気づいたのか、湊はあっと小さく言って俯いた。  先輩は俺と湊の様子から何かを察してくれたのか黙って見ていてくれた。 「だから俺のせいでお前が全く望んでない分野に入るのは嫌だって前も言っただろ!いいか、後で後悔するのは湊なんだぞ。俺を理由にするな!」  以前と同じように怒ると、うっと気圧された湊は指を引っ込めて座り直した。はあ、と息を吐いてから、ぽつぽつと口を開く。 「ごめん…わかってるよ。雪哉を理由にしないで…本質を見失わないように、ちゃんと自分が何をしたいか、きちんと考えて、…決めたんだもんね。」  湊は両手で顔を覆い、はーっと息を吐いてからパンッと一度頬を叩く。頬が少し赤くなっている、強く叩き過ぎではないだろうか。 「駄目だなあ僕、すぐに熱くなって大事な事忘れちゃう。気を付けるね。」  罪悪感からか、弱々しく微笑んでいる。すぐ反省してくれるのは湊の美点だ。 「…わかってるならいい。」 「うん。…でも、側にいたいのも本当なんだよ。こういう悪い虫がすぐ湧くし。」  静観していた先輩の眉がぴくっと動く。このまま先程の先輩からの告白も二人のいさかいも流れて終わってくれるかと思ったがそうはいかなかったようだ。 「あと先輩を虫呼ばわりしない!」 「いやこいつは紛れもない害虫だよ!」  また先輩を指差した。指されるがままだった先程と違い、先輩はその指をぺし、と払う。払った手が湊の方へ伸びると、湊の胸ぐらを掴みあげた。そのままぐいっと引き寄せ、湊が先輩の方へ引っ張られる。う、え!?といきなりの事に湊はバランスを崩して机に寄りかかる。咄嗟に手をついたが、つらそうな体勢だ。  何々何だ何だと俺も驚いて止めに入る。 「せ、先輩、確かに言い過ぎですが暴力は。」 「安心しろそんな事はしない。…井ノ上だったか?虫とは失礼だな。俺が虫ならあんたは何だ、埃か?」 「埃………埃!?」  黙っていてくれた先輩も何度も虫呼ばわりされたのは流石に我慢なら無かったらしい。なかなかにキツイ返しが返ってきた。さらに湊の顔に近づき、無理矢理目線を合わせ睨み付けている。 「長期間放置しすぎて油のようにぎとぎとと纏わりついたあの黒い埃がお似合いだろう。」 「なっ、なっ、ななな…!」 「いい加減、掃除されて除去されたらどうだ。」  パッと胸ぐらが離される。瞬時に離れた湊の顔が怒りか恥ずかしさで赤く染まっている。パクパクと口を動かしているがそこから声が出ていない。 (え、湊が口で負けるって珍しいな。)  普段物腰柔らかな分、湊が怒ったり罵倒すると必要以上に驚かれてしまうからか、あまり言い返してくる人はいない。湊自身の口もかなり回る方の為、基本的に一方的になりがちだ。なので、こんなに思いっきり言い返してきた人は俺を除けば先輩が初ではないだろうか。  先輩はそのまま腕組みをして座り直した。じっと湊を見つめている。その表情はむすっとしているが…胸ぐらを掴む程怒っているようには見えなかった。まるで、さあどうすると出方を窺っているような。何を考えての行動なんだろう。 「って、感心したり考えてる場合じゃなかった!先輩煽んないで下さいよ!」 「煽ってない。」 「煽ってます!」 「大丈夫だ、黙って見ていてくれ。」 「……?」  本当に何を考えているんだ?本当に今日の先輩の思考と行動が読めない。告白といい湊との口論といい…。………、………そうだった。  湊と先輩の口論で忘れそうになったが、俺はこの先輩に告白されているのだ。それを思い出しそうになると顔に熱が集まってくるので必死に首をふって熱を引かせようとする。 (それにあの告白、ちょっと気になった事もあったし…。)  しかし、今はそれを考える時ではない。現状を打破しなければ。  手が出るとは思わないが恐る恐る湊の方へ視線を戻す。顔を俯かせて両手で拳を握って震わせている。きっと顔を上げ先輩を睨み付けた。 「ぼくが、僕が埃、だってぇ…!?」  …危ないかもしれない。かなり怒っている。こんなに怒っている湊はあまり見たことがない。  今までも俺が誰かと仲良くしていると割って入ってきたり、遠ざけてきたり、不機嫌になる事はあったがここまで誰かと揉めるのは俺の知る限り初めてだ。 「ああ、そっちが先に虫だなんだ言ってきたんだ。言い返すくらい良いだろう。」  まあ確かに最初に失礼な事を言ったのは湊だ。それで言い返したならイーブン…になるのだろうか。  湊も先に言ったのは自分だと自覚しているらしく口ごもる。少しごもった後、かぱっと口を開けて反論をした。 「ぐ…。だ、大体、お前なんかに雪哉の恋人なんて役不足なんだよ!!おこがましい!!」 「なんだと………ん?」  一瞬眉間に皺が寄ったが、すぐに先輩は目を丸くしてぽかーんと口を開けた。え、何僕なんか変なこと言った?と湊もその反応に戸惑う。助けを求めるように俺の方を見る湊。しかし俺も、気づいてしまった為、ちょっと笑いそうになりながら片手で口を覆い、もう片方で待ってという意味で湊に向かって手を開いて見せる。  視界の隅の先輩も俺と同じように顔を俯かせ、肩を震わせている。 「っふ、ふふっ。」  先輩から堪えきれていない笑いがもれた。それが聞こえたのか湊も先輩を見る。つられて自分まで笑いそうになる。いかんいかん。 「え、何こいついきなり笑った。」  ぎょっとして若干引き気味だ。どうやら本気で気づいていないようなので訂正に入ることにした。湊、と名前を呼ぶ。此方を戸惑いながら見た湊に 「湊、それ褒めてる。」 と伝えた。褒めてる…?とおうむ返しした湊は、少し経ってから「あ」と呟く。伝わったらしい。 「えっ嘘もしかして使い方間違ってる?」 「役不足だと先輩は俺の恋人におさまる器じゃないって感じになるんだ。不足してるのは俺の方になるな。湊の言いたい事を伝えるなら力不足が正しい。」  意味を履き違えて覚えている事が多い日本語の一つである。  湊の顔が今度は恥ずかしさで赤くなる。目を右手で覆って「うわー…。」と声をもらす。 「は、恥ずかしい……え、ええええ…流石文系…。」 「いや湊も文系だろ。」  この大学文系の学部しかない。 「っく、ふふ…ははっ。」  先輩は未だに笑っている。 「あんたは笑いすぎ!いつまでツボってるの!?」 「いや、すまん…様子を見ようとしてたらまさかの…はははっ!」 「いつも仏頂面の先輩が腹抱えて笑ってる…貴重だ…。」  あの普段どこか達観した様子で動じずに成り行きを見守りがちの先輩が。予想外の所で笑わされて我慢しきれなかったのだろう。 「ぐぬぬぬぬぬぬ。」  悔しそうに唸る湊には恥ずかしさはあれど怒りはあまりなさそうだった。毒気が抜かれたのか先程までの危なそうな空気が霧散した。一触即発だった為、湊には悪いが間違えてくれて助かったかもしれない。 「い、ゴホンッ…言いたい事は沢山あるけど、とりあえず湊、敬語くらい使え。」  むせた。ンン、と整えてから声を出す。  これはずっと思ってた事だ。自己紹介すらしてなかった図書館では仕方ないとは言え、その後も敬語なしなのはどうかと思う。 「嫌だよ。例え先輩でも尊敬出来る人じゃないと敬語なんて使いたくないね。」  ふん、とそっぽを向く湊。普段はこんな事言わないので相当新垣先輩が嫌いらしい。どうしたものかなあ、と先輩を見ると、笑いはおさまったらしい。微笑んでじっと立っていた。なんだか機嫌が良いな。 「そうか?俺はあんたの事少し気に入ったぞ。」 「いぃ!?何で!?」  湊と一緒にぎょっとする。この短時間で先輩の中で何があった。 「熱くなってその場の勢いで失言して自滅したり、意味を理解せずに言った言葉で恥かいたり、見ていて面白い。良いキャラしてるなあんた。」 「面白がられてる!?」  確かに赤の他人が見たらあらら、と微笑ましい気持ちにもなったかもしれないが。当事者としてはいつ殴り合いに発展するかひやひやしてたので、渦中にいながら湊の事をじっくり見て反応しつつ楽しんでいた先輩にちょっと引いた。この人こういう所あるんだよなあ…当事者なのに他人事みたいに傍観する所が。 「あと、」  ピピピピピッ。ピピピピピッ。  先輩が続きを話そうとした時アラーム音が響いた。それも二つ。  一つは自分のだろう、寝ようとした時につけたものだ。という事はあと十五分で講義が始まる。  鞄からスマホを取り出し、アラームを止める。横目で、湊も同じようにスマホを取り出していた。もう一つのアラーム音は湊のだったらしい。  パンッと手を叩いて二人の注意を此方に引き付ける。 「はい!じゃあ講義の時間がやばいから今日はお開き!先輩はレポートやっててください俺らは講義に行くので!」  鞄を背負って、湊の背中をぐいぐい押す。湊は戸惑い俺と先輩の顔を交互に見てから俺に声を掛けてくる。 「ちょ、ちょっと雪哉。」 「急ぐぞ湊!色々言いたい事あるけどまずは講義だ!」 「え、あ、ああ…そう、だね。」  手に持ったままのスマホを見て、悩んでいる様子はあるが納得してくれたらしい。二人で休憩スペースの出口に向かう。 「それじゃあ先輩失礼します。」 「ああ、またな。」  振り返って先輩に挨拶をする。微笑んで返事が返ってきた。先輩の機嫌はすこぶる良さそうだ。 「二度と顔見たくない…。」  その反対に湊の機嫌は良くなさそうだ。はああ、と大きなため息をついている。 「俺はまた話したいな。」 「こいつホント何…何で僕にそんな事言ってくるの…。」 「気に入ったからな。」 「…行こう雪哉。」  湊は返事もせずに出口へと消えていった。慌てて追いかける。  無言だ。結局、二人の喧嘩(…喧嘩かあれ?)は終わったみたいだが終着点には着いていないような気がする。なんだかもやもやするのは俺だけだろうか。  教室に向かう途中、一階に降りる階段辺りで湊はやっと口を開いてくれた。 「僕、自分の事まともじゃないなって自覚はあるけどそれ以上にまともじゃない奴初めて見たよ。何あの自己中心性の塊。」  思わず足を止める。少し距離が出来てから振り返った湊も足を止めた。階段の一番上で止まっている俺たち二人の横を邪魔そうに何人もの人達が通りすぎていく。同じ講義を受ける学生だろう。  少し階段から離れる。教室の扉の正面にトイレがあり、そこの横に少しだけだがスペースがあるのでそこに移動した。 「まともじゃないって…そんな事ないだろ。先輩、いつも助けてくれるし同期とも仲良くしてるみたいだぞ。自己中なら孤立してるだろ。」 「いいや、あれは間違いなく自己中心的だよ。多分自分がこうと決めたら相手の事なんて考えないで突き進む奴だ。人の話だってまともに聞いてるか怪しい。」 「…。」  そうだろうか。どこか達観している所があるなとは思うが…。  先程、湊は後半、物凄く警戒した様子でいたが、俺には何故そこまで先輩を警戒するのかわからなかった。付き合いの長い俺よりさっき会ったばかりの湊の方が先輩の本質を捉えたという事だろうか。 「あいつかなり頭良いだろ、うわべだけ取り繕ってそつなくこなしてるけど実際は何考えてるんだか…怖いよ、あいつ。」  そう言った湊の顔は、恐怖からか少し青白いように見えた。 「あ、あとごめん雪哉、嘘ついちゃって。」 「嘘?」 「付き合ってるとかキスとかデートとか。」 「ああー…すっかり忘れてた。なんだ全部嘘か、なら良いや。」 「…………。」 「………。」  なんだその無言は。 「……全部嘘なんだよな?」 「ノーコメント。」 「おい!」  胸ぐらつかんで揺するが湊は頑として口を開かなかった。  後日。  ピロンッと小さく音が鳴った。自分のスマホを確認するが特に何も来ていない。という事は湊の方か。 「は!?!?何!?」  スマホを見ていた湊が突然大声をあげた。教室にいた人の視線が一斉に集まる。講堂のような広い教室ではなく会議室のような場所だった為、教室中に声が響いてしまったらしい。  横から画面を覗き込むと、よく使っているSNSアプリの画面で、トーク相手の名前は…新垣先輩だ、先輩からのメッセージが届いていた。 「よお、モブで虫の先輩だ。(笑)」 「言えなかった気に入った点の続きだが。ちゃんと反省して謝罪が出来る。当然の事だがなかなか自然と出来る事じゃない。人の事をモブだとか虫だとか言うのはいただけないが、悪いやつじゃなさそうだ。」 「面白いから敬語じゃなくても構わないぞ。」 「雪哉の事は渡すつもりはないがあんたとは仲良くしたいな。」  文章の尻にはなんともまあ腹が立ちそうなニコニコ顔の顔文字がついていた。この人なかなかの愉快犯だったなあそういえば。一見するとクールで無愛想な淡白な人なんだが、一度懐に入れると表情の変化は少ないのに行動が大胆になり、ことあるごとに絡んでくるようになるのだ。  俺も初対面で気に入られて今に至る。湊も相当気に入られたようだ。 「何で僕のアカウント知ってるのこの人!!??しかもなんだこの顔文字腹立つううう!!」 「あっごめん俺が教えた。」 「ゆーきーやー!!!」  図書館の一件があった日の次の日くらい、先輩と偶然帰りが一緒になってその時に教えたのをすっかり忘れていた。因みにその日、湊はバイトだった為帰りは別々だった。  先輩は仲良くしたいと言っていたし、湊の先輩に対する苦手意識が交流していくうちに消えればいいなと軽い気持ちで了承したのだが…。 「不味かったかな。」  「あ~……もう………。良いよ、うん。」  嫌々ながらも湊は了承してくれたらしい。タタタッと何かを打ち込んでスマホを鞄にしまった。 「何て送ったんだ?」 「あっそう。って送った。」 「無愛想…。」 「無視しないだけマシでしょ。今度から人のアカウント勝手に教えないでよね。」 「わかった、ごめん。」  やはり本人の許可を取るべきだった、と反省する。  しかし、何はともあれこれで湊と先輩に接点が出来た。もやもやしたが、これで終着点に辿り着ければ良いなと思う。仲の良い友人と仲の良い先輩が仲良くなれば三人で遊んだりも出来る。  と、勝手ながらそうなりたいなと思う。楽観的かなと思いつつこれからの事に思いを馳せつつ講義を受けた。  しかし、事態は俺が思っていたよりややこしい事になっていたらしい。 「おい仁田!お前三年の先輩と井ノ上と二股してダブルブッキングしてバレてしばかれたってマジか!?」 「ヴァッ。」  一人で食堂でゆっくり昼食を食べていたら、ゼミで同期の友田が血相変えて話しかけてきた。早歩きで此方に来たと思ったら空いていた俺の目の前の席にお盆を置き、上記の言葉を言ってきたのである。  なかなかに混雑してる時間帯だったので周りの席に座っていた人の視線が集まる。その反応もなんだか気持ちの悪いものが多かった。ああ、あの…という感じに。え、知ってるのか? 「ゴメンチョットヨク聞コエナクテモウ一回言ッテ?」 「なんだよ仁田突発性難聴かぐぇ!?」  話の途中で友田の顔を右手で鷲掴みにした。そのままぐぐっと力を込める。 「そのネタはもういいんだよ…。」 「痛ッイッタタタタタタダダダ!!何!?何か気に触った!?ごめんよ!?」 「いいよ。で、なんだって?」  話の続きを促す。余計な事言ったらまた力込めよう。 「いやあの顔離し、痛い痛い痛いわかったわかったいいよそのままで!!お前が三年の先輩と井ノ上誑かしてそれがお互いにバレてしめられたって噂流れてるんだよ!」  なん、な、何だそれは。情報源は恐らくあの図書館での口論だろう。あの場には離れていたけど俺達以外にも人は居たし、三人で大声で色々ある事ない事言いまくったから、そこからなのは間違いない。しかし…。 「噂に尾ひれが何枚もついてとんでもないことになってる!」 「あ、やっぱりどっか違うんだなっダダダダダ!!力込めないで!!」 「違う。確かにちょっと揉めたけどそんな爛れた関係では決してない。誰だそんなありもしない事言い触らした奴。」 「お、オレも知らないよ、友達から聞いてびっくりして確認しに来たから…。」  顔を離してやる。二人して座り直し、昼食のラーメンをまた食べ始める。友田はチャーハンだ。 「……その友達、誰から聞いたって言ってた?」  恐る恐る続きを聞く。何だか先程よりラーメンが不味く感じる。 「先輩からって。でも他の友達も知ってたからかなり広まってる噂っぽいぞ。」 「まじか…。」 「個人名まで、とかその噂の人物が誰かまで広まってるのかは俺にはわからないけど、仁田や井ノ上を知ってる人は特定しちゃってるみたいだった。」  大学で滅茶苦茶過ごしづらい。はああ、とため息をつく。友田はごめん、と謝ってくるが友田は何も悪くない。むしろ噂に流されずに本人に真相を確認しに来てくれた辺り、かなり真っ当な人間だ。  大体の人間は噂を聞いても真相を確かめようとせず信じてしまう事が多いだろう。 「こういう時ってどうしたらいいんだろうな…。」 「あまり気にしないで過ごしてたら、一過性のものものだし消えてくんじゃないか。ほら、人の噂も七十五日って言うだろ?」 「冷静に考えてくれ、七十五日って長いぞ。二ヶ月半もある。」 「Oh…確かに…。」  友田は何かあったら相談しろよ、俺も周りの友達には誤解だって訂正して回ってみるから、と言って講義に向かった。  友田とは同期の中では話す方だったが、そこまで親密にしていた訳では無かった。にも関わらず、俺の事を心配して伝えてくれて、しかも誤解を解こうとしてくれている。 (良い奴って友田みたいな奴の事を言うんだろうなあ。)  人の悪意に触れたばかりだったのでその優しさが身に染みる。ちょっと涙ぐんできた。  とりあえず、湊と先輩にこの件について相談しよう。先は長そうだが、このままなにもしなければ大学生活がおじゃんになってしまう。  ラーメンを食べ終わってすぐに、二人に大学ではなく外で会えないかとメッセージを送る。なるべく大学からも離れた所が良いだろう。二駅ほど離れた所にあるカフェかファミレス、時間によっては居酒屋が良いかもしれない。   今日の自分の講義は五限目で終わりだ。三、四限が無いので二人の都合によるがその間にも話は出来るし、無理なら夕方だ。  食べ終わったラーメンの食器とお盆を返却口に返して食堂を去る。何だかじろじろと見られている気がする。噂を知ってしまったから気づいてしまったのか、自意識過剰なのか。自然と早足になる。どこか人がいない所で落ち着こう。  そこで、二人の返信を待ちつつ、良いお店が無いか探す事にした。

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