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第3話

「はああああ!?何そのふざけた噂!!」  五限の後、二人と予定が合った為三人で大学から二駅離れた街にある個室居酒屋に入った。平日だからか、予約無しで行ったが無事に入れて良かった。  個室は一つ一つ襖で分けられており、中は畳で掘りごたつがある。和風だ。襖なので隣か、またはさらにその隣からの笑い声とか話し声が聞こえてくる。自分達の話も聞こえてしまうだろうが、皆酔っているだろうしあまり気にもしないだろう。こもってうまく聞こえないし。  入口は暖簾がかけられている。足元の方は見えるるので、店員さんが忙しそうに行ったり来たりしているのが見えた。  机の上にあるタッチパネルから注文する形式らしい。入室してすぐ、最初の一杯と食事を何品か注文してから本題に入った。上座とか下座とか気になるので後輩二人で入口側に座り、先輩にはその正面に座ってもらった。別に気にしないんだが、と先輩は言うがマナーだしなあ。  SNSで、俺達に関しての良くない噂が流れているとは伝えたが詳細はまだだった為、二人が誰かから聞いたりしていなければこれが初となると思う。おおよその概要を話すと湊が机をダンッとやって冒頭の言葉を叫んだ。 「お、落ち着け湊。個室とは言えあまり騒ぐと良くないぞ。」 「これが叫ばずにいられる!?それじゃまるで雪哉がビッチみたいじゃん!!雪哉のどこがビッチで淫乱でド変態なのさ!!」 「声がでかい!!噂ではそこまで言ってない!!」  なんて事を叫ぶんだ。湊は怒り心頭に発している。ここ数日の湊は怒ってばかりだ。  湊の口を手でふさぐが、もごもごと未だに喋り続けている。 「二人とも落ち着け、水を飲め水を。追加で今持ってきてもらうから。」  逆に先輩は冷静だ。ピンポーン、と店員さんの呼び出しボタンが押され、遠くからはーいお待ちくださーい、と声がした。  湊は俺の手を口から離すと、先輩を指差した。 「そもそも貴方があんな場所で告白してきたからこんな事になったんでしょうが!?」  切っ掛けは確かにそれだ。その後周りの事を考えずに騒いだのが一番いけないんだが。 「それは誠に申し訳ないと思う。気持ちがはやってしまった。」  湊の指をぺし、と払いながら淡々と謝罪する先輩はとても落ち着いている。自分も噂の渦中にいるというのに、どうしてそんなに冷静でいられるんだろう。周りの評価等どうでもいい、と以前言っていたので今回の事も気にしていないのだろうか。  俺もそう考えられたら良いなあ。周りに流されないで自分を貫くのは難しい。 「とりあえず落ち着こう湊、血管切れるぞ。」  冷静な先輩を見てたら少し落ち着いてきた。立ち上がる勢いで憤慨している湊を落ち着かせようと声をかける。 「雪哉はいいの!?自分が誰彼構わず誘惑するドドドドド淫乱だって言われても!?」 「誰がドドドドドド淫乱だ!!噂でそこまで酷いこと言われてない!!さっきからわざとか!?」  もう一度湊の口を手でふさぐ。湊はこもった声でだって~…と、言うが何がだってだ。駄目だ全然落ち着けない。 「ドが一個多くなかったか?」 「え?確かドドドド…ドドドドドド?」 「いや違う、ドドドドドド…ん?ド、ドド…?」  言えば言う程混乱してきた。先輩も途中から数がわからなくなったらしく、二人して、あれ?と首をかしげる。 「ちょ、ちょっと待ったストップストップ。舌噛みそうになったからやめにしましょう。」  脱線してしまった。三人で話すと本題からどんどんずれるな。  額にあいてる方の手を当てて、はーっとため息をつく。これでお酒が入ったらもっと脱線するんじゃないか。お酒が進む前に話し合わなければ。  とんとん、と手を叩かれる。湊の口をふさいでる方だ。視線を湊にうつすと、口に当てられている手を指差しながら何かもごもご言っている。 「ふぁなひてひゅひは。」  …離して、だろうか。多分そうだろうな。 「変な事もう言うなよ。」  コクコク、と頷いた為手を外す。おしぼりで手を拭いていると、暖簾が動いて店員さんが顔を出した。 「あ、すみません店員さんお冷や三人分のおかわりお願いします。」 「はーい少々お待ちください!」  先輩が水を要求すると、にこっと可愛らしい笑顔で返事をした店員さんは持ってきた食事とお酒を置き、タタタッと去っていった。  何歳くらいなんだろ、可愛かったな…。また来てくれないだろうか。  ぼうっと店員さんの背中を見てしまう。そのまま暖簾側の方に体を向けてしまっていたが、はっとしてすぐに姿勢を戻した。今は浮かれてる場合じゃない。ンン、とわざとらしいが咳払いをした後話を続ける。 「友田が言うには、俺と湊の事を知ってるやつはもう特定してきてるかもしれないらしい。実際、気にしすぎな感じも否めないが、大学内を歩いてるだけでひそひそこそこそこちらを窺っている人達もちらほらいた。」  食堂を出てから大学内を歩いている時も講義中でもずっとだ。人の視線とは一度気がついてしまうとどうしても気になる。  噂に流されてそれで盛り上がるくらいなら別の事をしろと言いたい。時間の無駄だろう。 「その人達世界で一番無駄な時間を過ごしてるって気づかないのかな…他にやる事あるだろ…。」  はあ、とため息をつきながら頭を抱える。お酒でも飲もう。頼んでおいたビールをぐいっと飲む。  アルコールが喉を通って痛い。お酒は飲むようになったがこの痛みにはまだ慣れない。昔から炭酸も苦手だ。  俺が飲むと、二人も止まっていた食事と飲みを再開した。湊はカクテルを飲んでおり、先輩は…日本酒だ。お酒強いのか。  ぷはー、とビールを口から離してだん、と机に置く。そのまま額を机につけ、大きなため息をついた。 「僕はそこまで周り気にしてないからわかんなかったけど、雪哉は周り気にしちゃう方だもんね…。」  項垂れていると湊に頭を撫でられた。少しイラッと来たが抵抗するのも面倒臭くて放っておく。  周りの目を必要以上に気にしてしまうのは自分でも気付いているが、どうしても直らない。今のご時世少しでも隙を見せると揚げ足を取られてすぐに槍玉にあげられる。怖い。 「湊だって言う程平気じゃないだろう。」 「え、あー……まあ、うん。」 「俺も気にしないから気付かなかったな。」 「貴方はもう少し気にしてください。そもそも貴方が周りを気にすれば良かった話なんですから。」 「ははは。」 「何笑ってるんですか!」  湊が空いてる片手で先輩を指差したらしい。またぱしっという音が聞こえた。  先輩は俺とは違い周りを気にしすぎていないようだ。わが道を行くスタイルなのか。その図太さを分けて欲しい。  もう一度ため息をついてから机から額を離す。頭に乗ったままだった湊の手も離れた。ちらっと見ると湊のコップが空になっていた。届いていた次のお酒を飲み始めている。 「こういう時ってどうしたらいいんだろうね…噂話が聞こえてきたらその人達の所に突撃して逐一説明しても効果無いだろうし。」  湊の提案に二人して難色を示す。 「間違いなく気持ち悪いって思われて悪化するな。あと、訂正に必死過ぎて引かれそうだ。」 「なんだこいつってなるな、間違いなく。」  今後は湊がゴンッと額を机に叩きつけた。結構痛そうな音がしたが大丈夫か。 「訂正したいんだから必死になって当たり前でしょうが世間って厳しいなああああ。」  そのままぐりぐりと頭を動かしている。机が揺れるので止めて欲しい。こぼれないように飲み物だけ手に持って避難させる。ついでに飲もう。 「一回こういう標的になると何をしても悪い方へ悪い方へ解釈されるよなあ。」 「暫くは三人で会ったり二人で会ったりしない方がいいかもしれないな。少なくとも大学内では。」  先輩が飲み物を飲んでから言った内容は無難な対抗策に感じた。 「やっぱり先輩もそう思います?」  現状出来るとしたらそれかなあと同意する。耐久戦になるが。しかし、「待った」と湊が手だけあげて止めに入ってきた。顔を上げた湊の額は少し赤くなっている。強めに叩きつけた後ぐりぐり動くからだ。それ痛くないか?と聞くとわりとひりひりする…と返ってきた。 「それはそれで噂通り僕と先輩も険悪で、雪哉も浮気がバレたから疎遠になったって感じに解釈されちゃいません?」  逆に裏付けられてしまう可能性があった。湊の言った事はあり得ない事ではない。  先輩もなるほど、と納得した顔をしている。 「確かに…噂の出来事が起こった結果俺達三人の関係がどうなってしまっていれば大衆が望んだ形なのかは考慮した方が良いかも。」  客観的に考えてみよう。噂では俺が湊と先輩と同時に付き合っていて、それが発覚する、それで二人が対立して俺の事を恨む。拗れに拗れている。 「…そうだな、湊の見解通りかもしれない。」  先輩も俺と同じ結論に達したようだ。  空になった日本酒の酒器とおちょこを隅に置いた先輩の口許が珍しく笑っている。と言うかいつの間に飲みきっていたんだ。  ちょうど水を持って店員さんが来てくれたので、そのまま空になった食器も片付けてもらった。先程とは違う人だった。  何か名案はないか、と考えながら水を飲む。少し落ち着いてきた気がする。 「これはどうだ。今周りは雪哉が俺と湊を誑かしてる思っている。雪哉がどちらかと二人でいるとあ、こっちが選ばれたんだなって思われるだろう。そして俺と湊は険悪だと思われてる筈だ。」 「え、はい。」  タッチパネルで追加のお酒や食事を頼みながら、先輩が嬉々として言ってきた。ついでにまだ飲みきっていないが自分と湊も追加でお酒を頼む。  何か思い付いたのだろうか。 「そこで提案なんだが、俺と湊が仲良くしている姿を見せ続ければいいんじゃないか?」 「は」  湊がぽかんと口を開けたまま固まった。俺も湊程じゃないが驚く。 「その状態の後雪哉も加われば、あれ仲良いじゃないか?じゃああの噂おかしくないか?ってならないか。」  先輩が湊と仲良くしたがっているのは知っているのでなんとなくこれ先輩の願望も入ってるだろうなと感じた。 「拒否します!!」 「却下。」  湊がビシッと手を上げながら叫んだが一蹴される。 「却下を却下!僕は貴方なんかと仲良くしたくないです!!」 「なんで俺はこんなに嫌われてるんだ。」  うわーん雪哉~!と湊に抱きつかれる。ぎょっとして離れようとするががっちりホールドされてしまって逃げられない。もしかしてかなり酔っているのでは。  片付けられてしまったグラスもあるので正確な数はわからないが、視界にちらちら映っていただけでもいつもよりハイペースに飲んでいたかもしれない。顔をぐぐぐ、と押し返すが首筋に埋められたまま離れない。仕方なく力は入れたまま先輩との会話を続行する。 「初対面が最悪だったからでは?一触即発でしたし。」  顎に指を当てて、うーんと考える動作をしながら先輩は答える。 「俺としては結果的に好感触だったんだが。」  俺の首筋から顔を離した湊の顔は酔ってるせいか赤い。眉間に皺を寄せ、半目になり顎をつきだし、顔全体で先輩に対する嫌悪を露にする。 「は?何処が?貴方に対して嫌悪感しか出ませんでしたが?親しくなんてなりたくないですが?」  一気に捲し立てた。酔っているからかいつも以上にキツイ態度だ。  起き上がった湊はまたごくっとお酒を飲む。ダンッと空になったコップを机に叩きつけるように置き、机の下で足をぶらぶらとさせ、むすっとしている。 「でも敬語にはしたんだな。」  先程から気になっていた事を聞いた。前あれほど敬語は使いたくないと言っていたのに、今日ここに集合してからの会話では言い方はキツイが敬語になっていた。  ああ、それ?と湊は机の上に出していたスマホを指し、 「敬語じゃなくていいと言うのでじゃあ敬語にしてやるよって思いました。」  と言った。 「反骨精神の塊…。」  そう言えばそんなメッセージを先輩が送ってきていたなと思い出す。 「敬語の方がなんか距離がある感じがするし~周りから見てもなんだこいつって思われないからね~。」  ふにゃふにゃとした声色で笑いながら喋る湊は間違いなく出来上がっている。 「湊ってお酒弱いのか?」  その様子を見て無言で色々食べて飲んでいた先輩から疑問の声が上がる。  いつの間にか注文していた食事とお酒が届いていた。自分もつまんで飲む。 「普通…ですかね。今日はいつもよりハイペースだったので酔ったんだと思います。」  そうだろ、と湊に同意を求めるがこちらを意に介さずにこにこしながら自分の食事を食べている。とんとん、と肩を叩くが、叩いた手の方に顔を倒されすりすりと頬擦りされて 「雪哉好きだよ~。」 とふわふわした口調で言うだけだった。 「ダメですこれ完全に泥酔してます。」  とりあえず頭をぺしっと叩いて手を引っ込める。痛いよ~と笑いながら言い、湊はまた食事に戻った。目もつむりながら口に入れたものをもぐもぐと一所懸命に噛んでいる。体はこちらに傾いたままなので触れている腕から咀嚼の度に振動が伝わってくる。溢すなよ。 「酔うとスキンシップが多くなるタイプか。」 「みたいです。…というか先輩さっきから日本酒とか焼酎とか色々飲んでますけど、全然顔赤くならないですね…。」 「よく言われる。これでもしっかり酔ってるぞ。ちょっとふらふらするしな。」  そしてまたコップの中身を空にしている。強いのだろう。  時間が経ったからか、どこの個室も人が入っているらしく、少し沈黙するとざわざわとした話し声が聞こえる。笑い声、怒鳴り声、泣き声も聞こえる。何があったんだろう。酔った人間は感情のタガが外れてとても賑やかになるな、と改めて思った。 「で、湊は結局どうしたい………寝てる。」  先程まで食べていた筈だが、口をぽっかり開けて俺によりかかったまま寝ていた。食べてる途中に寝たのか、と机の上を確認すると箸やらお皿はちゃんと机の上に戻してある。  どうやら限界が来る前に飲み込んで落とさないように元に戻してから寝たらしい。律儀だ。赤い顔ですーすーと静かな寝息を立てて幸せそうに寝ている。 「とりあえず、さっき言った対抗策で暫く様子を見るか。唯一反対してた湊が意志疎通不可能になったから押し通すぞ。」 「俺は構いませんが…、まあ勝手に出来上がった湊の自業自得って事で。」  目が覚めて酔いも覚めて、これからやけに近くにいる事になる先輩の顔を見て叫びそうだなと、想像出来る。しかし友人同士が仲良くなるのは悪い気分じゃ無いので、個人的にはこのまま普通に仲良くなってほしい。そう、普通に。 (そしてそのまま告白の事実も忘れ去られて友人として過ごしていけるようになりますように!)  若干不純な動機もあるが目をつぶってほしい。  まだ時間があるので湊が起きるまで飲んで食べてるか、と飲み会を再開した。  湊は一時間経っても目を覚まさなかった。明日も平日だ。講義は二限からなのでお開きにする事にした。居酒屋は未だに盛り上がりを見せており、俺達が出ていった個室にもすぐに誰かが入ることになりそうだ。  二人で湊の両肩を担いで外に出ると、冷たい空気が肌をさす。秋とは言え夜は冷えるようだ。最近は暑かったり寒かったり、気温差が激しく風邪を引きそうである。  「ここから家近いの誰だ?」 「確か湊のマンションがここから二駅程の所にあります。大学のすぐ傍なので。先輩は?」 「三駅だ。………湊をこのまま家に送り届けた方が早そうだな。」  ちなみにこの中だと俺が一番遠い。一人暮らしせずにここから五駅離れている実家から大学に通っている。湊の実家も五駅離れている町にある。大学からだと七駅離れているので一限から講義があると朝が早くてつらい。 「じゃあ俺このまま湊の家に泊まりますよ。これじゃ起きそうに無いですし…。」  連れ帰って玄関に放置して帰るわけにもいかないだろう。両親も「湊くんなら」って快諾してくれる筈だ。明日の講義で必要な教科書類は…まあなんとかなるだろう。 「一人じゃキツイだろう、俺も行こう。」 「わかりました。ほら、湊歩くぞ。」  呻き声が聞こえた。返事のつもりなのか偶然出ただけなのか。二人でヨイショっと湊を抱え直し、駅へと向かった。…二人でもなかなか重いなあ。  講義でグループを作ってレポートを提出する課題が出された。人数は三人から五人まで。湊曰く 「僕と雪哉が組むのは確定事項ね!好きだよ雪哉!」 との事なので最低でもあと一人必要だ。はいはい、と返してからあと一人か…と思考する。そういえば、何処に座っているかわからないがこの講義は新垣先輩も取っていた筈だ。同級生と組んでしまっている可能性もあるが声を掛けてみてもいいかもしれない。 「なあ、折角だし」 「三人でやらないか?」 「ん…?」  先輩も誘わないか、と続けようとした声に誰かの声が被った。声がした後ろを向くと頬杖をついて珍しくニヤっと笑っている新垣先輩がいた。…珍しくと言ったが、こうやって三人で行動する事が増えてから意外に表情が変わる事がわかったので、表現が適切では無いかもしれない。 「ゲッ!先輩いつの間に後ろに!?」 「あ、先輩こんにちは。」  振り向いて先輩を視界に入れた瞬間湊の顔が歪むのも最近よく見る。 「少し遅れて入ったからな。驚かせようとこっそり座った。」 「いや子供ですかあんた…。」  にこっと楽しそうに笑う先輩と呆れる湊。それを眺める俺。最近の定番の流れだ。  入ってすぐに探して姿が見えないと思ったら後から入ってきてたのか。  こちらから誘おうと思っていたのでその申し出は有難い。問題は湊だが。 「先輩が入れば三人になって条件達成出来るし、どうだ湊?」  提案をする。湊は、少し嫌そうな顔をしてうーん、と悩み始めた。 「う…そりゃ見ず知らずの他人を入れるよりは多少知ってる知人を入れる方が良い…けど…。」  他人だと確かに気を使ってしまいそうだ。口では気にしない、平気だと言っていても俺以上に湊に負担がかかってしまう。俺もかなり気を使って疲れてしまいそうだ。色んな人と交流を持った方がいいのはわかっているが、進んで苦しい方法はとりたくない。 「友人同士の方が課題も進めやすいだろ。」 「いえ貴方と友人になった覚えは無いです。」  悩んでる湊に先輩が後押ししようとしたがばっさり斬られていた。苦悩を浮かべていた筈の表情も抜け落ちて真顔になっている。そんなに先輩と友人が嫌なのか。 「先輩だからって遠慮しなくて良いぞ。」 「してないですホントに只の知人レベル希望です。」 「湊は照れ屋さんなんだな。」 「助けて雪哉この人マジで話通じない。」 「あっははは…。」  笑うしかない。二人はそんなつもりないんだろうがコントみたいで面白い。相変わらず先輩の一方通行みたいだが、湊も遠慮なく言い合えるって意味では先輩と打ち解けてきたという事でいいのではないだろうか。 「まあまあ、多少気心知れた間柄の方が色々やりやすいだろう。もう周りを見るとほぼ固まってしまっているみたいだし、三人でやろうぜ。」  な、と湊の肩を叩く。 「……そうだね、じゃあ、三人で。」  決まりだ。  まずは組んだ人の名前を配られた小さな紙に記入して先生に提出しなければ。リーダーは誰にするか二人に聞くと、「雪哉で良い。」と返ってきた。二人とも面倒くさがってないか。まあ、リーダーと言ってもそこまで特別な事はしないみたいだし別に良いか、と一番上に自分の名前を記入する。続いて先輩の名前を書き、湊の名前を書こうとして手が止まった。 「あ、どうしようド忘れした。みなとってどんな字だっけ。」 「えっ傷つくな。」 「ごめんごめん、ちょっと待って思い出すから。」  いつも見てる筈なのにパッと出てこない。シャーペンをくるくる回しながら思い出そうと考えるが微妙に右側が思い出せない。さんずいは思い出せるんだが。 「これだろ。」  先輩がシャーペンで手元のルーズリーフに何かを書いた。二人で書かれた文字を見ようと覗き込むと、そこに書かれていたのは『漢』。なんか違わないか。それ目撃した湊は無言でルーズリーフを握り潰し、ぐちゃぐちゃになったルーズリーフを先輩に向かって投げ、ペシンッ!と音を立てて顔に当たった。先輩は「痛い。」と全然痛く無さそうな声をあげた。 「あんたわざとでしょ!?いや港ならまだわかるよ!?なんで漢!?」 「こっちの方がかっこよくないか。」 「た、確かに、男らしさが増していいですね。」  思わず同意する。笑いをこらえるのが少しつらい。 「そりゃ字がそうなってるからね。」  雪哉まで何言ってるの、と怒られた。ごめんごめん、と答えながらふざけてる時に思い出せたので湊の名前を書く。その間も二人の話は続いている。 「はあ…冷静に考えて、『おとこ』なんて名前キラキラネーム過ぎだろいないよそんな名前の人!!」 「わかんないだろ、全国一億人以上いるんだ、もしかしたら一人くらいいるかもしれん。有名キッズアニメのマスコットキャラの名前の人だっているんだ、そんなたった一握りのかわいそうな…ンンッ希少な人に失礼だろ。」 「あんたの方が失礼だわ!!」  なんて話してるんだ。というかあんまり騒ぐとまた注目を浴びてしまうと思うんだけど。 「ん?いや待て、これ『かん』って読めるよな……『かん』なら、いるんじゃないか…!?」  驚愕の真実に気づいたかのような表情と声色で言いはなった。湊はそれを聞いてますます怒っている。 「だから何!?まず僕の名前はおとこでもかんでもないんだけど!?」 「みなとだろみなと。」 「お、覚えてるなら良いけど…。」  何なのホント…と引き気味の湊を尻目に先輩は顎に指を当てながら、あ、と何か思い付いたらしい。 「今思ったんだが将来小太りおっさんになっても湊って名前だと恥ずかしくないか?」 「いきなり何のはなっ………誰が小太りおっさんだ!?!!」 「全国の子宝に恵まれた夫婦は子供に名前つける時は小太りおっさんになっても違和感がないものにした方が良いと思う。子供が将来傷つく事になる。」 「ねえこれ何の話、僕の名前そんなに気にくわないのあんた…。」  はあ、と溜め息をついて湊は机に突っ伏した。もう付き合いきれない…と呟いている。それに対して先輩は楽しそうだ。 「あんまりからかいすぎると嫌われますよ。」 「すまんすまん、調子に乗りすぎた。」 「一応話し合いの時間とは言え講義中ですし、大人しくしましょうよ。」 「ほんとだよ…ツッコミするのも嫌になる…。」 「悪かった悪かった。」  笑いながら謝罪をし、突っ伏している湊の頭を撫でている先輩の姿に、ホントに反省しているのか怪しく思う。そして撫でていた手はすぐはたかれてしまっている。この二人、もしかして思っていた以上に相性が悪いのではないだろうか。先輩は楽しそうだが、湊はこの所不機嫌で怒ってるか呆れている事が多い。  大人しくなった二人を置いて先生に紙を提出に行く間、少し今後が不安になった。  講義後、湊がトイレに行っている間。先輩と二人きりになった。 「湊って怒ったり焦ると口調が少し変わるな。」 「あ、気づきました?いつもは頑張ってやわらかい口調を心掛けてるんですよ。人には優しくしないとって。優しいんですよ、湊。」  だからあまんりいじめないでくださいね、と付け加える。う、と唸ってから苦笑いをしつつ悪かったと言う先輩からは、先程よりは反省の色がうかがえる。 「今回は思わず躍起になる姿が面白くてからかってしまったが、人にきつく当たりたくない湊を必要以上に怒らせるのは良くないと学習した。気を付ける事にする。」  それなら大丈夫か、と一応納得する事にした。  最近というか、湊と知り合ってからの先輩との会話の七割くらいが湊の話題だ。こうして今のように湊がいない時は、湊がこうだったな、ああだったな、という話から会話が始まる事が多い。 (………。)  なんだが少しもやっとしたような気がした。  やっと終わった。まだ部屋が真っ暗なのを良いことに思いっきり腕を上に伸ばす。そのまま欠伸をして、明るくなると同時に姿勢を戻す。まぶしい。  図書館内にある会議室で洋画を見ていたのだ。講義の一つであり、洋画を見て感想と自分で注目した点の考察をレポートにまとめて後日提出しなければならない。期限は…二週間後か。すぐ取りかからないと終わりそうにない。  先生の締めの挨拶を聞き流し、皆が退出し始めたのに続いて会議室を出る。図書館のいつもの場所か、外で湊が待っている筈だ。 (真っ暗な中で映画を見るだけなのに、やけに視線を感じたな…映画見ろよ。)  あの噂のせいかどこにいても誰かに見られている。別に俺を見ても何もないぞ。レポート書かないといけないのに映画に集中しなくて良かったのかと思うが、俺には関係無いので無視する。これで見てた奴らのレポートが滞ろうが知った事か。  いつもの場所に到着したが湊の姿は無く、知らない人達が座って課題に取り組んでいた。ここじゃなかったか、と踵を返して、歩きながら湊にメッセージを送る。湊からは特にメッセージは来ていなかった。  図書館を出る為出入り口付近に向かう。ちょうど真正面に受付カウンターが見えて、あの時注意してきた司書さんの姿が見えた。気まずい。気づかれないうちに通りすぎようとしたが、ちょうど顔をあげてしまった為ばっちり目が合ってしまった。 「こ、こんにちは。この間はすみませんでした。そ、それじゃあ…。」  と、挨拶がてら改めて謝罪する。反応を見るのが怖いので顔を下げたまま急いで出入り口に向かう。 「次からは気を付けてくださいね。」  後ろから声が聞こえてきて、驚いて振り返る。苦笑いをした司書さんの顔が見えた。 「は、はい!」  顔が赤くなるのが自分でもわかる。恥ずかしい…。ホントに次から気を付けよう。    図書館を出た。清々しい秋晴れだ。真っ暗な部屋で映画を見ていたので若干まぶしい。  改めてキョロキョロ周りを見渡すが中庭にも湊はいない。本館の方か?もう一度SNSを確認するが既読にもなっていない。いつもはすぐに既読になって返信もあるのにな、と少し不思議に思う。  本館に向かうか、本館の俺から見て右にある坂を下って体育館がある方に行くか、反対側の別館がある坂を下っていくか。どちらなら湊がいる可能性があるだろう。坂を下っていくと両方とも新館に繋がっている。別館側は道路に面していて、バス停や大学の入り口がある為よく人が通るが、体育館側は奥にあり、あるのはテニスコートやら駐車場なので学生はあまり通らない。車での通学は禁止されているので利用するのは先生達や来客くらいだ。バイクや原付は出来るらしいが俺は乗れないのでよく知らない。 (湊静かな所が好きだし、体育館側の方にあるベンチにでも座ってるかも。)  そうなんとなく、足を右に向けた。ぼーっとしながら歩いて、曲がり角に差し掛かる。曲がって坂を真っ直ぐ下れば体育館だ。体育館前の道を逸れて進むと新館にも辿り着く。  視界に曲がった先の景色が目に入り、遠くに見覚えのある背中が見えた。 「あれ、新垣先輩?」  今日朝に会った時に着てた服だったので気づく事が出来た。思わず立ち止まる。あんな所で何してるんだろう。もっと見ようと首を伸ばすと、先輩は誰かと話をしているらしい、先輩の正面に誰かの姿が見えた。あれは。  思わず先程の曲がり角に隠れて覗き込む。 (湊だ。)  正面にいたのは探していた湊だった。ちょうど先輩の背中に隠れてしまって顔は見えないが、間違いなく湊だ。 (二人でこんな所で何してるんだろう。)  先程からSNSで連絡が取れなかったのは話中だったからか。ここからでは声はほとんど聞こえないため何を話しているのかわからない。出ていって声をかければ良いのに、何故かこの時はそれが出来なかった。  湊が先輩から離れようとしたのか、少し動いた為やっと顔が見えた。その表情は困惑に満ちている。 「……から、………ないです!」  大声で何かを叫んだらしくここでも微妙に聞こえた。これは止めに入った方が良いかもしれない。俺が角から体を出すと同時に、先輩が湊の胸ぐらを掴んだのが見えた。二人の初対面の時のやり取りを思い出し、これは本当にまずいと駆け足で向かおうとして、 「えっ。」 後退した。壁に完全に隠れて驚きでバクバクいってる心臓を落ち着かせる。 (俺は今何を見たんだ。)  目で見た光景が頭まで届いてこない。すぐに恐る恐る角から顔を出す。数秒前と変わらぬ光景が目に飛び込んできてようやく頭で理解した。 (え、えええええ!?)  先輩と湊の顔が重なっている。これはつまり。キ、キス、か。  湊は目を見開いてとてもびっくりしている、見ている間にどんどん顔が青くなっているのが確認出来る。こっちは驚きで顔が白くなりそうだ。先輩の顔は見えない。というか長くないか。気になって視線を二人の口があるであろう位置を移動させる。 (あ、して……ない!?してないな!?よく見えないからどっちの手かわかんないけど口と口の間に手が入ってる!!)  どうやら未遂のようだ。いや未遂でもどっちかが仕掛けたのは間違いないんだが。あの様子だと間違いなく先輩だ。湊と俺が百面相している間に先輩が湊から離れた。湊はフリーズしたままだ。  先輩の口が動いた。何かを湊に告げてからくるっと踵を返してこちらに向かってきた。まずい見てたのバレる!と急いで来た道を戻る。走りながら図書館に入り、司書さんの注意する声に言葉にならない声で返事をして通行人とぶつかりそうになりながら二階への階段を駆け上がる。気を付けると言ったばかりなのにまたやらかしてしまったが今は逃げなければ。 (いやほんと何だあれ!?何がどうしてあーなった!?)  男子校とかではふざけて同性同士のキスとかよくあると噂では聞いた事あるが、まさか身近で遭遇するなんて思わなかった。全く知らない人達がしてたらなんとも思わないが知人同士だと一気に怖くなるこの現象は何だ。絶対昨夜SEXしただろう知人男女とか怖すぎて近寄りたくない。女の子の友達居ないけどな!  駆け上がったはいいが何処にいよう。予約してないから一人席は使えないし、会議室も今何かの講義中で入れない。先輩が俺に気づいて追いかけてくるとは思わないがこのあがってしまっている息は整えたい。階段から離れた本棚の側に移動し、呼吸を落ち着かせながらさも本を探しているていを装う。これなら目撃されても不審に思われないだろう、息さえ整えば。 「というかまたうるさくしちまった…司書さん怒ってるよなあ…。」  さっきは焦ってたからそれどころじゃないって突っぱねてしまったが、落ち着いてきた今後悔で胸がいっぱいになっている。本当にもう図書館出禁になってもおかしくない。特に探してもいないがカムフラージュのために本を手に取りパラパラ捲りながら司書さんにどう謝ろうかと考える。あの告白の日から悪目立ちしてばかりだ。変な噂は未だに衰えず、どこにいても視線からは逃げられない。大学来るのが嫌になる。 「………?」  そこまで考えておや?と考えを止める。今何か引っ掛かったぞ。何か…矛盾のようなものが。何処か繋がっていない。 「告白…。」  そうだ、先輩に告白されたのは湊ではない、俺だ。ではさっき見たアレはどういう事だ?アレはどう見ても先輩から湊に仕掛けている。しかし先輩が好きだと言うのは俺である。別に受け入れようとなんて思ってないから特にショックは無いが、何で?という疑問が頭の中を巡る。先輩が湊を気に入ったらしいのはわかりきっている事だが、それが恋愛に発展したのだろうか。それにしたって俺との事が片付く前に次に行くのはどうなんだ。それに……なんだろう、疑問の方がでかいが、まだ他にも変な感じがする。なんだか、とても嫌だな、と。  ヴー、ヴー。  上着のポケットに入れたままだったスマホが震えた。サイレントにしてたつもりがバイブになっていたらしい。鳴るとは思ってなかったので大いに驚いた。落ち着いてきた心臓がまたバクバクとなってしまった。  スマホを取り出し画面を見ると、SNSの通知が届いていた。差出人は…先輩と湊の二人からだ。さっきの事だよなあ、と憂鬱になりながら…先輩のメッセージを見るのは後回しにしたかったので湊から見る。 「ごめんちょつといまそつちあけなあぼくな好きなのはゆいたよよ」  落ち着け。  文章の前半しかまともに読めない。その後の文章はフリック入力でずれたんだろうなと思われる。恐らく前半は 「ごめんちょっと今そっち」 だろう。ここまではわかる…あけなあぼくな…は何だろう。わかりそうでわからない。前半の文章から推測すると今は…会いたくないという感じだろうか。とりあえず「了解」と送る。  湊と講義が今日はもう被らない。次の講義で自分は今日最後だ。この調子じゃ一緒に帰るのはむずかしいかもしれない。とりあえず講義終わったら連絡入れておこう。  さて、次が問題だ。嫌だなあと思いながら先輩の名前を選んでトーク画面を開く。 「話したいことがある。今日空いてるか?」  絶対さっきの件だ。  空いてるか…空いてると言えば今空いてるけど、今すぐ会うのは気まずい。しかし次の時間は講義で五限なので終わると結構遅い時間だ。そこから話をするとなるとかなり遅くなる。さっさと終わらせて次の講義に備えるか、どうなるか悩みながら講義を受けて臨むか。  はあ、と溜め息をついてからポチポチポチと入力する。 「今空いてます。」  送信した。後回しより先に話しつけた方が心穏やかになれる。さて、どうなるか。  移動して窓から先程二人が居たところを見下ろす。ちょうどここからあの道と奥の駐車場、テニスコート、山の木々がよく見えるのだ。先輩の返事が来るまでそのままここで時間を潰すことにした。 「急にすまなかったな。」 「いえ、ちょうど講義終わって暇だったので大丈夫です。」  次の講義まであと四十分くらいある。話をするだけなら充分だろう。連絡が取れた俺達は新館の空き教室で合流した。次の講義もここ新館で行われるので開始五分前までに向かえば間に合うだろう。  新館は五階建ての建物で、地下二階まである。主に講義で使われるのは二~四階で、五階は大きな講堂になっている。地下一階は食堂、二階が各サークルの部室だ。建ってからまだ五年も経ってないらしく、全体的に真新しい。  なんとなく選んだ机の上に鞄を置いて、立ったままは疲れるので椅子に座る。先輩もすぐ隣の席についた。 「金曜の午後だからかほとんど人がいないな。雪哉はあと五限だけだったな、俺は今日はもう講義は無いんだ。雪哉が話せる時間まで一緒にいれるぞ。」 「はは…それで、話って何ですか?」  世間話から始まりそうだった為、こちらから本題に入る。まあ十中八九先程の件だとは思うが。  繰り返すが、俺は先輩からの告白は受ける気はなかったのので気にしてない。が、それに友人が しかも湊が関係してるのはいただけない。湊だけは駄目だ。先程の様子からどう見ても同意ではない。手が間に入って未遂だったとしてもだ。なので俺は怒っている。 「この間の告白の件だ。」 「…返事が早急に欲しいなら今しますよ。」 「あー…いや、返事はいい。」  先輩は後頭部を片手で押さえて目線をそらした。取り繕っているつもりだが、俺が怒っているのが伝わってしまっているのだろうか。  先輩は何度かこちらを見て口を開きかけては、「あー…。」と声を出してまた目線をそらす動作を繰り返している。珍しい先輩の様子に、更にイライラが増してしまう。いっそのことキス未遂事件目撃したって言ってしまおうか。…それだとあんなに必死に逃げた意味が無くなってしまうか。  じっと先輩を見つめたまま視線で先を促す。やっと目が合った。う、とたじろいだ先輩は一度深呼吸をしてから、自分から視線を合わせてきた。 「…雪哉、すまない。」  そしてやっと口を開いた。 「俺から言っておいてなんだが…告白を撤回させてくれ。」  先輩はそのまま深く頭を下げた。 「本当に、すまない。」  そして、言葉一つ一つを絞り出すように謝罪の言葉を述べた。

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