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第4話
先輩からの謝罪と撤回を受け入れて、講義に遅れないように退室して、今は講義中だ。教師がホワイトボードに書く内容をノートに書き写しながら、頭は先程の事を思い出している。
「湊の事が好きになった。」
と、先輩は言った。
「勘違いだったかもしれない。雪哉の事は…大事にしたいと思ったんだ。かわいい後輩で、これからも優しくして良い関係を築いていきたいと。これは恋なんだろうと、思ったんだ。」
「…はい。」
「しかし、湊と知り合って、俺に対しての辛辣な態度と隠しきれてない真面目さと、気にしていないと言いつつも周りを気にかける優しさを知って……それを歪めたいと思ってしまった。」
「…………ん?」
大人しく先輩の告白をイライラしつつ聞いているとなんだか雲行きが怪しくなってきた。
「猫を被ってるとまではいかないが取り繕っている柔らかさを剥ぎ取って本性剥き出しにして牙をとがらせたまま噛みついてくる姿にこそ湊の真の魅力がある。」
「え、あの、ちょっと。」
先輩の身振り手振りがどんどん激しくなる。
「反省はしたがあれを引きずり出さずにぬるま湯に浸かったままにするのは勿体ないとは思わないか。イジメ抜いてイジメ抜いて睨み付けて目に涙を浮かべた顔はきっと素敵だろう。」
「も、もしもーし。」
「雪哉に対しての大事にしたいと言う想いが恋では無いなら、この湊に対しての嗜虐の欲求こそが恋ではないか。そうだ、俺は湊を屈服させたい支配したいと思っ」
「ちょ、ちょちょちょちょちょっと待った!!」
突然のマシンガントークとその内容の過激さに耐えられなくなって無理矢理遮った。な、なんて事語ってるんだこの人は。
まだ話の途中なんだが、と不服そうな顔をされたがちょっと待ってほしい。俺は今何を聞かされたんだ。
「えと、湊の事が好きになったんですよね?」
「ああ。」
「でも大事にしたいとは思ってないと…?」
「いや大事にしたいとは思っている。俺の言動や態度で散々追い詰めて壊してからになるが。」
「ンンンンンちょっとそこがわからないです何言ってんですか。」
先輩はきょとんとした顔で首をかしげる。たびたび仕草が幼くなるのは何なんだ。
「…そんなにおかしい事か?」
「百人に聞いたら九十九人は壊す前に大事にしろよって言うと思います。」
先輩は黙った。そのまま視線を俺からそらして、どこか苦しそうな顔をする。
「…………。どうせ今のままじゃ俺に好意なんて抱いてくれる訳がない。限界まで追い詰めて追い詰めて冷静な思考力と判断力を削いでそれでやっと好きになってくれると思うんだ。」
「先輩…。」
手段は最悪だがそこまでして湊に好かれたいのか、と少し驚き、少し同情する。
「まあそういう大義名分で可哀想で惨めで不憫な絶望した姿が見たいだけなんだが。」
「先輩…!!」
前言撤回、同情の余地なしとみた。
「盛大に話がずれたが、雪哉、お前への庇護欲は恋ではないとわかったからこそ、告白を撤回したいんだ。」
「なんでわざわざそんな怖い本音まで俺に言うんですか…。」
完全に気疲れしてしまった。
「巻き込んでしまった事への償いのようなものだ。これを聞いてどうするかは雪哉の自由だ。湊を守るも良し、静観するも良し、俺の援助をするも良し。」
「援助だけは絶対しません。」
それだけはきっぱりと伝える。
「とりあえず、ちょっと常識的にアウトなので抑えて下さい色々と…一人の人間の人生潰す気ですか。」
「……………善処する。」
してくれるだろうか。四六時中湊と一緒にいるのは講義が被ってなかったり予定があったりで難しいだろうし、してくれないと湊が本気で危ない。本当に二人が会った後仲良くなれたらいいなーって軽く考えてしまった自分を殴りたい。こんなにおかしな状況になるなんて思わなかった。
「あ、素朴な疑問なんですがもし湊が特に追い詰めたりしなくても先輩の事好きになったら…?」
ほぼあり得ないがそうすれば湊が壊れる事もない。
先輩は顎に指をあて、ふむ、と考える。想像しているのだろう。その顔がどんどん険しくなっていく。え、何どうしたんですか。
「確証は無いが解釈違い甚だしい事から関心が消えるどころか嫌悪感を抱く可能性がある。」
「先輩拗らせすぎでは?」
何で素直に喜ばないんですか!と言うが、そう言われてもしっくり来ないんだ、と返されてしまう。
「やはり限界まで追い詰めてからではないとこちらに好意があるという確信が持てない。」
この人今までどんな恋愛遍歴をおくればこんな歪んだ考えに至ってしまうのだろうか。
「ただの可愛い後輩なら普通に優しく出来るんだが…ままならないな。」
ふ、と先輩が苦笑いをした。
思い出しただけて頭痛が再発してきた。一体何だったんだあれは…。湊のこれからの大学生活の為に思いとどまるように説得はしたが納得してくれたか非常に怪しい。あの噂もまだ消えてないから俺も湊もそれで疲弊しているというのに、新たな脅威なんて真っ平ごめんである。
あの二人は知り合わなかった方が平和だったのかもしれない…。しかし出会いに関して俺にそれを防ぐ事が出来たかと言うと多分無理である。俺あの時寝ようとしただけで何もしてないのに、先輩が告白してきて湊と口論になって先輩が湊を気に入ってしまったのだ。思い立ったら即行動の先輩の動きを察知するなんて無理である。
はあ、と大きな溜め息をつく。
案の定、二人の事が頭の中をぐるぐる回ってしまい講義には全く集中出来なかった。書き写せただけでも誉めてほしい。
別の日。本館の一階部分、開けた場所で三人で立ち話をしていた。と言っても俺は真ん中で聞いてるだけで…というか怒鳴る湊とオープンに好意を伝えている先輩に挟まれて辟易していた。
「あんた本当に気持ち悪いんですよ!雪哉にちょっかいかけてきたと思ったら次は僕!?どんだけ節操ないんですか!」
「だから言ってるだろう、雪哉への想いはこれ以上無い程純粋な友愛だったと気づいたと。最初から湊だけだ。」
「気づいたのは良かったですよ!?このまま雪哉とは普通の先輩後輩でいてくれればとりあえず僕から言う事は無いってなったのにそこで何で僕に!?気持ち悪いですし信じられないですよ!」
先輩のオープンな好意はどうやら伝わっていないらしい。先日までライバル宣言していた相手から好きだと言われても意味がわからないよな…そこはわかる…と心の中で同意する。
「そんなに信じられないなら今ここでこの間未遂に終わった事の続きをさせろ。それなら信じてくれるだろう。」
キスの事だろうか。そう言えば結局それを目撃した事はバレてないらしい。先輩からも湊からも見てたかどうかの詮索は来なかった。湊にいたっては忘れたい出来事らしく、こちらからあまりに青い顔をしていた為声を掛けたが能面のような顔になって黙秘された。
「嫌ですよ何考えてんですか色情魔!」
湊は両手で自分の肩を抱いてひいいっと後退った。本当に嫌らしい。そんな湊にじりじり先輩が迫るので俺まで連れてかれる。というか湊にも引っ張られてる。
近くを通りすぎて行く人からちらちら見られている気がするがもう視線にはだいぶ慣れっこになってしまった。いつでもどこでも見てくるのでビクビク怯えるのがアホらしくなってきたのだ。流石に見られながらコソコソ話しているのを見かけるとまだ辛いが。
そのまままた挟まれて口論に付き合っていると、教室等に続く階段の方から集団が降りてきた。このままこっちに歩いてきたら間違いなく邪魔になるので、二人に伝えて三人でずれて道をあける。この辺なら大丈夫だろう。そしてまた口論になる。移動中律儀に口を閉じていたならそのまま閉じてくれても良かったのだが。
集団が俺達の側に差し掛かった。集団側には湊がいる。
(えっ。)
しっかり避けていた筈なのに、集団のうちの一人が何故か大きく外れて湊にぶつかりそうになっていた。慌てて
「みな、」
湊を引っ張ろうとすると、それより早く先輩が湊の腕を引っ張り自分の方へ引き寄せた。思わずそれを避けると湊は先輩の胸にぼすん、と飛び込む形になった。
「後ろ向きで騒ぎながら歩くな、今ぶつかりそうだったぞ。」
先輩は湊を抱き込みながら、ぶつかってきた男を睨み付ける。集団は歩みを止めてこちらを見ている。口許が笑みの形に歪んでおり、にやにやと笑いながら蔑むような目でこちらを見ている。
「あ、サーセンっした~。」
「何やってんだよ杉~、湊ちゃんに怪我させそうだったじゃ~ん。」
「っひひ、悪い悪い。」
「まるで王子様みたいですね~っふふ。」
こちらを小馬鹿にするような、ふざけた調子で会話をしている。…とても気分が、悪い。なんなんだこいつら。
「…ふざけてるのか貴様ら。」
先輩の声が一段と低くなった。隣にいる俺ですらぞくっと寒気が走る。これは、先輩、本気で怒っている。それを真正面から受けているのに、集団は怯んだ様子も無く、にやにやしたままだ。
「わっ、怖い怖い。」
「はいはい立ち去りますよっと。」
「じゃ~ね~。」
全然怖がってなさそうな様子で集団は俺達から離れていった。離れても、ちらちらとこちらを振り返っては、何かをこそこそ話して笑っている。その背中が見えなくなるまで先輩は睨みつけていた。
「…大丈夫か。」
腕の中の湊に先輩が声を掛けた。その声に集団がいた場所から目をそらして湊を見ると
「………。」
目を見開いて先輩の腕の中でフリーズしていた。
「お、おーい湊ー…あいつらもういなくなったぞ。」
俺からも声を掛けるが、
「………。」
固まったまま動かない。これは、どっちだ。どっちに驚いているんだ。集団に対してなのか、先輩に対してなのか。
「………い。」
「い?」
ぽつりと何かを呟いたので思わずおうむ返しする。湊の目だけが先輩を見上げるように動く。
「いつまで…抱え込んでいるんですか…。」
いや声ちっっっさ。しかも震えている。どうやら先輩に対してびっくりしていたらしい。
それを見て先輩は少し驚いた後、湊を抱いている手とは反対の手を口許に持っていき、ふ、と笑みをこぼす。
「役得だな。」
「~~~~ッ!!」
まさにニヤニヤ笑いだ。湊が自分を後ろから抱いている先輩の腕を勢い良く外し、腕の中から脱出する。そのまま俺の背後にまわって、後ろから先輩に対して威嚇をしている。猫か。残念、と肩をすくめて笑う先輩はとても楽しそうだ。
「というか湊……。」
(今のに照れるって事は先輩の事多かれ少なかれ意識してないか?)
口に出したら何かが変わりそうなので心の中で自問する。ははは、とかわいた笑いをこぼしてから、何さ、とこっちを見てくる湊の視線に、自分で考えてくれと目で返す。伝わってないかもしれないが声に出すのも疲れたのだ。
「え、ちょ、何々何々、そこで黙られるとすごい気になるんだけど!?」
やっぱり伝わってなかった。何かあるなら言ってよ!?と揺さぶってくる湊の追求をははは、と笑いながらやり過ごそうとする。…なんだかもやもやするのはなんだろうか。もやもや…イライラ?イライラならこれは誰に対しての怒りだ。
「……しかしなんだったんだろうなあいつら。」
二人でやり取りしていたら、先輩が心底不思議そうな顔をして疑問をぶつけてきた。
「雪哉が事前に気づいてくれたから、普通に向かってくればぶつからない位置に俺達はちゃんと動いていたよな。」
視線がこちらに向いた。イライラは恐らく先ほどの奴らに対してだろうと結論付ける。俺は自信を持って答える。
「はい。それは間違いないです。俺からは向こうがわざと大きくそれてぶつかってきたように見えました。」
「やはりそうか。」
湊は背を向けていたが真ん中に居た俺と湊の正面にいた先輩からは、集団の動きがちゃんと見えていた。こちらをにやにやと笑いながらチラ見して、狙いすましたかのように向かってきたのだ。
「しかも湊の名前を呼んでいました。間違いなく俺達だってわかってやってきてます。」
これもあの噂のせいなのだろうか。実害が出るような事をされるのは初めてだ。未遂に終わったとは言え、これからはもっと気を付けないといけないかもしれない。
「…雪哉に何かしてきたら本気で殴ってやる…。」
湊が拳を鳴らしながら怖い顔で言った。
「いやいやこっちが手出したらダメだろ。ねえ先輩。」
「反撃するなら一発くらって正当防衛成立してからにしろよ。」
「止めてください。」
次の講義で必要な教科書類を取りに、自分のロッカーがある場所に行き、中から取り出していた。単位取得の関係で二年生までは取らなければならない講義も多く、比例して教科書も多くなる。いちいち全部持って帰っていたら重すぎるので、俺も湊も大半の教科書はロッカーに入れたままにしているのだ。
「あれ、おっかしいな…。」
「どうした?」
「ここに入れといた筈の教科書が何冊か見当たらなくて…持ち帰ってないからここにある筈なんだけど。」
横から湊のロッカーの中身を覗く。いつもパンパンに教科書が詰め込まれていたのに、隙間が多くなっていた。明らかに数が足りてない。
「………盗られた、とか?」
「そんなまさか。」
「持ち帰った覚え無いんだろう?」
「…。」
湊は黙って少し考えてから
「無い。」
と答えた。
ロッカーは大学内の至る所にあり、どこを使っていいかは指定された本人に知らされる。ロッカーに使用者の名前などは書かれておらず、誰がどこのロッカーを使っているかは使っている所を見かけるか、本人に聞くくらいしか知る手段が無い。因みに鍵もないので鍵を掛けたい人は自腹で錠前を購入する必要がある。基本ロッカーの使用は一、二年生のみに認められていて三年生になったら次の一年に引き継ぐ。なので引き継ぎの時に鍵を掛けたままだったり中身が入ったままだと鍵を破壊されて中身を捨てられてしまうらしい。そういえば今年の4月頃、ロッカーの下に破壊された錠前が多数転がっていた。
そう言えば湊のロッカーには鍵がかかっていなかった。
「一応、錠前買って鍵かけとけ。前々から不用心だなとは思ってたし。」
「…わかった。」
その後、紛失した教科書は見つからず新しいものを買いなおしたと言っていた。
なるべく湊は先輩と、時期を見て俺も加わって三人でいようとは決めたがどうしても一緒にいれない時間は存在する。今日は湊は午後からバイトですでに大学からはいなくなっている。先輩は共同で出すレポートの作成の関係でグループの人と食べるらしい。俺達三人で作るもの以外にも共同のレポートを抱えているとは。大変そうである。
なので今日は一人だ。ピラフで良いか、と食券を買って列に並ぶ。食堂のメニューは安くて美味しいので懐にも優しい。丁度混雑する時間だったので俺の後ろにもすぐに列が出来た。
「仁田~。」
「ん?」
とんとん、と後ろから肩を叩かれる。振り向くと友田がいた。
「偶然だな。一緒に食べようぜい。」
にっこり笑いながら誘われ、快く了承する。ゼミが同じだからか講義やらもほぼかぶってるのでよく見かけてはいたが一緒に食事を食べるのは久しぶりだ。
「なあ、その…井ノ上って、その…誘ってくるような奴、なのか?」
食べ始めてすぐの事だった。さっきから何かそわそわしているなと思ったら突然よくわからない事を言い出した。
「は?いきなり何の話だ?別に今は湊と食べる約束も何もしてないぞ。」
四六時中一緒にいる訳ではないし、むしろ今回一緒に食べようと声を掛けてきたのは友田の方だ。ピラフを食べながら怪訝な顔をする。
「違う違う…えっと、あれだよ、あの噂。」
噂?…噂と言うと真っ先に思い付くのは俺が二人をたらしこんでなんたらってやつだが、それだろうか。
「前ここで聞いた噂の事か?」
「そうそれ。」
「………お前あれ鵜呑みにしてるのか?」
「いや、信じてる訳じゃ無いんだけど…何か前聞いたのと内容が違ってて。」
「違う?」
友田はキョロキョロと周りを気にしてから「耳貸して。」と言ってきた。素直に少し体を上げ、耳を近づける。友田もぐいっと近寄ってきた。
「井ノ上が仁田に無理強いして、それでいて新垣先輩の事も誘惑して、他にも色んな奴と色々やってるヤバい奴だって感じに広まってるんだ、今。」
「は?」
思わず聞き返す。上体を戻し席に座りなおした友田はラーメンを啜る。それをごくんと飲むこんでから
「噂に尾ひれがついて…ってレベルじゃないぐらい別物になってる。」
と言ってきた。
「いや…え、…なんじゃそりゃ。どこでどうしてそうなった…?」
驚き過ぎて、座り直してからも「どういう事だ…?」と受け止めきれずに悩んでしまう。
「何か、そう噂になりそうな行動を噂流してる奴らに目撃されたとか、そういう事ない?」
「え、…………ちょっと待ってくれ、全然頭が追い付いてない。」
ぶんぶんと頭を振る。必死に考えようとするが、ダメだ。頭の中が疑問符でいっぱいだ。返答を待ってくれてる友田には悪いがこれでは何も答えられそうにない。一旦落ち着いてみよう。
「整理させてくれ。つまり、噂の中心が俺から湊になってるって事か?」
「おう。お前は被害者側だったっていうのが広まってるぞ。」
それはそれで若干安心するんだが…標的が他の人になっただけで何も解決してない、前言撤回やはり安心出来ない。
「湊が何かしたのかよ…。」
「流石に火のない所に煙は立たぬ、だろ。何かないか?」
少し思考し、最初から振り返って整理した方が良いかもしれないと思い、質問には答えずに状況整理をする事にした。
「…………まず、俺達は噂を風化させる為に湊と先輩の仲は悪くないですよからの俺とも普通に過ごしてますよってアピールをしてたんだ。」
「ん?………うん。」
友田は一瞬きょとんとしたが、大人しく聞いてくれるようだ。
「それで、二人が仲良い姿を充分見せたから最近は俺も加わって三人でよく過ごしてるんだ。そしたら、先輩が……………………………………うん。」
「えっ、何かあったのか…?」
今度は俺から耳を貸すように頼む。流石にこれは聞かれたらまずい。友田にだけ聞こえるように小さな声で言う。
「他言無用で頼む。先輩が湊に惚れた。」
「!?」
ガッタン、と友田が驚いて椅子や机にぶつかったので音が出た。ちら、と周りを見ると「何だ今の音は」とキョロキョロしている人がちらほらいる。
友田にジェスチャーで座れ、と指示を出して、大人しく座ったのを見届けてからピラフを食べ始める。友田も戸惑いながらラーメンを食べ始めた。もぐもぐ、と食べながらこちらを気にしている人がいないか確認する。…いなさそう、かな。ごくん、と飲み込んで続きを話す。友田もラーメンを飲み込んでこちらを見ていた。
「それでな、なんか気持ちがおさえきれなくなったみたいでな…外で…キス未遂事件が起きた。」
「。」
友田が声にならない声を出して絶句している。たぶん俺も友田の立場なら同じ反応を返すだろう。ほんとどうしてこうなったのか。
「俺もほんと偶然見てしまって、気づかれないうちに走って図書館の二階に逃げたんだ。幸い追いかけてこなかったし、窓から見ても二人がいなくなってたのはよく見えた。」
「お、おう…。」
「まあそれで、知ってると思うが俺への告白は取り消しになって湊をロックオンして湊は逃げてる感じだ。」
「あ、そこは知らなかった。取り消しになったのか。」
告白撤回までは流れてなかったらしい。本当にどこで誰が見ててどこまで広まってるかわかったもんじゃない。一通り話し終えたのでお茶を飲む。
飲んでまた視線を友田に合わせると、友田は何か考えるように顔をしかめて右手を口許に当てていた。
「どうかしたか?」
声をかけると、「ん?ああ…。」と考えるのをやめてこちらを向いた。また、うーん、と唸ってから
「えっと…ちょっと引っ掛かったんだけど…そのキス未遂事件は外だったんだよな?」
と探るように声を掛けてきた。それがどうしたのだろう。
「そうだ。でも周りには人いなかったぞ。」
元々人通りが少ない場所だ。いたらすぐ目に入る。
「あー…で、その場所って図書館の二階からはよく見えるんだな?」
「実際に俺が見たからな。」
いなくなったのを確認してたからそれは間違いない。
「そう……よく見える………だろ。」
友田が言いたい事を察する事が出来ない。しかしなんだか何か引っ掛かった。二階からよく見える。そこが鍵か。
「…………見える。」
あの場所は、二階から丸見えだ。
(………もしかして。)
もしかして。あそこから。誰か。見ていた?
「…見られた?」
「俺はそうだと思う。」
これは…先輩と湊に伝えた方がいいかもしれない。
次の日。講義がない時間が被った為、先輩を図書館一階のいつも過ごす場所に呼び出した。小声で話すように気を付けている。入る時、あの司書さんにちょっと睨まれてしまった気がするのが悲しかった。もうこれ以上嫌われたくない。
「見られたかもしれない?」
「はい、あの場所は図書館の二階からはよく見えるんです。」
「……というか、それ以前に雪哉あれ見てたのか…。」
先輩は顔を片手で覆ってため息をつく。
「黙っててすみません。」
流れで自分も目撃した事は言った。隠してたってしょうがない。あそこから誰か見ていた可能性があると証明出来るのは実際にそこから下を見た俺だけだ。
「というか先輩、湊知りません?電話しても出ないし、SNSは既読にならないんですよ。」
「いや…知らないな。先程まで講義中だったし、今日は見てない。講義一緒じゃないのか?」
「その筈なんですけど、いなかったんですよね…。」
講義開始五分前から座って教室を見渡していたが湊は座っていなかったし、入ってくるのも見なかった。ずっとメッセージは送っているが読んでくれない。後でノート見せれるようにしっかり講義に集中して、終了後にもう一度スマホを見たが読んでいなかった。今日の講義が全部終わったら湊の家に行こうと思っている。
そして今は先輩に警告とどうしても言いたい事を先に片付けることにしたのだ。
「先輩、ちょっと俺怒ってます。そもそも、そもそもですね!」
「な、なんだ。」
たじろいだ先輩をさらに追い詰めていく。立ったままだった先輩はそのまま椅子に座るかたちになった。俺は立ったまま机に片手を置いて、先輩に対して身を乗り出した。
「そもそも、元々の噂の発端も先輩の告白ですし、今回悪化したのも先輩の行動が原因です。流石に、自分の行動に対する責任とか、それが周りにどう影響するのかとか、考えてから行動してください!!」
机をバンッと叩く。優しく。大きな音出しすぎると良くないからな。
「わかりましたか。」
もう一度ずいっと身を乗り出す。両手で接近している俺の顔を止めて、困った顔で
「わ、わかった、わかった。すまなかった。」
と謝罪してきた。それを聞いてから体勢を戻す。そのまま、横の椅子にすとん、と座った。
「はあ…。」
思わず溜め息が出てしまう。噂が悪化してしまった現状がもう面倒で面倒で、これから気を付けてもらってもどこからまた変な噂に繋がるか分かったもんじゃない。本当にもう余計な事しないで欲しい。
「しかもですよ、先輩気づきませんか?」
「…?」
「最初はどちらかというと俺にヘイトが集まりそうな噂が広まってたのに、今はまるで湊だけが悪いみたいになってます。」
視線は痛かったが、こうやって実害が出てくるようになったのは噂の中心が湊に移ってからだ。噂の内容も、俺の時より悪意が確実に混ざっている。
「誰かが意図的に噂を流してるとしか思えません。」
じゃあそれは誰なのか?それとも誰かという特定の人物はいなくて、皆が皆少しずつの悪意や曲がった正義感を持って噂を肥大化させているのか。
「………とりあえず、これまで以上に気を付けてください。俺、次の講義で最後なので湊の家行ってみますから。」
言いながら身支度を整える。なんだかんだ話していたらもうすぐ講義開始の時刻だったからだ。
「わかった。俺からもメッセージ送ってみる。じゃあな。」
はい、それじゃあ、とその場を去る。受付カウンターの前を通る時、あの司書さんが居たので一旦止まって深くお辞儀をしてから図書館を後にした。
湊は家にいた。鍵を掛けて布団に引きこもっていた為、何度もインターホンを押してドアを開けさせて中に入った。話を聞くと詳しくは話してくれなかったが、ロッカーの事以外にも色々と嫌な思いをした事があり、気分が沈んでしまって大学に行きたくなかったらしい。今日の講義でとったノートをコピーして渡し、明日以降なるべく一緒に行動して、持ち物も手放さずに持っていようと話し合った。
また別の日。ぐずった湊を引っ張り出して、大学に連れていくのが日課になっていた。友田を交えて三人で談笑しながら外を歩いていた時。何の前触れも無く、上から水が降ってきた。咄嗟の事に警告が間に合わず、三人ともずぶ濡れになった。
「!?!?な、何だ冷たっ…!!」
「え!?」
「つっっっめてえ!!!大丈夫か仁田、井ノ上!?」
急いで上を見上げるが、窓には誰の姿もない。しかし開いている窓があるのは見えた。
「誰だコラァ!」
友田が建物に向かって走り出した。
「二階の窓だ友田!」
聞こえたかわからないが入り口から入る友田の背中に向かって叫ぶ。背中が見えなくなったのを確認してから湊を見ると
「……………………………。」
固まっていた。目を開いて唇を噛み締めて、拳を握りながら。
「大丈夫か。」
声を掛けると、こくん、と頷かれる。
湊の体は大量の水を被って上から下までびっしょりと濡れている。俺と友田も濡れたには濡れたが、どう見ても一番濡れているのは湊だ。水を掛けてきた奴は湊を狙ったのかもしれない。
「おーい!」
声に反応して上を見上げると、先程開いていた窓から友田が顔を出していた。
「誰かいたか!?」
「いない!側にバケツが落ちてる!」
そのバケツに水を入れてそこからここに水を落としたんだろう。一体誰が、というか何故こんな事を。
「……何で、二人にまで。」
湊はそう呟くと、ふっと力を抜いてその場にしゃがんでしまった。腕に顔をうめて、動かなくなった。
「湊…。」
友田が戻ってくるまで、湊の背中を撫でている事しか出来なかった。
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