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序章1-2
想悟がハッとして謝りつつ傍の椅子に腰掛けると、まったく、といったように肩を落とす。
父と呼んではいるが、想悟と蔵之助は、親子というより、祖父と孫のような年齢差があった。それに、顔だって共通点を探してもあまり似ていない。
それは、想悟が蔵之助と血が繋がらないことを意味していた。
想悟の実の両親は、未だどこの誰なのかわかっていない。
産まれてすぐの想悟は、無情にも霧島家の門前に放置されていたという。
孤児としてその生涯をスタートさせた想悟を、何の因果か養子として引き取ってくれた老人がこの蔵之助だった。
だがその蔵之助も、長年の仕事の疲れが出てしまったのだろう。
癌は全身に回り、高齢でもあるせいでもう治療の術はなく、何より彼本人が延命治療をしない方針の為に、あとは静かに余生を過ごすのみとのことだった。
想悟は父に寄り添い、その皺だらけの手を握った。そこから感じる温かみは、紛れもなく子が親に抱く理由のない安堵感。
大丈夫、まだ彼は生きている。それを感じることができただけ、想悟も緊張の糸が解けた。
けれど、「身体は大丈夫なのか?」などと、わかりきったことは言えない。父のことだから、平静を装ってしまうに決まっているのだ。
事実、想悟が来る前はこうして話をすることも困難なほどに体調が優れなかったと使用人から聞いている。
だから、あえて本質は避け、他愛ない世間話をするようにしていた。
「なあ、父さん。俺、今日は明皇に下見に行ってきたんだ。新堂先生なんかとも久しぶりに会ってさ。教壇に立つのがなおさら楽しみになったよ」
「ふん、あまり調子に乗るなよ。しかしお前がこの春から社会人とはな……。本当に、大きくなったな」
「そうだな。……俺、まだまだ未熟な男だけど、父さんには本当に、何不自由なく育ててもらったつもりだ。だから……これからは、少しずつでも恩返しがしたいんだ」
「……何を言うか、青二才が」
「あれ? もしかして照れてるのか?」
「うるさいぞ」
からかうと、蔵之助はぷいっと子供っぽく顔を背けてしまった。
こういうところがあるから、憎めない可愛い人だと想悟は思った。
ひとたび外に出れば霧島という巨大なグループ企業の名誉会長という立場の彼がこんな風に甘えた仕草をとる。
これが父親の顔というものなのだろう。
その息子として育った想悟も、物心つく前からそれなりの優遇は受けている。
もちろん、それは良いことばかりではなく、時には疎まれることもあった。
富に恵まれた環境というのは、決して良いことばかりではない。醜い欲望が渦巻き、誹謗中傷もある。
それに加えて自身がどこの馬の骨ともわからぬ孤児という立場であることもあり、想悟はそうした負の感情の大波に襲われ、存在意義を激しく自責することもあった。
しかしそんな時も、激励をくれたのは蔵之助だった。
父としての蔵之助は優しかった。良いことは褒めちぎり、悪いことはきっちりと叱った。
仕事が忙しくなかなか傍にいることができない時でも、いつも使用人を通して気にかけていることを聞いていたし、たまの休日には目一杯に遊んだり、興味を示したことはとことん学ばせてくれもした。
想悟が教師という職業を目指し、現実となったのも、家を継ぐより、夢を優先させてくれた蔵之助の教育方針の賜物だ。
実の子にすらそうすることができない親など五万といるにも関わらず、血の繋がりのない自分にそうしてくれた。
感謝してもしきれないほどの、心の澄み切った人間。
だからこそ、想悟は彼に、霧島家の名に恥じない人間になろうと努力してきたつもりだし、少しは近付けていると信じている。
今の想悟にとって、そんなたった一人の家族でもある偉大な父は、かけがえのない存在であった。
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