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序章2-1

「なにぼーっとしてんだ? 想悟」  目の前で声を掛けられ、物思いに耽っていた想悟が顔を上げる。  そこには、背の高い一人の男子生徒が訝しげに想悟を覗き込んでいた。  想悟が受け持つ、二年D組のクラスの生徒だった。 「おっ、気付いた。おっはよー」 「名前で呼ぶな。霧島先生、だろ。それから、おはようございます、だ」 「うるせーなぁ。辛気くせぇ顔してるから元気づけてやろうとしてたのにさ、結構つまんねーこと気にするんだな」 「何を言ってるんだよ、お前は……」  人の話を聞かない彼に、想悟は頭を抱えたくなる。  財前和真(ざいぜんかずま)は、クラス内、いいや学年内でも、一番の問題児としてたびたび話題になる生徒だった。  なのに、不満そうに目を細め、口を尖らせる様すら整ったルックスをしている。  無意識に流し目をするぱっちりとした二重に、薄めの唇は血色の良いピンクベージュに色付いて、女受けがする色気を漂わせている。  同性でありながらも、彼はどこか華があるというか、見惚れてしまうものがあった。  女子生徒達がきゃあきゃあ黄色い声を上げているところもよく目にする。  和真も女子にちやほやされるのはやはり嬉しいらしく、にやけ顔で自慢してくるところは、まだ年相応の子供らしかった。  しかも、そうした自身の人を引き付ける魅力を自覚しているからこそ、彼の態度はなんだか鼻につくのだ。  和真は両親が著名な俳優であり、彼のその美貌は、二人から受け継いだものだった。  財前孝、大河内凛子といえば、今や日本を代表する役者である。  大河ドラマで共演していた二人が熱愛、結婚報道がされた時には、ワイドショーがその件で一色になるほどに騒がれたものだ。  だが意外にも、そんな両親の姿を見て育った彼は、実力派俳優を目指し、将来はきちんと役者・財前和真としてデビューしたいようだ。  だからと言って近寄りがたいということはなく、むしろフレンドリーな態度から、当然、和真は学園のアイドル的存在となっている。  実際に俳優というよりはアイドル路線で売り出した方が軌道に乗りやすいと誰もが思うくらいだ。  想悟も初めは、単純に彼の両親のファンであったこともあって、ちょっとだけ緊張したものだ。  いかんせんこんな風に図々しい性格だったせいで、すぐに打ち解けた……というより、そうでなければやっていられない節があったのだが。 「ところでさ、想悟」  言った傍から、和真は想悟を呼び捨てた。  だが、もう注意するのが面倒になっている自分もいるから、このくらいは許してやることにする。  心を読めば彼の真意がわかるのかもしれないが、想悟は清い心を持つ父以外の人間を読むことは極端に嫌っていた。  今までもそうして、聞きたくないことばかりが聞こえて嫌な思いをしたからだった。  読心というものは、決して良いことにばかり使える能力ではなかった。  人の持つ負の感情ばかり聞いていると、こちらが生気を吸われてしまいそうな、重苦しい不快感に悩まされることもあった。  しかし、その経験があったから、今の成功があったのだと思う。  初めは何もしなくとも大勢の人間の声が頭の中に流れ込んでくるような感覚であったのが、すっぱりとこの力を拒絶し始めるとだんだんと鈍くなり、今では直接肌で触れ、かつ読みたいと強く願った者しか聞こえなくなった。  だからこそ、勉強も何もかも、全て自分の力で頑張って来れた。  今はどうにか普通の人間のように、人の顔色を伺いながら生きることができている。  それはそれで傷付くことも大いにあったが、常に疑心暗鬼になるよりはマシだったのだ。 「……なんかマジで元気なさそう。大丈夫なのか?」  和真がますます怪しいとばかりの目を向けてきた。自分勝手かと思えば、彼はこうして人のことをよく観察し、些細な変化も逃さない部分がある。  それは役者として、架空の物語の中で他人の人生を演じるという目的の為に、自然と身に付いてしまったのかもしれなかった。 「……ん。ちょっと心配事があってな。でも大丈夫だ。ありがとな」  想悟も人間であるから、絶対に弱みを言いたくないといえば嘘にはなるが、しかし、父のことは誰にも知られてはならない。想悟は生徒の前ではそうして強がってみせた。 「ふーん。何があったかは知らねーけどさ。あんたがそんな元気ないとかマジでキモくてビビったぜ。明日は槍の雨が降るの? って感じだよな」  想悟の顔が引きつる。生徒とはいえ一度引っ叩きたくなるような口の悪さだ。  このような言葉遣いと、日常茶飯事のサボりや夜遊びなどの問題行動さえなければ、本当に国民的な俳優になれるであろう将来有望な少年であるのに。  大物俳優の間に遅くできた一人息子として、どうにも甘やかされているらしい彼は、言いたいことは何でも言ってしまうところがあるのだ。  実際、父親は忙しい仕事の合間を縫って学園の行事にも参加しているし、結婚を機に表舞台から離れている母親も、今はPTA役員として積極的に学園に関わっていて、その親馬鹿ぶりは有名だった。 「って、こんな悠長に立ち話なんてしてる暇なかったぜ。んじゃーな、想悟」 「……ん? ちょっと待て、財前。これからホームルームのはずなんだが、お前、どこへ行くつもりだ?」 「へ? いや……ほ、保健室だよ」 「具合が悪そうには見えないけどな」 「なんだよそれ、人を見た目で判断すんなよな」 「はぁ……お前な。まさか……朝から思いきりサボる気じゃないだろうな」 「おっ、思ってねーよ!」 「じゃあ、大人しく教室に戻ろうな、和真お坊っちゃま」 「うげぇっ」  わざとらしく言ってみせると、和真は途端に苦い顔になった。俳優を目指していると公言しているくせに、どうにも詰めが甘いというか。  大根役者ぶりに苦笑しそうになりつつ、想悟は首根っこを掴むようにして和真を教室へと引き戻した。

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