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序章5-1

 悪夢の時間が終わった。  いいや、もしくは、これが全ての始まりなのかもしれない。  血液や白濁の汚れを清められた想悟は、両腕をロープできつく縛られているまま、鷲尾と共に想悟を拘束した男達に強引に廊下を歩かされ、次は先ほどよりもこじんまりとした個室に連れて来られた。  先の広間とはまた違う閉鎖された空間に混乱しながら辺りを見回す。ここに来ても相変わらず椅子に縛り付けられて、抵抗などできはしない状況だ。  やはり、一面目の眩むような赤に包まれたなんとも趣味の悪い部屋。  ここは一体どこなのか、自分は何故こんなところに連れ込まれたのか、なに一つわからない。  もしかすると、このクラブの人間達は、想悟を良く思わない連中であり、だから騙されて連れて来られたのではないか。そして、金を要求され、暴行され、最後は司のように惨めに殺されるのではないか。  嫌な想像ばかりが膨らんで、傍にいる鷲尾から目が離せない。  思わず固唾を吞み込む想悟。想悟の素性を知る犯罪者だというのに、鷲尾は実に穏やかな声で言う。 「そう緊張なさらずに。今宵の宴はもうお終い、ですからね」  鷲尾は想悟の前にやって来て、改めて恭しく一礼すると、にっこりと笑ってみせる。  何も知らなければ、根拠もないのに彼の言うことは全て信用してしまうだろう屈託のない笑顔だ。 「勘違いされると困りますので先に申し上げておきますが、我々はあなたに、危害を加えるつもりは一切ございません。まあ、今回はこのクラブを知っていただく為に少々強引な手段をとらせていただきましたが……どうかお許しを」 「何なんだよ、お前らは……」  情けないことに、あんなことがあった直後では、想悟の声は震えてしまう。  あまりにも想定外のことが起きすぎて、動揺を隠せずにはいられなかった。 「ふふ。まあ、とりあえず、水でも飲んで落ち着いてください。ね?」  鷲尾が言うと、隣の大男は透明な液体の入ったペットボトルを口元に近づけてきた。飲みやすいよう、ご丁寧にストローまでついている。  こんな訳のわからない者たちから与えられるものなんて飲めるかと、想悟は顔を背ける。 「大丈夫ですよ、本当にただの水ですから」  大男が耳打ちしてくる。  なんなんだ、こいつらは。人がこんなに焦っているというのにその余裕の態度は。  ────ムカつく。  危機的状況だというのに、想悟は短気な悪い癖が出ていた。  水を飲む振りをして口を開けると、大男の顔目掛けて唾を吐きかけた。  さすがに不快に思ったか、彼は一瞬動きを止めて、顔を歪める。 「……申し訳ありません」  大男は小さな声で謝罪すると、頬についた唾を手で拭った。  それだけとは、なんだか心外だった。  彼らは異常な犯罪者で、自分は人質。それなら、生意気な真似をした人質に暴力を振るっても不思議ではないと思っていた。  想悟は大男を睨む。すると彼は、厚いサングラスでどんな表情をしているかは見えないものの、短く整えられた眉を下げた。どうやら困っているらしい。  その態度に拍子抜けしたのは想悟の方だった。こんな手荒なことをする犯罪者共に、人を丁重に扱う心はないと思っていたのだ。  そんな光景を見て、もう一人の小柄な男の方は腹を抱えて笑っており、鷲尾も安堵のため息をついている。 「それだけ元気なら大丈夫そうですね。蓮見、柳、お前達はもう下がっていい」 「はい。ではこれにて」 「ギャハッ、活きがいいねぇ。じゃあな想ちゃん、またな」  蓮見と柳と呼ばれた男達は、それ以上はなにも言わず、小さく頭を下げて出て行った。  部屋は想悟と鷲尾の二人きりになる。 「紹介が遅れました。私は、鷲尾怜仁(わしおれいじ)と申します。さっきのは、大きい方が蓮見恭一(はすみきょういち)、小さい方が柳義之(やなぎよしゆき)と言えばわかりやすいでしょうか」  ここにはこんな風に最低な人種の同類がいったいどのくらいいるのか、それも問題だった。  どうもにもあのような狂気の宴に慣れているようだし、裏にはもっと、自分の想像する以上のものがあるんじゃないかと思えた。  未知の恐怖に、しっかりと気を張っていないと想悟の意識はどこか遠くに飛んでいきそうな気さえした。

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