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序章9-2

 空き教室へ連れて来ると、守を適当な席に着席させ、想悟もその前の席に座って、椅子を動かして守の方を向く。  教師と生徒の面談のような形になるが、これではまるで守の方が出来の悪い生徒のようだった。 「あ、あの……霧島先生……ありがとうございます、助けて、くださったんですよね……?」  先ほどまで新堂に叱られていた時とはまた違った意味で、守は身を縮こまらせる。  確かにあのような状況は誰しも逃れたいものであるが、そんなつもりで連れ出した訳ではない。見当も違いもいいところだ。  守は謙虚というよりただ気弱なくせに、まったくどこか自分勝手に物事を考える節がある男だった。 「なに言ってるんですか? 俺だって、怒ってますよ。説教の続きだって言いましたよね」 「えぇっ!? あ、あぁっ、そんな……き、気付かなくてすみませっ……んぐっ」  守が咄嗟に謝ろうとしたところで、想悟は手のひらで守の口を塞いだ。 「だからそれ。その何でもかんでもすぐ謝る癖……どうにかできませんか。正直言って、癪に障るんですよ」 「ふ……ふみまふぇん……」 「守先生……あなたわざとやってませんか」  普段より低めの声で言うと、守は必死に首を振った。  そんな守を見ていたらなんだか馬鹿らしくなって、想悟は手を離した。  さすがの守も想悟から滲み出る苛々を悟ったか、弱々しい印象を与える眉を八の字に下げ、俯いてしまう。 「……どうしてオレって、こんなに駄目なんでしょうか……」  生真面目に両手を膝に乗せ、しょんぼりとため息をつく守。  その何か言いたげな表情を察して、想悟は顔を寄せた。守は躊躇いながらも、ぼそぼそと呟き始める。 「オレ……小さい頃から病弱で……意志も弱くて……でも、絵を描くことは何よりも好きだったから教師にだってなったのに、失敗ばかりで……。ほ、本当に情けないって、自分でもわかってるんです」  語り出した守の口から紡がれたのは、自己嫌悪だった。  それから、守は幼少期の頃の様子から、今に至るまでの経緯を、手短ではあるが話してくれた。それには想悟も真面目に耳を傾けてやった。  小さい頃からどうにもいじめられっ子体質であり、そんな自分とは正反対のよくできた兄もいたという守は、いつでも他人と比べてしまい、自分を卑下することが癖になってしまっているとのことだった。  けれども、絵を描くことだけは自他共に認める才能があった。それだけを頼りにこれまで生きてきた。  だが、学校というものはいつでも出る杭は打たれるものだ。  そこを気にしてしまう自分は、教育者として向いていないのではないかと悩んでいる……そんな風に、苦しい胸の内を話してくれた。 「ちょっとはすっきりしましたか?」 「……は、はい。なんだか、こんなに長いこと愚痴を聞いてもらって、すみま……ああっ」 「そうそう、すみません、は無しです。良かった。誰かに話すことで守先生が少しでも元気が出たなら、俺も嬉しいですから」 「は、はい、ありがとうございます。本当に霧島先生は、お優しいですね」  守は嬉しそうに笑った。  厳格な教師陣の中で、庶民の出身である自分にも、想悟だけが味方であるかのように思っているような笑みだった。  それには、想悟も少しだけホッとした。  妬まれることも多い身ではあるけれど、しかしこう純粋に頼られるのはやはり嬉しかった。  不自然にならないよう、そっとその手に触れる。 (──ま、せんせ────なれ────ことも──かな────) 「え…………?」  想悟は思わず声に出していた。  どうしてか、守は心の声がぶつ切りにしか聞こえなかった。 「はい?」  当然、守は想悟が心を読んでいることなど知りはしない。  突然間が抜けた声を出した想悟に、はてと首を傾げた。 「あ……い、いえ。何でもありません。戻りましょうか」  慌てて笑いながら、想悟は言った。けれど、その心は疑問でいっぱいだった。  何故? どうして守は心の声が聞こえないのか。人間たるもの、こうして起きている時に何も思考していないということはありえない。  自分がおかしいのだろうか? 他の人間は皆聞こえたというのに──もしかして、守だけは、そこまでして本心を隠したいのだろうか。  そう考えてしまった途端、想悟は憤りを覚えた。  結局こうなるのか。  気弱な守にくらいは、頼られていると思ったのに。  やはり自分のような者は性格の悪い金持ちだと、信じられないのだろうか。あわよくば利用しようとしているのか。  いつだって、そうなんだ。皆表では良い顔をして、平気で裏切るんだ。  それは守の本心を知らぬ完全なる逆恨みだったが、想悟の心を、どす黒いもやが包み込んでいくのがわかった。

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