30 / 186
序章10-2
誠太郎は、いつも明るいその表情が少しだけ沈んでいた。
ぼんやりと、何か物思いに耽るような、ちょっぴり大人びた顔をする。
「……でも僕ね。そんなこと言ってるけど……セックスでできたんじゃないんだよ」
誠太郎の口から飛び出た彼に似つかわしくない単語に、想悟は危うくむせそうになった。
だが誠太郎からすればそれは何らいやらしい意図はない。
「お母さん自然妊娠できなくて体外受精したんだって。それでもなかなかできなかったけど諦めかけてた時に運よく僕ができたって。産まれた時も未熟児だったからすごく心配したんだって」
長く病院勤めをしてきた彼の両親は、出会いの縁もなく、めでたく結婚した頃には既に高齢であり、子供は難しいだろうとされていたという。
医療に携わる者としては半ば自身のプライドの為に様々な方法を試してきたようなものだったが、それでも人として子供は欲しかったし、念願の誠太郎ができた時には、一家総出で涙を流して喜んだ。
それから、仕事が忙しい中でも必死に誠太郎を愛そうと、せめて富だけは不自由をさせてはならないと、投資は惜しまなかった。
それが今の誠太郎を形成している所以であった。
「……なるほどな。凪は強く望まれて産まれてきたんだな」
「そうなのかな?」
「俺はそう思うぞ。そこまで愛されて、羨ましいくらいだ」
羨ましい。
そう、その気持ちは本当だ。想悟もここまで育ててくれた父には感謝しているし、大好きだ。
けれど、彼の家のように両親が揃っている平凡な家庭に憧れを抱いたことがないといえば嘘になる。
誠太郎は首を傾げ、
「せんせーは、望まれて産まれなかったの?」
と、くりりとした瞳に怪訝な色を浮かばせて想悟を見上げた。
どうして彼はこう物事をハッキリと言いすぎてしまうのか。
正直すぎるのも問題だ、と想悟は胸を締め付けられる思いだった。
「知るかよ」
想悟は吐き捨てるようにして言った。
すると、誠太郎の小さな手が伸びてきて、ふわりと頭の上に乗った。
「……何してるんだ?」
「せんせーなんだか寂しそうだよ。だから、よしよし、ってしてるの。僕ね寂しい時にこうやって頭撫でてもらうとすっごく安心するの幸せな気持ちになれるのだからせんせーにもしてあげる」
そのままなでなでとしてくれる誠太郎は、年下にも関わらず、どうにも癒される包容力のようなものを感じた。
いつでも笑っていて、その愛らしい笑顔は皆の不安な気持ちを吹き飛ばすように、幸せを振りまくものだった。
──それが想悟は気に入らなかった。
してあげるとは、いったい何様のつもりなんだ。
同情されるなんて、自分がどれだけ惨めな人間か痛感するだけだ。こうすれば皆が皆、自分と同じように安らぐとでも思ったのか。違う反応をする人間がいることを想像もしないのか。
カッと怒りが込み上げた想悟は、誠太郎の細い手首を掴み上げた。
「二度とするな」
「ふぇ? でも……」
「もしもう一度でもすれば、俺はもうお前とは口を聞かない」
「ぅう……はい……しません……」
「それでいい」
我ながらとんでもないことを言っていると思った。
けれど、それを非常識とは解釈してこない誠太郎のせいで、当然のようにさえ思った。
だからこそ、そんな誠太郎に否定されれば、自分はまだ大丈夫だと思えるだろうと考えた。そのまま誠太郎の華奢な手を掴みながら、ほんの少し力を込める。
(どうしよう……)
戸惑いの声が聞こえてきた。
しかしそれは次の拍子には、爆発的な音量となって想悟になだれ込んできた。
(どうしようどうしようどうしようっ!? せんせーこわい顔してるよなんでだろう僕のせいかな悪いことしちゃったかなもしかして嫌われちゃったのかな嫌われたくない嫌なのこわいの僕せんせーのことほんとに大好きなんだもんすきすきすきすきすきすきぃいいっ!!)
「うっ!?」
読んでいた想悟の方がよろめいてしまうほどに、彼の思考は今にも崩れそうなおもちゃ箱のように言葉が溢れていた。これだって氷山の一角なのだろう。
許容範囲外の量の心の声を読んだせいだろうか、ガンガンと頭痛がして、こめかみを押さえた。
「はぅ!? せんせー大丈夫? 頭痛いの?」
「う、うう……くそ……大丈夫……」
馬鹿でかい声を出しやがって、と想悟は内心ごちた。
この小さな身体からよくもここまで思考が溢れるだろうというくらいの量であったから、呆然としてしまった。
普段から素直な誠太郎であったから、心では少し落ち着いているものと勝手に思っていた節があったが、全くの逆。
これほどまでに心の声を制御しきれていないとは、想悟も想像していなかったのだ。
守のように閉鎖的な者もいれば、こういう人間もいるものか──各々心の声の質も違うものなのかと、想悟は自分でもまだまだ把握していない読心能力について、改めて奇妙に思った。
ともだちにシェアしよう!