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一之瀬守編10-1
動物を飼っている場所があるとは聞いていた。クラブで生き物を飼うという理由が当時はわからなかったので、その時は見て回ることはなかったが、今なら理解できる。
サーカスしかり、訓練された頭の良い動物のショーを見物するのも娯楽である。だが、このクラブの場合は別に訓練なんてしなくても良い動物もいる。
野生の本能のまま、人を食い殺す様を愉しむ。映画じゃあるまい。古代の娯楽じゃあるまい。
しかしそれを現実にやってのける場所はきっと少ない……それを求めてやってくる狂人もいるだろう。
先を歩いていた鷲尾が何やら大きな檻の鍵を外したかと思うと、
「うわあああ!?」
馬並みの巨体をした黒い動物がものすごい勢いで走って来た。
当然逃れられるスピードなんかではなく、いとも簡単にのしかかられ、首筋を長い舌で舐められて、さすがの想悟も悲鳴を上げるが、鷲尾は肩を揺らして笑っている。
「こらジャック。ご主人様を驚かせるものではありませんよ」
そうは言うものの、ジャックと呼ばれたその生き物はずっと想悟を愛おしそうに舐めている。
危害を加えようとしている訳ではないことはなんとなくわかったが、それでも鋭利な牙と馬鹿でかい未知の生き物を前に、混乱と恐怖を感じるのは当然だ。
「……ジャック」
鷲尾の声音が少し低くなったが、どうにもやめてくれない。
「うう、くそ、えっと……ジャック、やめないか! 離れろっつってんだよ!」
想悟が慌てて命令すると、ジャックはしゅんとしたように自ら檻に入った。どうにも鷲尾より、想悟の命令の方が圧力が強いようだ。
動物と戯れることもあるが、いくらなんでもあのような謎の生き物とは触れたことはない想悟だった。
「な、なな、何なんだ、あの生き物……犬……? にしてはでかすぎる……まるで競争馬だ」
「オーナーの遺作ですよ。名はジャック。どうも、想悟様からオーナーの匂いを嗅ぎ取ったのでしょう」
「嘘だろ? 俺ジジ臭い? 死体臭い?」
「まだお若いのでそれはないと思いますが、遺伝子レベルで似ているのでしょうね。彼はそんじょそこらの犬より頭のいいハイブリッド犬です。現に人間の言葉を完全に理解しているのが事実」
言葉がわかる、と聞くと、なんだかちょっと悪いことをした気分になる。せいぜいお座りとか待てとかの技で我慢させた方が良かったか……。
「ところでこのジャック、何が素晴らしいかって、凌辱専用犬として造られたのですよ。今まで何人殺……壊してきたか」
……前言撤回したくなった。
「今は四歳……ですが、動物は巨体になるほど負荷がかかるもの。寿命はあまり長くはないでしょうね」
犬で四歳というと、人間では三十代のベテラン。ついでに大きさのレベルで馬で言うと二十歳とまだ若いように思えるが、そんなものなのだろう。
もちろん、オーナーのことだからジャック以外にも様々な奇怪な生物を生んでいるのかもしれないが。
「こちらの水槽にはホホジロザメが。たまに裏切り者の会員様を餌にして楽しんでいますね。今では人間を見るとこうして水槽を割らんばかりに餌を欲しがるのです。珍しいものが見たいとの会員様の希望で、メガロドンの研究も進んでいますね。あそうそう、あちらには体長五メートル級のイリエワニやアナコンダが」
「ここはパニック映画の動物園かよ」
呆れ果てるも、本当にそこまでの研究がなされているのなら、今さら止める術もないだろう。
「俺はそんなものを見に来た訳じゃない」
「では、何をご覧に?」
「……人を殺さない程度のもの」
「ああ……」
鷲尾が想悟の意図を汲んだように口元を吊り上げた。本当は最初からわかっているくせに。
「ジャック……」
目的の視察を終えてから、最後に、拒絶してしまったジャックの檻を再度訪れた。ジャックはもう嫌われてしまったと思ったのかこちらを向くことはない。
主人のオーナーが死に、神嶽もいなくなって以来、彼らに関連する人物にようやく会えたのだ。よほど嬉しかっただろうな、でも拒まれては人間と同じで悲しかっただろうな。本当はどんな凶暴な奴かは知らないが、それだけは真実だろう。
生まれてきたくて生まれた訳じゃないという点では、俺とこいつは同じだ。
情けをかけてしまいそうになるから、もうここには来たくない。ジャックが死ぬまで会わないかもしれない。
「俺はオーナーとは違う。お前の主人でもないし、神嶽とも違う。でもお前がこうして生きているのは全部悪趣味な人間のせいだ……ごめんな」
ジャックは頭がいい。彼なりに自身の存在意義すらもわかっているのだろうか。檻越しに想悟の指を舐め、甘い声で鳴いた。
振り向いて、鷲尾に問いかける。
「家畜……か。そういえば、世良から聞いたよ。もう一匹犬がいるらしいな」
「ええ、とっておきの“一匹”が」
「……念の為、世良に頼んでみるか……不本意だけどな」
複雑な心境の想悟を前に、鷲尾はにっこりと薄寒い笑みを浮かべた。
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