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一之瀬守編BAD-1 ※IF、流血
「霧島先生」
今日もまた守の方から話しかけられた。最近はこんなことが多いな……と、正直面倒でたまらなかった。
守は凌辱というつらい現実から逃れる為に、自ら奴隷指導を志願するのだ。矛盾している言動だが、それはある種人間として当然の防衛本能とも言える。
別に強要されてなんていない、これは望んでやっていることなのだ、と無理やり信じ込んでしまった方が楽なのだ。
「……なんだよ」
「先生言いましたよね、オレはもっと自分の心に正直になるべきだ、って。だからそうすることにしたんです」
「……は?」
いきなり何を言い出すと思いきや、先日の凌辱のことか、と想悟も少し安堵する。
ようやく己の立場を理解したのか──そう考えたのもつかの間だった。
「兄のことなんですけど……もう、どうでもいいです!」
「…………な」
「だから先生の脅しはもう通用しません、兄のことを盾にしても無駄ですよ。オレのこと周りにばらしたいなら、どうぞばらしちゃってくださぁい」
「な……にを、言ってるんだよ……あんた、兄貴の為にも粛々と耐えてたからじゃなかったのかよ? だから俺の言うことを聞いていたんだろ?」
「……はい。兄のことは尊敬していましたよ。あの事件があるまではね」
あの事件──ここ明皇学園に勤務していた異母兄弟の勝が失踪したことを皮切りに、実は影で生徒いじめをしていたとんでもない問題教師であった事実が世間に発覚したこと。
失踪事件の際は皆が彼を心配、同情していたのがくるりと手のひらを返され、守を含めた家族まで激しいバッシングを浴びたこと。
「兄さんのせいでオレたち家族はバラバラになって、後ろ指差されて生きるはめになった。もちろんオレだって最初は兄さんのしたこと、信じたくなかった……けど本当だった。いつどこで誰にばれるか気にしてコソコソ隠れながら生きて……夢も台無しになって……それもこれも全部……あいつが……失踪前に馬鹿なことするから。あいつが居なくなってから、オレね、気付いたんです。本当はオレより何でもできるあいつのことを妬んでた。憎んでた。いっそのことどこかで野垂れ死んでいればいいとずっと思ってた。そう、死ね! とっとと死んじまえクソ兄貴が!!」
(オレの夢を! 家族を! 人生を奪いやがって! あいつが居なきゃ脅されることもなかった怖くて恥ずかしい思いをせずに済んだふざけるな絶対に許さない死ね死ね死ね死ね死ね死ね)
守の夢そのものである絵画を汚した時のような呪詛が再び、いやあれ以上の他人に対して悪意に満ちた言葉が弾丸のように紡がれる。
こんな心、とてもじゃないが読みたくないと思ってしまうどす黒くて不愉快な感覚。
彼の心は暴走している。積もりに積もったものを吐き散らかして高揚している。こんなにも自己をさらけ出した守を見るのは初めてだ。
なんだか今までで最悪に嫌な予感がして、冷や汗が出てきた。
どうする、いや、とにかく止めなければ。
「だ、だからって……! あんたの素性、ばらしたら……その、どうなるかくらい、わかるよな? あの恥ずかしい画像とかだって」
「いいですよ、何なら全部ばらしちゃえ! その方が霧島先生もすっきりするんじゃないですか? もうオレには何の関係もない」
守は片手にペインティングナイフを持っている。奇しくも夢の為に長年使い込み、切れ味が鋭くなったものらしかった。
「だってオレ、今日で死ぬから」
守はにっこり笑ってもう片方の手首をスパッと切り裂いた。
「あぐぅうううッ……! いっ、痛いッ……痛いよ、痛いよぉ……!!」
一瞬驚いたものの、表皮から鮮血が滲んでいるだけで血管までは切れていない。それだけでは軽傷だ。
死ぬと口にしてはいたが、やはり元は気弱な守だ、凶器の鋭利さや本気で自分自身を殺そうという力は十分ではない。
あまり計画性はない、精神が不安定な故の衝動的なものと言っていい。
「なんで……こんなはずじゃ……こんなんじゃっ、死ねない! 死ねないじゃないかあっ!! ……あなたのせいだ……全部全部全部あなたのせいだあぁぁああああああっ!!」
「────ッ!!」
錯乱した守がナイフを振りかぶって襲いかかってきた。
「やめろっ! 何考えてるんだ! くそ、よせっ……!」
「嘘でしょ霧島先生が怖がってるオレを虐めた奴らにもとっくにこうしていれば良かったかなざまあみろあーっはっはっはっははははははっ!!」
一度は自殺を図ろうとした青年に似つかわしくない、狂った笑い声。
このままでは死ねなさそうだから、今度は元凶となった人物を殺そうというのか。実に短絡的発想の持ち主だ。
資料を読んだだけだが、兄もそうだったのだろう……想像が容易な気がした。
守がこんな行動に出るとは思っていなかった為に、情けなくも守の両腕を掴んで抵抗するのが精一杯だった。
だが、そうして揉み合っているうちに、想悟はバランスを崩して足元が揺らいだ。
二人の身体が宙に浮く。階段を踏み外したのだ。
「あ、れ?」
守はそれも認識できていないかのように首を傾げた。
それからは一瞬の出来事だった。階段を転げ落ち、全身を強く打った。
あまりの激痛で起き上がれない。たぶん身体のどこかの骨が折れ曲がっている。どうにか目だけを動かして守の方を見やる。
守のペインティングナイフは、彼の喉笛に深く突き刺さっていた。それもきっと偶然に。自分の力では切れないし刺せないそれも、落下のスピードが加われば……。
何故こんな凶行に出た。どうしてこんな風になったのか。
彼の心を、追い込みすぎたか。
「まも……る……」
守は目を大きく見開いたままピクピクと小刻みに震えていた。傷口から赤が広がり、床に大量の血溜まりを作っていく。
こんな状態ではもう助からない。手を伸ばしたくても、こちらも身体が言うことを聞かず届かない。
「う……ぁ……」
二人が争っている声を聞いて発見したのであろう生徒達の悲鳴が聞こえる中、想悟の意識はだんだんと遠くなっていった。
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