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一之瀬守編BAD-2 ※IF、人体実験
光が眩しくて目が覚める。おかしいな……血塗れの守と学園の天井を見ていたはずなのに、今目の前にあるのはどこもかしこも真っ白な部屋──。
死後の世界なんて信じていなかったが、もしかしてここが?
そうぼんやりと思っていたが、どうやら違ったようだ。いや、もしくはそうであってくれた方が良かったのかもしれない。
意識を取り戻した想悟が居たのはクラブの病棟にある個室のベッドだった。そして聞き覚えのある声で完全に現実へと引き戻される。
「想悟様、俺がわかりますか?」
「…………ああ、忘れたくても忘れられないよ、その鬱陶しい顔と声」
「この期に及んで悪態をつけるなら、大丈夫ですね。ご無事で何よりです」
「俺……なんでここにいるんだっけ……」
守と共に階段から落ちて気絶してしまった後の記憶が全くない。それについては、鷲尾から詳しく話を聞くことになった。
事故の後、二人とも世良の通報により救急車で運ばれた。まあ、事情が事情なだけに一般の病院ではなくクラブで手当てを受けたということらしいが。
そして、想悟はこの三日間眠り続けていたという。
切り傷に打撲に手足や脊椎の骨折などという大怪我だったらしいが、特に固定されている訳でもなければ、全く痛みもないし、見える範囲で怪我は見当たらない。というより、何の問題もなく全身が動く。
事故前後のレントゲンも見せてもらったが、一枚目は素人目でもわかる不自然に離れた骨、二枚目はそれが魔法のように元に戻っている。
だが撮影された日付けがおかしい。せめて三ヶ月の間違いではないのかとよく目を凝らしたが、確かにたったの三日だった。
「そうだ……守は……!」
鷲尾が黙って首を横に振った。
「搬送された際には、もう。即死だったようですね」
やはり……最後に見た瞬間には、運命は決まっていたのか。想悟はうなだれ、頭を抱えた。
守があんなことになってしまったのはこちらにも責任がある。直接ではないが自分が殺したようなものだ。
既に犯罪に手を染めている者が言うには説得力に欠けるが、過酷な凌辱にさらしても決して彼を死なせる気はなかった。その気持ちは本当だ。
それに、守が死んだとなると──。
「俺はこれから……どう、なるんだ」
「ただ単に壊してしまっただけなら挽回できますが、あんなに大勢の人間に見られてはもう明皇学園にはいられない。我々としては口封じをしたいところですが、あの大怪我からこうして生き残ってしまったあなたを殺すのは難しいのでしょうね。……となると、やはりクラブの役に立っていかなくてはなりません。制裁、という形になってしまいますがね」
鷲尾はすっくと立ち上がり、想悟を見下ろした。今までにないゴミを見るかのような目つきだった。
「霧島想悟」
敬称も取っ払われ、刺々しい口調だ。
「今よりあなたはクラブの後継者候補から外れます。と同時に、保護権も解かれます。つまり、あなたを今後どうするかは、クラブ次第」
そしてニヤリと口元を吊り上げた。
「せいぜい働いてもらいますよ、クラブの為にね」
あの後、鷲尾は言った。「オーナーの研究は自分が引き継ぐ」と。最初から想悟をいなかったもののようにして、やはり鷲尾が後継候補になるのかと思われた。
しかし心境の変化があったのか、こうも言った。オーナーの遺言と同じく、「このクラブは化け物に継いでもらわねばならない」のだと。
その言葉の通り──まるでオーナーが憑依したかのような鷲尾による被験体を想悟とした人体実験が始まった。
まず真っ先に行われたのは、遺伝に賭けるという原始的な方法。
種馬のように性交を余儀なくされたり、たっぷりと精子を搾り取られた後に凍結保存さえされた。何人か子供はできたようだが、全員が「普通」の人間だったが為に──末路は説明されずとも目に見えている。
ある時は腹を裂かれ、またある時は脳みそを弄くり回された。無論麻酔などない。あの大怪我を三日で回復したのでわかるように、摩訶不思議な治癒能力はあるにせよ、痛覚はあるのに、だ。
それが三百六十五日、休みらしい休みもなく。実験という名の精神的・肉体的拷問は想像を絶する地獄だった。
今はDNAを調べているらしいが、これが難航しているようで、近頃の鷲尾は当の想悟に当り散らしてくるようにもなった。
「いったいこの配列は何だ」そう怒鳴っている声も聞こえた。鷲尾にそこまで言わせるとは、我ながらそんなに特殊な構造をしているのだろうか。
自然の遺伝も諦めてはいないらしいが、遺伝子操作にまで手を出し始めた。クローン技術は果たして人類の希望か、絶対に触れてはならない禁忌なのか。
それも普通の人間ではない、鷲尾の固執するいわゆる超能力がある人間を生み出す必要があるとすれば、数十年……百年……下手をすればそれ以上。
オーナーよりも難しい偉業を成し遂げようとしているのだろうから、空恐ろしい男だ。きっと今の彼は、会ったこともないオーナーよりも狂気に満ち溢れている。
「こうして研究している間に俺の寿命は刻々と減っていくのに、どうしてお前は死ぬようなことをされても生きてるんだろうなぁ」
口調もずいぶんと横柄になり、想悟に傅いていた頃とは全く逆。むしろ、金になり得る奴隷よりも酷い。完全なる物扱いだ。
それもそうだ、実験に駆り出される時だけ病棟に移されるのみで、普段はあの見るも無残な最下層にいるのだから。俺は支配する側であったはずなのに……あまりの転落劇にここまでくると笑いさえ込み上げる。
今日も檻に入ってきた鷲尾に蹴り飛ばされて起こされた。
生々しい傷痕も短期間で癒えたようだ。昨夜も失神したので、自分でも今回の傷の程度を初めて知る。
肉体は驚異的なまでの回復力を見せるのに、精神だけが疲弊していくアンバランスさは、鷲尾にとっては腹立たしいものなのだろう。
「オーナーの隠し子だって言うから期待してみれば、人一人従えられやしないし、完全に買い被りすぎてたな。あのジジイと血が繋がっていることは間違いないんだが……すると母親がとんだド腐れ化け物女だったか」
「う、る、さい……ッ」
「ああん? 俺は本当のことを言ったまでだろうがよ、失敗作が」
素性の知れない母の尊厳まで貶められることは、想悟の怒りを刺激した。
……けれど、オーナーは鷲尾から聞く限りの言動からするに非人道的な人間ではあったようだが、さすがに身体には何ら特異な点はなかったはずだ。事実、本当に天寿を全うして死んでいるならば。
実際にこの身に起きている出来事の因子は……母親のせいである可能性が高いとしか言えない。
これは悪夢だ。
やっぱり俺なんてこの世に生まれて来てはならない存在だったんだ。
“生物学上の父と母”よ。
お前らは何を思って俺を作った。産んだ。そして捨てた。お前らは俺に何の怨みがある。俺はどうすればお前らに捨てられずに済んだ。
……どうしたら、愛してもらえたんだ……。
そんなことは今となってはもう一生わからないし、知ったところで意味をなさない。
「お前よりも“優れた化け物”を造るまで、研究はやめねぇからな。……俺が先に死んでも、何年経とうが絶対に」
そう言う彼の過激思想も化け物じみているし、どんな拷問を受けても一向に死にそうにない自分も化け物そのものだ。
こんな日々がいったいいつまで続くのだろう……あまりの絶望感は次第に思考力の低下を生み、頭がぼんやりと霧がかってくるようになってきた。
クラブに監禁されてからどれほどの時間が経った?
俺は何歳だ?
そもそも俺は何者だったんだ?
父さん……そうだ、父さんは……どうなって……ああ……とっくに死んだって聞いたっけ……それで、ある意味守るものはなくなってしまったんだって、自暴自棄になったんだ。
今が西暦何年なのかも、世間がどうなっているのかも、自分のことすら、もう何も覚えていない。
死んでしまいたいのに身体がそれを呪いのように許してはくれない。
だから研究は続いている。
俺が生きている限り、永久に。
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