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凪誠太郎編1

 誠太郎を贄とすることを決めてから、彼を改めてよく観察するようになったせいもあるだろう、想悟は苛々が募るばかりだった。何より彼の態度が癇に障って仕方がない。  なにが“好き”だ? そんなこと、どこまで本心かわかったものじゃない。何をされれば誠太郎は泣いて許しを乞うのだろうか。  そう、彼を見ていて、一番疑問に感じていることはそれだった。  ──どうして誠太郎はそんなにも俺のことが好きなのだろう?  自分が覚えていないだけで、なにか彼の琴線に触れるものがあったということだ。  または、誠太郎の恋愛感情というのは、想悟の思う感情とはいささか違うのかもしれない。  誠太郎の資料を見て、想悟は彼には愛情というものが足りていないのでは? と考えた。  誠太郎の家族は医師一家で、皆忙しく、幼い頃から独りぼっちで過ごすことが多かった。時には財前家に世話を見てもらったりもしているくらいだ。  いくら家族が愛していると言葉をかけたり、金を使って物を買い与えても、まだ親の気持ちなどわからぬ子供には、ただ何も言わず傍にいてくれる方が、よっぽど精神の安定を得られるというものだろう。  それが無い環境にいた彼は、もしかすると精神の発達がある一定の歳で止まってしまっているのではないか。  あるいは、より多くの人間からちやほやと愛情を貰うために、大人になることから逃げているだけか。  そう考えれば、あのような幼稚な言動も納得いく節があった。  寂しくてたまらないから、誰かに傍にいてほしい。でもそれは誰でもいいという訳ではなくて、特に想悟でなくてはならない。これがどうにもわからない。  こればっかりは本人に聞くしかないと思った。  昼食を共にしようと誘うと、誠太郎はよほど嬉しかったようで、喜々としてついて来た。ルンルン気分で鼻歌まで歌いだすというご機嫌ぶりだ。  二人だけで屋上の庭園に行き、ベンチに座って飯を食らう。  誠太郎のどうでもいいテレビの話や友達同士で盛り上がったのだという話を聞き流しながら、想悟は楽しそうな誠太郎を見ていた。  さっと昼食を平らげてしまった想悟とは正反対に、誠太郎の食べるスピードは遅い。あっちこっちにチョココロネのクリームをつけては舌を突き出して舐め取る、正直に言って食事の作法はなっていない誠太郎。  本当に子供のようだ、と想悟は深々とため息をついた。  回りくどい真似はせず、単刀直入に聞くことにする。 「凪……いいや、誠太郎。お前、俺のことが好きなんだよな」 「うんっ! 好きだよ!」 「どうして好きになったんだ?」 「僕を見てくれるから!」  何の問題があるかというように、首を傾げる誠太郎。  目が合って、想悟は誠太郎を小動物でも見るみたいにじぃっと視線を注いでいたことに気付く。  だが、想悟からすると、そこまで一緒にいるという気もしない。  女のように友達同士で何をするにもべったり、ということもないつもりだし、もうこれではこの件は迷宮入りしてしまいそうだ。  しかし、人を好きになることに理由などいらないのかもしれない、という気持ちはわからなくもない。  それなら何故初めは幸せいっぱいに結婚したはずの新堂が別れてしまうのか。そんな新堂への恋心も簡単に冷め、薄れてしまうのか。  身近な人間を例に出して、想悟はぼんやり思った。誠太郎のそれだって、どうせ勘違いのようなものだ。 「それは、どういう意味で……なんだ?」 「意味?」 「例えば、その……キスができるかとか……そういう意味でさ」 「キス?」  その言葉を聞いてからの誠太郎の行動は素早かった。 「んっ!?」  モデルのように小さな顔が迫ってきたかと思うと、想悟は何の躊躇もなく唇を奪われた。  そのまま強く抱き締めてくる小柄な身からは、心の声がマシンガンのように撃ち出される。 (ふわあぁぁぁ……せんせーとちゅーしてる! なんでだろー……せんせーとちゅーするの、すっごく落ち着く! すきすきすきすきすきっ! こうすれば伝わるのかな? 僕の初めてのちゅー、大好きなせんせーにあげる!)  誠太郎は自身の思いの丈を全て伝えたいとでもいうかのように、唇をぐいぐいと力任せに押し付けてくる。  先ほど食べていたチョコレートだろうか、彼の唇はほんのりと胸やけがするような甘い味と香りがした。  ムードもテクニックも何一つないが、それは想悟にとっても、ファーストキスだった。  奇しくも、貞操と同じく、二十三年間守ってきた唇だ。こうも一瞬で奪われることになろうとはまったく予想していなかった。  突然のことに想悟は呆然とし、息をすることも忘れてしまった。  酸欠気味になって、誠太郎の細い身体を押す。ようやく顔が離れると、目の前の誠太郎は幸せそうにころころ笑った。 「はいっ、ちゅーしたよ!」  こちらが言い出したこととはいえ、カーッと顔が赤くなるのがわかる。  いくらなんでも、何とも思わない同性にキスはなかなかできないだろう。まさか彼にここまでの度胸があったとは、驚きだった。  わなわなと震える唇で、誠太郎をさらに試そうとする。 「そ、それなら……セックス……できるのかよ」 「でも、僕おまんこないよ?」 「男同士の。まあその、ケツでするんだ」 「ケツ? お尻の穴? あんなところにおちんちん入るの? そっかぁ……。でもせんせーがしたいなら、いいよ!」 「……お前はそれをおかしいと思わないのか」 「むうぅ……? 僕、せんせーが傍にいてくれるなら、何だってするよ?」  よもやそこまで想悟のことを想っているのだろうか。想悟はますます誠太郎という人間がわからなくなる。  よくよく考えれば、誠太郎は好きというばかりで、こちらには見返りを求めてこない。  恋人になりたいだとか、それこそキスをしたいだとか、そういうことは言ってこない。  ただ、想悟が自分の気持ちを受け入れてくれればいい、そんな調子だ。  極論で言えば人は損得で行動するものだ。このように一方的な言動で満足するなど、常人では考えられない。  誠太郎のそれは、幼い子を残して仕事に行ってしまう親の背に向けたようなものと似ている。  振り向いて、優しく頭を撫で、強く抱き締めてくれればいいのだ。 「……なら、こんな約束をしよう。俺の命令を何でも聞けたら、ずっと傍にいてやる」  それは想悟にとって、ある種の賭けだった。彼がほざく“好き” という感情が本物であるかどうか、試してやりたくなった。 「俺の性奴隷になれ、誠太郎」  異常な命令にも誠太郎は目を輝かせて、「うん!」と首を縦に振った。

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