91 / 186
凪誠太郎編6-1
想悟が授業を終えて職員室に帰ってくると、何やらガヤガヤと騒がしかった。それも、どうやら話の主役となっているのは、普段はあまり自己主張することのない守である。
「お願いします教頭先生、どうか凪くんの作品も応募してあげることはできませんか」
「しかしもう候補の生徒は決まっていますよ。皆、既に各所で才能を認められている素晴らしい生徒達です。あなたもそれで異存はないと仰っていたじゃありませんか」
「そ、それはそうですが……」
いつものことではあるが、また何やら守と新堂が対立するような形となって揉めている。
想悟が呆れ顔の他の教員から話を聞く。
このところは写生と水彩画の授業を行っていた守だが、そこで誠太郎が提出してきた作品に、大変感激したという。
学生の絵画コンクールに応募する作品の枠は各学年ごとに決まっていたが、そこにどうにか誠太郎の作品もねじ込めないかと直談判してきたのが今、とのことだった。
「……確かに凪くんの作品は、正直デッサンは上手いとは言えませんし、テーマからも逸脱していると思います。……でも、もう一度見てください、この構図や色使い。とても素人の発想とは思えません。教頭先生は、まだ出てもいない芽を摘んでしまうんですか?」
「いや、さすがにそこまでは言っていないが……」
「ああっ、霧島先生。先生は、どう思われますか?」
俺には関係がないことだと席に着こうとしていたのに、守にぐいと腕を掴まれ、助けを求められてしまった。
他の生徒ならともかく、相手は奴隷指導を行っている最中の誠太郎だ。もちろん教師としては全否定する訳にはいかないが、熱心に推薦する理由もないので、想悟は少し悩んでから答えた。
「そ、そう言われても俺は専門外のことなので何とも……。まあ……凪は多少素行に問題ある生徒ですが、成績は優秀な方ですし、守先生がそこまで仰るなら、その……あまり突っぱねず、考慮に入れてやるくらいは、してやっても良いのかと……」
もっともな意見に、新堂もため息をつくしかなかった。新堂は「わかりました。考えておきます」と受け流し、この件の話はいったん終了となった。
しかし結局、コンクールには既に決まっていた生徒達の作品を出すことになった。学校なんてものは、強烈すぎる個性は真っ先に潰されていく。
これが模擬試験であっても結果は同じようなものだろう。高い進学率を保つ為に、そもそも望みの薄い学校への受験は判定が出た時点で勧めず、浪人生を出さないようにする。
それが良いか悪いかだなんてわからないが、危険な橋は渡らないことが吉である……そんな堅実な姿勢だな、と想悟は冷静に思う。
──俺だって、そんなことは痛いくらいにわかっていたから必死で普通の人間の振りをしていたんだ。
かく言う誠太郎は、自分が知らない間にそのような才能を発揮していたことなど全く気付いていない。
作品が返ってきてから、想悟は放課後の教室で彼の絵をまじまじと見せてもらった。学園から見える風景をテーマにした水彩画。皆は、校舎や、屋上庭園、正門から見える並木道など、ややありきたりとも言える絵を描いていた。
しかし、誠太郎の作品というのは、非常階段に止まったカラスが大きく描かれていて、目の前に広がるもの、という意味での風景は、もちろんこれでも間違いではないのだが、いかんせん視点が近すぎるように感じる。
水彩画であるのに線はしっかりしていて、あくまで主役をカラスに絞り、周りのビルや自然などはそのオマケという感じだった。かと思えば眩しいくらいの蛍光色で色をつけていて、かなり印象派だった。
言うなれば水彩画に特化したゴッホ。……と称するのは忍びないが、確かに才能がない人間のそれとは明らかに違うことは、素人目でもわかった。
「なあ誠太郎、聞きたいんだが、どうしてこういう絵を描いたんだ?」
「だって守せんせー見たままを描いていいって言ったよだから僕の見たままを描いただけ!」
「そうは言っても、俺の知ってる風景画はこう……もう少し遠くからの構図を切り取って描いてるようなイメージがあるけどな。それに色も……なんだかド派手すぎないか?」
「そーかなー?」
「つーか、このカラス必要か?」
「いーるーよー!」
誠太郎は何がおかしいのかと首を傾げている。もしかして誠太郎には本当に世界がこんな風に見えているのだろうか。
ものの捉え方など十人十色であると頭ではわかっていたはずなのに、やっぱり彼のことは不思議でたまらない。
そんな風に自由な発想を持っているのかと思いきや、異常なこだわりを持っているようでもある。例えば、想悟への熱く一途な気持ちもそうだ。
──この絵なんか、カラスが俺だとか言いだすんじゃないか。
「このカラスってせんせーみたいだなぁって思ったの!」
想悟は内心ギクリとした。まるで誠太郎に読心されたみたいだ。もちろん、そんなはずはない。ただの偶然の一致だ。
だが、誠太郎と同じことを考えていたということは、少しずつ彼の思考に慣れでもしているのだろうか。
「鳥さん何考えてるのかは全然わからないけどきっと僕の知らない広い世界をいっぱい見てきたのかなぁって思ったらせんせーと同じだなって。それでね僕の世界にはせんせーがいないとダメなのだから鳥さんがいないとこの絵も成り立たないんだよ!」
「……そ、そうか。こじ付けのような気もするけど、俺を褒めてくれてるなら、ありがとな」
「どういたしまして!」
誠太郎はふにゃっと拍子抜けするような柔らかい笑みを見せた。
毎度のことながら、彼の笑顔は調子が狂う。とてもクラブという非日常に巻き込まれている人間には思えなかった。
クラブでの輪姦ショーを終えても彼は本当に何一つ変わらなかった。ショックを受けている風でもなく。
少々激しい運動部に入ったくらいにしか考えていないのではないかというくらいに、事が終わればけろりとしていた。
そういう想悟も、そんな誠太郎の言動には頭を悩ますばかりだ。こうして仲良く話しているのが本来は異常事態である。
奴隷になれなんて脅されて、犯されて、あげく不特定多数にも……そんな状況に置かれたら、普通の人間なら元気に外出できない。授業を受けられない。笑えない。
まあ、他人のことは言えないが、彼はやっぱり平凡な人間とは違っているみたいだ。そんな風に再認識したのだった。
ともだちにシェアしよう!