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凪誠太郎編6-3

 ドサリと大きな音を立てて誠太郎が床に崩れ落ち、想悟はハッと我に返る。 「お、おい……大丈夫かよ」  手もつかずに倒れ込んだ誠太郎は、多少なりとも痛いだろう。だが誠太郎は想悟の問いかけに反応せず、それどころか身体もぴくりとも動かない。  ──なんだ。どうした?  慌てて誠太郎を抱き寄せる。 (────)  触っても心の声は聞こえてこない。ということは、意識がない状態だ。  まさか、俺は……誠太郎の命を、この手で……? ぞわりと背中に嫌な汗が伝った。 「……嘘、だよな。誠太郎……誠太郎!」  さすがの想悟も焦りを隠せず、誠太郎の頬を咄嗟に平手で張った。 「っ……ひゅ……! げほっ! あぐっ、うえぇっ!」  誠太郎は一気に舞い込んできた酸素を吸うことすらままならず、思い切り咳き込んだ。  だが、意識は思いのほかはっきりしているようだ。一時的に気絶していただけのようだ。  大丈夫、ちゃんと生きている。自分でやっておきながら安堵するのもなんだかおかしな話だが、最初から誠太郎を殺す気などないのだ。  肩で息をしながら、誠太郎は想悟を涙目で見上げてくる。 「あぅ……せんせー、がいる……ここ……天国……?」 「馬鹿。死んでねぇよ」 「僕……生きてる……の……?」  生きている。そう実感して、さすがの誠太郎もホッとしたようだった。  いくらなんでもクラブの奴隷候補をうっかり殺してしまうなんて自身の処遇も危ないし、何より誠太郎をつらい目にとは思ったが、誠太郎だってこの若さで死ぬのは惜しいという気持ちくらいあるだろう。だが──。 「はぁっ、せんせー……いま……僕を、殺そうとしてた……よね……?」 「……そ、そんな訳ないだろ。俺、殺人犯になんかなりたくないっての。少しスリリングな遊びをしたかっただけだ」 「ううん……嘘……。ふはぁっ……せんせーは……本気で僕のこと殺しそうになってた……僕わかるよ……僕をせいよくしょりどうぐにしようとしてたんだ……」 (でもせんせーに殺されるなら嬉しいなって思ったよ。そうすれば、僕は永遠にせんせーのものだから……)  何を、馬鹿なことを。そう言って笑い飛ばしてやれば済むことなのに、どうしてか言葉が出て来ない。  恐怖──そう、想悟はこの年下で、小柄で、男としてもまだまだ未熟な彼に、底知れぬ恐ろしさを感じてしまった。 「別に……殺さなくてもお前は俺のものだろうが」 「…………うん。そうだね……そうだよね……えへへ……へ」  今度こそ事切れてしまったのかと思ったが、どうやら疲労で眠っただけのようだ。  呑気にすやすやと寝息を立て始めた誠太郎を見て、想悟は張り詰めた緊張の糸が切れた。  危うく大変なことをしでかすところであった。いくらなんでも殺人なんて、ましてやこんな風に凌辱の最中でなんて、考えたこともない……はずだ。  けど……。  誠太郎を殺そうとした……この俺が……絶対にありえない……そんなことは人間としてサディズムがどうとかそんなレベルを超えてやっちゃいけない行為だ。父さんの為に殺人を犯すなんて正に父さんに顔向けできないに決まってる。  なのに、何なのだ、この感情は。  おかしい。おかしいおかしいおかしい何もかもがおかしい。  こんな気持ちになるのは……全部誠太郎のせいだ。クラブが、いやあのクラブより狂っていると言ってもいいこいつが俺を混乱させる。  腹の底から叫びたくてたまらないのを、強く握った拳で自身の膝を何度も何度も殴ることでどうにか回避した。  想悟は今日も一見愛らしい小動物のような生徒を好き勝手に犯した。すっきりとしても良いはずのに、想悟の心は一向に晴れなかった。むしろモヤモヤとした感覚が胸に充満する。  こんな奴に少しでも恐怖した自分が、許せない。  依存しているのはこいつだけであって、俺じゃない。セフレでもない。SMごっこでもない。あくまでクラブの売春と人身売買の仕事だ。だから支配者と奴隷の関係を保っていなくてはならない。  そうだ、俺はこいつを好きな時に犯し、捨てることだってできる。  お前は俺のもの? 冗談じゃない。お前なんて俺の所有物じゃない。近い内にクラブに出品されるただの預かり物だ。 《せんせーに殺されるなら嬉しいなって思ったよ。そうすれば、僕は永遠にせんせーのものだから……》  誠太郎の心の声が蘇る。  クラブより、神嶽より、誰よりも、誠太郎にだけは踊らされたくない。だから殺してなんてやるものか。自分のものにだってしてやるものか。  肌を重ねたからこその情けなんてのもあるだろうに、想悟は誠太郎に関して、彼とは真逆にこれっぽっちも愛情を抱けていないことに気が付いた。  生徒としてはずっと変わっている奴だなと思っていた。悪い奴じゃないんだけど、面倒そうだから担任じゃなくて良かったとも思っていた。それだけ。  誠太郎には悪いが、今はやっぱり……奴隷としか、見れない。  新堂のことは当時、人並みに好きだったはずだ。でも、今や好きという感情がわからない。生徒が家庭を持っている教師に恋したって、そんなの報われないに決まってる。  なのに、なのに娘の綾乃ちゃんのことを優先したから好きじゃなくなるなんて、そんなのは果たして愛と呼べるのか。親なら当然じゃないか。父さんだって、立場が同じならそうしたはずだ。  結局、誠太郎と同じでただ自分を見て欲しかっただけの子供の我が儘ではないのか。  父さんのことは、ずっと尊敬しているし、感謝している。  でも、俺は真に他人を愛することができるのだろうか。  ……それを確かめる為にも、誠太郎にはもっとクラブに相応しい奴隷らしくさせる必要があるだろう。そして、現在の態度を改めさせることも。  自分の中にある一つの考えを意識した途端、落ち着きかけていた感情が暴発しそうになって深呼吸する。  ああ、やはり自分はどうしようもない人間だったのだ。  今回やってしまったこと、誠太郎に対する感情、その両方が中途半端で、身勝手すぎて、深い自己嫌悪に囚われる。  誠太郎。俺はお前を愛さない。いや、きっと生まれつき愛せない人間なんだ。  俺がお前の為にできることは、それが苦痛にならぬよう“教育”することだけだ。  想悟は腕の中で眠る誠太郎の小さな頭を撫でた。

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