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凪誠太郎編9-4 ※END分岐

 クラブ内をほっつき歩き、ようやく鷲尾を見つけると声をかけた。  この頃は、もう鷲尾に対してもそれほど怒りや憎しみも薄れている。むしろ、そんな負の感情より優先すべきことが山積みだ。 「なあ。そういえば、オーナーの墓や遺影はあるのか? ここの施設の人間だって、さすがに主が亡くなれば供養してやる仏心くらいはあるだろ」 「いいえ、残念ながら墓どころか位牌もありません。それがオーナーの遺言ですから、我々は彼の意思を尊重したまでです」  言ってみるだけ言ってみたが、それもそうだ。  悪の親玉なら、死んでもまず真っ先に自分の存在を半永久的に隠そうとする。とっくに火葬され、遺灰すらどこに撒かれたかもわからないだろう。  はた迷惑なことに、想悟の資料とこのクラブという遺産は置いていってくれたようだが。 「……ああ、ただ、会員用に広間の一画に慰霊碑を置いた部屋は作らせましたが……それが何か?」 「そこにも案内してくれ。俺、まだあいつに会ってない」 「なんと……お会いするつもりですか」  鷲尾でさえ一瞬、怪訝な顔をした。こんな彼は今まで見たことがない。  それだけ……自分はオーナーを、クラブを、ここまで入り浸ることになったくせになにも知らなかった。  情けないことに今まで気付かなかったが、確かに広間の階段裏に小部屋があり、しかし中には立派な慰霊碑があった。たぶん、彼を崇拝すらしていた者もいるはずだから、これはあくまで形式上のものだろう。名前などの個人情報は一切書いていない。  こんな施設を一代で築き上げたくせに、自分の人生をめちゃくちゃにしたくせに、何の反省もしていないような簡素な文章が、不条理すぎる現実を感じさせる。  ここに……いや違う、もうこの世のどこにも彼は存在しない。だが──。  握った拳にさらに力が入ってブルブル震える。 「オーナー……いや、親父」  死ぬほど憎んでいたオーナーを初めて父と呼んだ。それには鷲尾もわずかに驚いているようだった。 「ブッ殺してやりたいけど、もう死んでるから叶わないなんて粋なことしてくれるじゃねぇかよ。でもムカつくから言うよ、あんたも短気だったんだろ。……いつか地獄で殴ってやるから楽しみにしとけ」  吐き出してしまえば、案外楽だった。今まで苦しんでいたのは何だったのだろう。そう……ただの逃げだ。臆病なだけだったんだ。  ただ、鷲尾は何か考え込んでいた。 「どうした」 「……いえ、確かにあなたの言う通り、生前の写真の一枚くらいは遺しておいても良かったな、と思いましてね。写真嫌いな方でしたが、俺ももし想悟様のことをもっと早くに知っていたら、さすがにどんな容姿をしていたかくらいは気になるだろうという想像はつきます。……まあ想悟様には顔はあまり似ていないクソジ……老人でしたが……若い頃はそれなりだったとは武勇伝で聞きましたね」 「はっ、若い頃はそれなりのクソジジイか。ずいぶんな言い草だな。……父さんと同年代くらいか?」 「まあ、そうなるかと」 「それじゃあ人並みには遊んでもらえなかったろ」 「そうでもなかったですよ。機嫌の良い時は勉強を見ていただけましたし、お人形遊びをしないかと研究室に誘われましてね」 「お前のそれはマジの人だろ……」  鷲尾はオーナーが親代わり。想悟の実父はそのオーナー。  最初こそ殺されるかもしれなかったし、鷲尾のことはまあ、今でも胡散臭くはあるけど、環境を考えるとまるで兄弟みたいだ。 「俺、逆にオーナーが父親だから、もう怖くないかもしれない。あんな奴の血が入ってるなら何だってできるはずだろ」 「……なるほど。そう来ましたか」 「人の醜い声が聞こえる自分が怖かった。どんどん抑圧的になって、誠太郎にあんなことする罪悪感も消えなくて……。でも、この最低最悪な施設を牛耳っていた男の息子なら、恐れる必要なんてない。俺に楯突くような輩は……みんなぶっ潰してやればいいんだ」  何故、嫌な思いをした時に、「反撃」を考えたことがなかったのか。幼少期から自身の思考を遡ると、それは全て蔵之助の教育方針だった。 “誰に何を言われようが、清く正しく生きろ”  父さんは高潔な人間だからできたのかもしれない。でも俺は。もうこんなに汚れてる。ふと両手を見てみると、血と錆で赤黒く染まっているかのような錯覚にさえ陥った。  父さんの意思に反発する訳じゃないし、それはとても正しい行いだと思う。正当防衛ならいざ知らず、自分が傷付いたから相手も傷付けて良いなんて法律はない。  ならどうするか? 罪を犯す。悪の道を往き、私刑を下す、あるいはただの欲求不満を解消するのだ。綺麗事だけでは世の中は通らない。  そんなのは底辺の人種だと思っていた。まさか自分がそうなるとは……本当に人生何が起きるやら。 「よく言えましたね、想悟様」  鷲尾は今までで一番穏やかな笑みを見せた。どう考えても、正体を知らなければ好青年にしか映らないだけに、呆れるくらい図太い奴だ。  認めたくはなかった現実と向き合って、なんだか少し強くなれた気がした。  それが自分にとって良いことだったのか、悪いことだったのかは、未来が知っている。

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