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凪誠太郎編BAD-3 ※IF

「婦長。院長のお孫さんのところ……もう半年になりますっけ? 毎日面会に来ている人がいますけど……ずいぶんマメなんですね。ご家族か何かですか?」 「ちょっと! あなたそんなこと、うっかり先生達に漏らしてみなさい。クビにされても知らないわよ。……なんでも、あの子がああなった元凶の元教師らしいわ。罪滅ぼしのつもりなのかしらね。当然、凪先生達は怒り心頭みたいだけれど……どうせいじめやハラスメントでもしていたんじゃないかしら。同じ人として軽蔑するわ」  看護師にヒソヒソ噂話をされたり、実際に凪家に罵声を浴びせられても、もう迷わない。  追い払われようするたびに、決死の土下座で食い下がった。凪家の怒りはもっともであり、いくら相手が霧島の子息とはいえ決して想悟を許した訳ではないし、むしろ学園や想悟を訴えるとも言っている。  ただ、院内で騒ぎを起こされ、ましてやマスコミの餌にされるのも面倒なので、面会は特別にほんの少しであるが許可されたのだった。  あれから毎日、想悟は意識のない誠太郎の筋肉が衰えないようマッサージしたり、声掛けをしている。  教師としての仕事はもうない。誠太郎の件が失敗に終わったことから、クラブは意外にも大人しく手を引いてくれた。  奴隷調教すらもできない想悟などクラブの後継者には向いていない、しかしクラブのことを誰かに言うこともないと判断されたのだろう。なんとも情けない話だ。  肝心の蔵之助は、夏が終わる頃に息を引き取ったが、余命がわかっていただけに、少しは心の準備もできていた。  それよりも、生きるか死ぬか不明である誠太郎の方が毎日面会の際に怖くてたまらなかった。  ある日突然ベッドが空になっていたらどうしよう。後遺症で何かを──特に記憶を──失っていたらどうしよう。  今は、夢を応援してくれた蔵之助には本当に悪いが、霧島家の事業の一つを見習いとして手伝っている。収入も減ったが、その代わり仕事が終わればほとんど全ての時間を誠太郎に費やすことができる。  クラブにも見放された、父という後ろ盾がなくなった今、想悟を疎んでいた人間達によって霧島家から追放される可能性も無きにしも非ずだが。  想悟に対して自分勝手な要求をこれまで一つもしたことがない、ただ「見ていてほしい」そう、それがずっと誠太郎の願望であり、飛び降りた際も……遺言のように感じた。だから想悟もその通りに彼を逐一見ていられる環境に身を置いた。  何故か、勝手に飛び降りられて迷惑だとは思わなかった。 「なあ誠太郎、今日は晴れてて、そこまで寒くもなくてすごく過ごしやすい日だったよ。こういう時、俺は留学先のボストンが恋しくなるな……海辺の夕焼けが綺麗でさ。お前にも見せてやりたいよ。って、お前は海外旅行に行くならどこが喜ぶだろう? オーソドックスだけどただ楽しむ分ならそれこそハワイとか……食い物目当てならフランスやドイツも……あっ、台湾の新作スイーツなんてとにかく甘くてインパクトのあるやつが多いから、お前は飛び付きそうだ。近くて行きやすいしな。それとも、シンプルに国内の方が安全で良いか?」  ……あんなにも肌を重ねておいて、こんな目に遭わせておいて、想悟は誠太郎の好みを実はあまり知らないことに今さらになって気付いてしまった。  誠太郎は想悟の好きなものも嫌いなものもきっと知っている。少なくとも知ろうと努力はしてくれていたはず。  恋焦がれる人間が興味を示すものに自分も感化されるのは、当たり前とも言えるだろう。  眠ってしまっていては心も読めない。いいや、彼にはもう読心など必要ない。  でも、「せんせーと一緒ならどこだって良い」なんて自己犠牲はやめてくれ。本気でそう思っていたとしても、ちゃんと自分の意志で、考えて、対等に話してくれ。  起きてくれ。こんなにも愚かな男に、その口で直接答えを教えてくれ。  お前がかつて奉仕してくれたように、今ならどんな無理難題だって聞いてやる。二度と面を見せるなと言うのなら、クラブの誰にさえも見つからないような世界の辺境の場所で生きることにする。死ねと言うなら喜んで死んでやる。  特に何かを信仰しているというわけでもなかったし、柄でもなかったが、週末は教会にも顔を出すようになった。  やはり自分は悪魔だ。呪い子だったんだ。  だから、蔵之助がいない今、誠太郎が想悟に依存したように、存在するかもわからぬ神に縋った。  自らの救済など求めない。むしろ死んだら地獄に堕としてくれて構わない。  でもその前に、誠太郎は……被害者でしかない誠太郎だけは助けてほしいと、必死に祈っていると、何故だか自然と涙が頬を伝ってくる。 「早く起きてくれよ……俺が飯で胃もたれしたり、歳取って動けなくなったりする前に……一緒にいろんなところに旅行でもしようぜ。今度は……俺がお前の我が儘聞く番だから、たくさん命令してくれよ。正真正銘、俺達だけの楽しい思い出作ろうぜ、誠太郎……」  この感情がいったい何なのかは、まだ未熟な自分にはよくわからない。恋とも、愛とも、きっと違う。  彼への執着というより……自分のしてきたことを正当化したいのだ。我ながら本当に最低だと思う。  ただ、誠太郎が回復してくれることを心の底から願っていることは紛れもない事実。 「お前みたいに良い子のところには、きっと本物のサンタさん来るぞ……そん時プレゼントどうすんだよ……俺っ、俺……お前の欲しいものわかんねぇから、代理で手紙出せねぇぞ……?」  ああ、また聞きたいな。あのうるさいくらいの天真爛漫な声を。  忌々しかったはずの読心を、魔法だと言って元気付けてくれた心の声を。  何年、何十年、一生かかっても。  誠太郎が再び笑ってくれる日まで、贖罪を続けるつもりだ。

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