126 / 186

財前和真編5-1

 想悟が仕事を終えるのを、和真はむすっとした表情で待っていた。  今日は一度家に帰らせて夕食を摂らせてから、想悟の終業時間を待って再び学園に呼び出した。  本来ならば聞きたくもない命令を受け入れざるを得ない状態の和真は、苛々を隠せない様子だ。想悟の顔を見るなり、腕組みを解いて大きくため息をつく。  和真は相変わらず私服姿でいるとかなり大人っぽく、スタイルの良さも際立って、まるでファッションモデルのようだ。  実際に街中を歩いていて何度かスカウトも受けたことがあるらしい。その際に両親の存在を知り、スカウトマンの方が驚くといった出来事もあったようだ。 「お待たせ」 「待ってねぇし」 「今夜ここに来ることは、誰にも言ってないだろうな」 「……言ってねぇよ」 「父親も母親もそれぞれ浮気相手の家にでもいるから言えなかった、の間違いじゃないといいな」 「…………」  和真がギロリと怒りを乗せた瞳で睨んでくる。どうやら図星だったらしい。すぐにぷいっと視線を逸らしてしまった。  学園から出るや否や、二人の前には時間ぴったりにクラブの送迎の車が現れた。今夜はいよいよ和真をクラブへ連れて行くことになる。  怪しげな黒塗りの車を見て、これから自身に降りかかろうとしている災難を察したか、和真の顔は強張った。  想悟はそんな和真の手を引いて車に乗り込もうとする。 「ち、ちょっと待て。いったいどこへ行くつもりなんだよ」 「それは言えない」 「……すぐに帰れるんだろうな?」 「まあ焦るなよ。お前は日頃から夜遊びばっかりしてるからな、少しくらい帰るのが遅くなっても誰も心配しないだろ」 「そ、それは……」  淡々と言われたことに、和真は歯切れが悪くなる。さぞ自身の日頃の行いを悔いていることだろう。  和真の夜遊びは教師達の中でも有名な話だったし、クラブに調べさせた中でも実際に夜な夜な街へ繰り出していく和真の姿が目撃されていた。  けれどそれは、本当にそうしたいからしている訳ではないのだ。  家に帰っても夫婦間の険悪なムードを肌で感じるだけであるし、どちらかが浮気している現場だって見たこともあるかもしれない。  そのような家に帰るくらいなら、外に出て気を紛らわせる方がいい。そんな理由で素行の悪い友人とつるむようになった和真。  境遇は違えど、親からの愛情が足りない非行少年同士、そこで心の寂しさを埋め、固い友情が生まれているならば良い。だが、たぶんその中に真に心を許せる友人はいないのだ。  彼の人間関係は全て上っ面だけのもの。だからこそ、理不尽な目に遭っている今なお、周りに助けを求めることもできない。  事実、このところ想悟に呼び出されるせいで友人らとの付き合いが悪くなった和真に対して、彼らは和真を仲間外れにしだしている。  信じていた人間に裏切られるショックと、信じられる者がいなくなった孤独がどれだけつらいものかは、読心を通して何度も経験している想悟にも痛いほどわかっている。  けれど、今は開き直って孤高を歩む想悟には、和真に同情する余地はなかった。  黙ってしまった和真を車内に押し込め、自分も車に乗り込む。  そして運転手から受け取った、口元だけに穴が空いていて頭をすっぽりと覆うようなマスクを和真に手渡した。クラブの所在地を突き止められないようにする為のものらしい。 「なんだよこれ。被れってのか?」 「ああ」 「そんなやばい場所に連れてく気なのかよ……」 (夜遊びっつったって、俺はばれてやばいような所には行ったことねーぞ。まさかとは思うけど、薬でもやらされるんじゃないだろうな)  今の和真の心は想悟への不信感でいっぱいだ。目隠しが必要な秘密の場所というだけで、あらぬ想像を掻き立てる。 「家に帰りたかったら俺の言う通りにするんだ」 「……物騒なこと言うなよ」  和真は脅しの言葉にうんざりとして、自らマスクを被った。  エレベーターを降りて施設内に入ったところで、想悟は和真のマスクを外してやった。  受付には鷲尾が待っていた。想悟を見るなり恭しく頭を下げてくる。世良と共に初めてここへ来た時には何も感じなかったが、今ではわざとらしくてたまらない態度である。  そもそも今日和真をクラブへお披露目するという企画は鷲尾が考案したものらしい。想悟も事前の説明を聞いた時にはまだ心の準備ができていなかった。  しかし、ダラダラと調教をしているのも本来の目的から遠のいてしまうので、そのくらい思い切った方がちょうど良いのかもしれない。  彼の言いなりを続けるのは気が引けたが、想悟も早くこの悪夢を終わらせることだけを考えるようにして乗ることに決めたのだった。 「連れて来たぞ」 「お待ちしておりました、想悟様」  鷲尾は早速、商品を検品するような目つきで和真の顔をまじまじと覗き込む。 「これが財前和真……なるほど。実物の方が何倍も美少年でいらっしゃる」 「……ふんっ、よく言われるよ」 (なんだよこいつ、気持ちわりぃ。それに俺のことを知ってるって……想悟、こんな怪しい連中と知り合いなのかよ)  和真は嫌そうに視線を外し、想悟を睨む。このおぞましいクラブで悪態をつける度胸は褒めてやりたいところだ。 「っつーか、マジでここ、どういう場所なんだよ」  和真の質問には、想悟も鷲尾も一切答えなかった。 「行くぞ、和真」 「ちょ……無視かよ」  不機嫌そうに呟く和真と、笑顔で付き従う鷲尾を連れて、想悟は広間へ向かった。  広間は既に大勢の会員が集まり、すこぶる賑わいを見せていた。  それも、どうにも今日は、和真目当ての人間が多額の金を積んでくれたらしいと鷲尾から聞いていた。  すると、仏頂面で下を向いていた和真が顔を上げ、その規模に圧倒されたように感嘆の息を漏らした。 「……すげぇな。こういうところ、親父にも連れて行ってもらったことがある。親父がハリウッド映画で賞を貰った時に行った会場もこれくらい豪華な場所だったな」  そう上層から立派な舞台を見下ろして言った。  和真の父は数年前に出演したハリウッド映画をきっかけに、今や国内のみならず海外でも徐々に知名度を広めている大俳優である。  だからこそ、今スキャンダルでも起これば世間の風当たりはきっと厳しい。それは和真が最も深く理解しているはずだ。 「やっぱり、役者志望としては今度は自分があの舞台に立ちたいだなんて思うものか?」 「ちょっとスケールが違いすぎるけど……まあな。あの景色は忘れられそうにないぜ」 「それなら、一足先に夢が叶うな」 「……どういうことだよ?」 「さあ行こう。今夜の主役はお前だ」  想悟はエスコートするように手を差し伸べた。  和真は訝しげに想悟を見つめ、躊躇いながらもその手を取って階段を降りていった。

ともだちにシェアしよう!