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財前和真編7-2

くそ。せめて和真がそのテーブルに触ってくれさえすれば、もっと深層まで彼を知ることができるかもしれないのに。 「そんなこと言わないでよー! 先輩あの時は、心ここにあらず……? っていう顔をしてたのに変なの」 「そんなの、余韻に浸ってたんだよ。お前はスタッフロールまで観ない派だろうが」  思わぬ方向から飛んできた誠太郎のファインプレーで、ぷりぷり怒った和真の手がテーブルにぴったりと触れた。  よし、これならいける。 (皆はただのサイコスリラーだって言ってた。でもあれは違う。俺に少し似てた。主演の役者はあの後少し病んだって言うけど、俺もきっと、あんな役を演じたら感情が抑えられないかも)  ようやく彼の本音がすうっと染み渡る。  想悟が睨んでいたことと、それほど差異はなかった。  例えば、映画を観ているとして、その誰か──今回は主演に、和真は感情移入しすぎてしまう部分があるのかもしれない。  よく、なかなか役が抜けないタイプの役者が居ると言うが、和真のそれは感受性の高さでは済まされないほど病的。  その人物になり切ってしまうんだ。  それなら単に過剰な演技で別人格を意図的に作っているのではないか。どうもそういう訳でもない。  特効薬は今のところないようだし、結局、本人が好きに自己表現できる環境が大切だ──なんて、至極簡単にかなり難しいことしか症状を和らげる方法はないようだった。  そもそも、本来の和真とはいったい誰なんだろう? 別人格なんて本当に存在するのか? でも彼は決して嘘を付いている訳じゃない……だから余計に混乱する。 「先生も読み終わったら感想聞かせて! 映画版とは結末が違うらしいの」 「ああ……そうするよ。それと和真」  誠太郎を軽くあしらい、名を呼ばれた和真は振り向かないまま足を止めた。 「ちょっとこの後、時間あるか?」  見るからに和真の身が凍った。 「本当、呑気なもんだな」  誠太郎を昇降口の近くまで送って、想悟は小さく呟いた。  別に嫌味という訳ではない。誠太郎は、例え和真が相手ではなくても、接している者の感情の揺らぎを察することができない人間だ。  悩む想悟とこれからまた凌辱が始まるのではと危機感に苛まれる和真にも、大きな声で「ばいばい」と手を振って、笑顔で帰路につく。 「あんた……さ。誠太郎のこと、どう思ってるんだよ」  不貞腐れたような声音で和真が問うてくる。 「どう、って……。そりゃ……」  答えようとして、和真の質問の意味を一瞬考えた。 「……お前にしてるようなことは、考えてない」 「そんなの簡単に信じられるとでも思ってんのかよ。男なら誰でも良いんじゃないのか、変態教師」 「信じようが信じまいが、俺は誠太郎に興味はない。……なんだ、俺が誠太郎には優しいことに嫉妬かよ?」 「違っ……そうじゃない……ただ……いや……やっぱりあんたには関係ない」 「関係ない……もしかして、また家のことか?」  ギクリと和真の肩が小さく跳ねる。  そうして、少し気まずい間があり……ポツポツと話し始めた。 「……人様の家のお子さんまで面倒を見れる余裕のある家庭は素晴らしいでしょう。って、お袋がよく言ってた。テレビでも『私も夫も子供が好きだから』って何度も。……実際に物心ついた頃からあいつの面倒見てたのは俺だったのに……。だから誠太郎は……なんだかんだでホントの兄弟みたいなんだ……」  ただ家が近いだけの幼なじみくらいの認識だったのに、和真にとっての誠太郎は、そこまで……。  驚くと共に、和真の拠り所を知らずのうちに人質にしているようなことに関しては後悔はなかった。  それよりも、だ。  やはり彼の家庭の異常性を垣間見た気がした。  そんなことをのたまいながら一人息子に全て押し付ける母親がいるか? それに何も言わない父親がいるか? ここまで和真を悩み苦しませておきながら、本当に愛していると天に誓って言えるのか?  想悟だって正常な家庭なんてわからない、けれど。実の親じゃないだけで愛は注いでもらったはずだ。  なのに和真は……血の繋がりのある人間の元に生まれたのに、どうしようもなく孤独だ。 「俺がされてるようなこと……あいつじゃ、きっと耐えられない。だからあいつのことは……そっとしておいてやってくれ」  誠太郎は想悟のことをずいぶん好いていて、どんな命令にも従ってくれそうではあるが……。  自分が選んだのは和真だ。和真がそう言うなら、彼とは少し距離をとった方がいい。そうすれば和真との時間も増える。 「わかったよ。約束する」  二人の間に約束、なんて言葉、どれだけの重みがあるものか。  それでも和真は少しホッとしたようだった。 「けどそうだな……誠太郎が駄目だって言うなら、やっぱりお前にはあいつの分まで調教を受けてもらわなくちゃ」 「っ……! あ、あんた……ホントになに考えてんだ……」 「兄弟みたいに可愛い後輩なんだろ?」  そんな風にうそぶいてみせると、和真は顔を赤くして握り拳をつくった。

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