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財前和真編11-2
なんてことのないような態度で、毎日顔を合わせていた新堂。
和真の凌辱が始まってからは特に、彼のことはあまり考えたくなくて、頭から無理やり追い払っていた節がある。
それもそうだろう。青春時代の三年間を恋い焦がれてきた相手だ。
和真も大切な生徒ではあったが、忘れられない想いは新堂の方が上だった。
誰にも知られなくない秘密ではあったが、特に彼だけには一生知ってほしくなかった。
この醜い願望。心を。
幻滅されるならまだ良い方で、新堂はそれでも情けをかける人間だろうから、その方が余計につらい。
それにしても、和真があのようにして他の教師に真相を吐き出してしまうのも想像の範疇を超えていた。脅迫材料は揃っているのだから計画は完璧だと思っていた。
普段から素行の悪い和真は、新堂とは何かと揉め事を起こすこともあった。
もしかしてあれか……あの、問題児とは正反対の人格。あれがこの頃のショックな出来事で強く出てきたと考えれば、納得はいく。
だからこそ教頭である新堂なら、きちんと事情を話せば何とかしてくれるだろうと思っての行動だったのだろう。
まただ。また、人に裏切られた。
自分はどこまで裏切られれば気が済む人生なのだろう。
幼い頃、仲良くしていると思っていた親戚や同級生から、心ない言葉を読心によって聞いてしまった時の深い悲しみや怒りが蘇ってくる。
それは逆恨みの類いもあったが、カッと頭に血が上り、鷲尾の胸倉を掴み上げた。そうすればこの溢れる感情もいくらかマシになると思った。
「想悟様。俺を殴りたいですか? それで気が済むならばどうぞご自由に。けれどあなたはきっと俺の思う通りに動く。それがあなたの身に流れる血の運命なのですから」
「…………くそ」
悔しいが返す言葉が見つからない。事実今の想悟は、鷲尾の助言を乞う形で動いている。
鷲尾の全く動じない態度もあいまって、急速に頭が冷えていくのを感じ、手を離す。
「申し訳ありません。こちらも少々言い過ぎました。どうかお許しを」
鷲尾はやれやれとスーツの乱れを直した。
そこまで言うならば年長者の言うことは聞くべきだ、だとか念を押してくれれば心置きなく暴力に打って出ることができるのに。いつもいつも煙に巻くような言動だ。
──ああ。
この世はなんて残酷なのだろう。
とっくのとうに壊れたはずの世界がガラガラと音を立てて崩壊していくような気がする。
和真は本当は実直な人間だと調教の中で知った。
だからこそ、耐えようのない苦痛の中で時にはこうして頼れる人間に苦悩を吐露してしまうことだって予想できたかもしれないのに。
和真のことを言えないほどに自分は馬鹿だ。とんだ甘ったれだ。
だが、頭の中のもう一人の自分がこうも囁いている。
“和真が良い奴隷に育ってきている証ではないか”
“初恋の人を手篭めにできる良い機会じゃないか”
前者はともかく、新堂は──恋い慕っていた彼にそんなことは絶対にしたくない。巻き込みたくなかった。けれど、もう。
「新堂も、犯す、か……」
言葉に出してみると、その声は興奮で酷く震えて吐息のようにこぼれた。
想悟は深呼吸をして荒ぶる精神を落ち着けようとする。そして、小さな声で鷲尾に提案し始めた。
「……今夜新堂をここに連れてくる。あの人とは……きっちり話をしないといけないみたいだからな」
「そうですか。それで、その後は?」
「その後は……クラブの好きにしていい。俺のターゲットはあくまで和真だ」
「好きに、ですか。万一のことを伺いますが、それは殺しても?」
「…………」
「薄情なお方だ。……でも、やはりそんなところが素敵ですよ、想悟様」
鷲尾が甘美な声で囁いた。
和真の凌辱を知ってしまったが故に、新堂は死ぬことになるのだろうか? 人の道を外れることなく真面目に生きてきたはずなのに、まだ小さい愛娘だっているのに、なんて不幸な人生だろう。
だがもうこのクラブに関わってしまった以上は、誰がどんな目に遭おうが見て見ぬそぶりをするくらいの図太さが必要なのかもしれない。それが長く慕い、世話になった人物でも。
「……この期に及んで何を悩んでいるんだろうな、俺は。もう選択肢なんて存在しないのに」
心を鬼にするんだ。自分ならできるはずだ。
なにせ──このクラブを創った悪鬼の血が入っているのだから。
和真から相談され気にしてはいるとはいえ、新堂は想悟を問い詰める機会を失っている。
そもそも教員とはかなり忙しい職種であるが、教頭ともなると仕事量は倍増する。
そこに学園を揺るがしかねない問題が重なって、どうしたものかと頭を悩ませていた。
デリケートな問題だけに、新堂は学園長である世良にも未だ伝えられていないようだ。
世良に話が行けば想悟にも伝わるようになっているので、想悟がまだこうして考える時間があるということは、新堂自身がこの問題を先延ばしにしているのだ。
教育委員会や警察に訴えるにも、教師一人の一存ではなかなか実現は難しい。
独身時代はそれでも恐れ知らずに行動できただろうが、今は守るべき家族がいる。
和真には心のケアを受けさせ、想悟には自主退職を求めるのが最も事を荒立てずに学園の調和を維持できるだろうか。
和真と、想悟。新堂にとっては二人とも大事な教え子。
担任を持っていた経験もあるので、生徒に対する想いは人並み以上だ。両方何とかしてやりたいと板挟みになっている。
けれどそんな悶々とした日々ももう終わりだ。すぐに楽になれる。
「新堂先生」
今もどうするべきか悩んでいたのだろうか。デスクで頭を抱えてぼうっとしていた新堂は、想悟に声を掛けられてからやっと我に返った。
しかし、想悟を見るその顔は苦々しいものだ。
「あ、ああ……霧島か。私に何か用事か?」
「俺に用事があるのは、新堂先生の方ではないんですか?」
嘘を隠すのが下手な新堂の顔が強張った。
「霧島……お前は……」
「今新堂先生を悩ませている問題について、俺からも話がしたいんです。ここでは何ですから、今夜食事でもご一緒にしながら。……あのことを公にしたくないのは、先生も同じでしょう?」
耳元で囁いてやると、新堂は想悟の顔をハッとして見つめた。
和真が想悟に性的暴行を受けているという信じがたい疑念が確信へと至った。
「……わかった。その誘い受けよう。ただし、必ず真実を話すと約束してくれ」
「ええもちろん。では、また後で」
これで新堂の日常が終わる。
覚悟はしていたけれど、彼の介入は本来不必要なものだ。想悟は寂しげに肩を落とすことしかできなかった。
さよなら、俺の愛した人。
あなたとの日々は忘れない。
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