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財前和真編14-1

 その日は特に慌ただしかった。  起床して眠い目を擦りながらひとまず何かニュースはないかと携帯を弄っていると、あるトップ記事が飛び込んできて驚愕し眠気が飛んだ。  そしてテレビを点け、情報番組を見て真実なのだと目を剥いた。通勤途中に、関係者への取材を行ったらしい週刊誌もわざわざ買った。 『芸能界No.1おしどり夫婦 衝撃のドロ沼W不倫』  そんな見出しと、財前夫妻の一見仲睦まじく見える写真が大きく載った表紙が嫌でも目につく。  実際、週刊誌の売り上げが低迷する中、かなり売れていた。世間からもこの大スキャンダルは相当な興味があるらしい。  ……こればかりはクラブでもどうしようもなかった。というよりは、クラブがそこまでして二人を守る必要性がなかった、と鷲尾には言われた。  そう……彼らは芸能人、それも大物なのだ、プライベートは最早無いに等しい。それに不倫なんて、いつか暴かれることが、たまたま今のタイミングだったというだけだ。  例え今さら圧力をかけて握り潰したところで、一度報道されてしまった以上は様々な媒体に一生残るだろう。  和真が明皇に通っているのは巷では有名であるがゆえに、マスコミの矛先は和真の方にまで向いてしまった。  報道陣の対処は教頭である新堂がするところだが、頼れる彼はもういない。押し寄せるレポーターやカメラマンに向かい、主に想悟や守といった新人教師までもに皺寄せがきた。  しかし、和真は学園には来ていない。どうも前日には既に報道されることがわかっていたようだったので、和真にも話はしたのだろう。  こんな状態で登校できる訳がない。両親は今夜にでもコメントを出すそうだ。生徒も、教師だって……好奇の目で見るかもしれない。それでは和真が耐え切れないのは目に見えている。  両親の不和を察知され、二人が離れ離れになるという和真にとっては最悪の道。しかしこんな時だからこそ、想悟は担任としても和真と連絡をとった。  拒絶されると思いきや、和真は素直に応じた。なんでも、両親は芸能事務所に退避しているが、家にもマスコミが押し掛けているため、外に出るに出られないという。  和真を置いて自分達だけ逃げるか。そして一人息子に「両親の件についてどう思うか」と聞いて気持ちの良い答えが返ってくるとでも思っているのか。どちらも底の浅さが知れる。  想悟もすぐに早退して、一旦の隠し場所として用意したのは久しく帰っていなかった一人暮らしの部屋。  和真を守ってくれる者がいなくなった今、凌辱者に助けられるなど、なんたる皮肉だろう。  正面は大勢の報道陣が張り込んでいるから、最低限の荷物を持たせて裏庭の窓から脱出させた。  そして車に隠れさせて移動する。両親はさておき、和真に関してはクラブとしても現在地の情報操作や車の手配など大いに協力してくれたのは幸いだった。  尾行などはされていないだろうが、とりあえず部屋のカーテンを閉め切って、リビングに通すと道中買っていたアイスコーヒーを出した。和真の分は甘い方が好みらしく、砂糖と牛乳多めのカフェオレ。  あんなことがあっては当然とも言えるが、和真はいつも以上に覇気がなく、カフェオレをちびちびと啜った。 「さすがの俺もびっくりしたよ……お前の親とマスコミの影響力」  話しかけても、和真はひたすらに白い顔をして押し黙っていた。  気まずい時間が続くが、テレビは……両親の騒ぎ一色となっているのでとてもじゃないが点けられない。携帯も、想悟と会ってからは電源を切っているという。  確かに、今日一日はSNSでも錯綜した情報が溢れ返っているし、良くも悪くも友人らからの連絡さえ、怖くて見ていないらしい。現代人にとって必要不可欠なツールがほとんど全て奪われている。  何もわからない、何もできない虚しさはあるだろうが、今はじっと耐え抜くしかない。  痺れを切らしたのは想悟の方である。 「……あのさ。単刀直入に聞くけど……もし離婚になった場合、どっちにつくかとか、決めてるのか?」 「……どっちも嫌……かな」  和真はフッと笑った。状況に似つかわしくない痛々しい笑みだ。 「もういいよ……」  そうしてうずくまって顔を隠してしまう。 「いい加減わかっちまったんだよ。俺はこの世の誰にも必要とされてないんだってこと」  かろうじて泣いてはいないようだが、込み上げてくるものを必死に押し殺して声が震えている。 「一番大事な存在に俺のことを見て欲しかった。でも親父もお袋も俺のことを体裁でしか見てくれないんだ。顔がいい、スタイルがいい、学園一目立つ和真がいい……俺の性格を……演技を褒めてくれたことなんて一度もなかった。二十四時間一時もホントの俺なんて無くて……。今の俺は……全っ部あいつらが作り上げた虚構なんだよ」  そんなことは、ない。教師としてはそう言ってやるべきだろう。  けれどここは教師ではなく霧島想悟という人間として、和真に接してやりたかった。 「……確かにそうかもな。でも、俺は……それでも、お前を心のどこかで疎ましく感じてた」  自暴自棄になる和真に対し、想悟は過去に言いかけて自制した身の上話を始めた。今の和真になら言えると思ったからだ。  自分が孤児であること。霧島とは血の繋がりがないこと。どんなに酷い両親であっても、和真のことが羨ましかったこと。  そして、全て話すと言ったクラブや神嶽達のこと。  ……クラブの監視が自宅にも及んでいる? そんなの知ったことか。家族の秘密が世間に明るみになった以上、和真にはもう想悟との秘密は暴露できる気力などないと判断した。 「俺もそうだった。何なら、今だってそう思ってる。俺なんていない方が良いんじゃないか、生まれて来なければ良かったんじゃないかって。……なんて、結局は隣の芝生が青く感じるだけだったんだ……滑稽な話だよな」  普段は横柄な振る舞いをしているというのに、今の想悟は唇を噛み、泣き出しそうな子供のような顔をしていた。  そんな想悟に、和真も面食らったようになる。恐ろしいはずの凌辱者とは思えない弱々しい姿。  和真と真逆なんかじゃない……むしろ同じだ。想悟もずっと自分に嘘をつき続けて生きてきた。  誰もが認める善良な人間、教師を目指していた。でもどうしようもない破壊願望を抱いていた以上、無理だった。  それに一連の凌辱行為は、とっくに父さんの為なんかじゃない──。  挙げ句の果てに新堂まで犠牲にすることを選んで、本当に最低最悪の、弱い人間だ。

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