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財前和真編END-1

 和真をクラブへ連れて来る旨を連絡したら、鷲尾は落ち着いた様子で、しかし先日厳しく咎めた口調とも違い、幼子に対するような優しい声音で褒め称えてきた。なんだか調子が狂うのでやめてほしかった。  彼には翻弄されっぱなしだ。けれど、己の実力不足、不甲斐なさを身に沁みるきっかけになったのも彼である。  鷲尾くらいに時にきつく制止する役がいなければ、理性的にはなれなかったのかもしれない。  仕事に対してはどれも手を抜かずこなすし、今ではそれほど悪くはない。あくまでビジネスパートナーとしては、だ。  ただ、クラブに和真を捧げるとなると、把握しておきたいことが幾つかある。 「真実が知りたいんだ。オーナーのこと……このクラブのこと……母親の、こと。全て」 「それは……知っては二度と戻れませんよ」 「俺なりにわかってるつもりだ。それに、今さら元通りの生活を送れるとも思っていない。俺はもう……クラブに加担してしまった。犯罪者なんだ……」  鷲尾は俯き加減に想悟を見やり、瞬きをした。そして、ぽつぽつと語り出す。 「オーナーの本名は、八代治(やしろおさむ)。享年八十八歳。名門の医師一家に生まれ、若い頃からその手腕を発揮していたようですよ」  名門の医師の生まれ……八代という苗字……それにはかすかに覚えがあった。  ただ、確信が持てなかった。予想が当たっているなら、あまりにも灯台下暗しであるからだ。 「八代って……まさか……今父さんが入院している……」 「ええ。天照(てんしょう)医科大学病院です。そこの生まれらしいのですよ、彼は。ですから我々が二十四時間付きっきりで監視……いえ、看護ができていたのは、ごく自然なことなのです」  どこか納得すると同時に、安堵する。  八代家は知っている。理事長や院長といった病院関係者がクラブ会員かどうかは別として、たぶん、蔵之助とも深く交流があった。だから倒れた時も真っ先にあの病院へ運ばれた。  ……そう思っていたが、本当に蔵之助がかかりつけだったことが半分、クラブが干渉できる環境であったことが半分。きっとそうだ。  子供の頃だからうろ覚えだけれど、大人同士の会話で、八代の嫡男が家を出たとか……医者を辞めたとか……そういう話も耳にした。もしかすると、それがオーナーで……実の父親なのかもしれない。 「八代、治……」  謎めいていた屑野郎の名を口にしてみると、存外嫌ではなかった。単に聞いたことのある名前だからだろうか。  それとも……いや、これ以上はやめておこう。 「クラブについては俺も幼い頃に来ましたから、知らないことが多いですが……世良様や黒瀧の六代目、それに支配人……悪趣味な金持ちの会員様達の一人一人を見つけ出すその目。経営者としても優れていたと思います」 「なるほど」  それもそう、かもしれない。金があるだけの偏屈な学者風情が運用できるような組織ではない。  最初こそじわじわと蟻の巣のように広がっていったのかもしれはないが、今ではもっと大きな力が働いているのだ。人脈と人望の成せる技だ。 「それじゃあ、母さんは……? 俺がここにいる以上、俺の母親だって……いる、よな……?」  鷲尾は黙って首を横に振る。そこに嘘はない表情だった。 「あなたの母君についてはどうもトップシークレットのようで。俺も、幹部すら知りません。昔、一度大規模なクラブ内の粛清があったようですが……だとすれば、情報を持つ者はもうこの世に居ないでしょう」 「どうしてそこまで俺の母のことは隠すんだ……」  粛清……聞こえは良いがつまり大量虐殺だろう。そこまでして知ってほしくない事情なんて、全く見当もつかない。  ただ、凌辱した末の興味のない女、また研究対象だったのだとすれば、やはりここまで厳重に隠す必要もない。  母親はオーナーにとって、そしてこのクラブにとっても大いなる鍵であるはず。  オーナーと同じように、せめて名前くらいは知りたい。自分が存在している理由を実感したい。  どんな状況か、どんな想いだったかはわからない。けど、腹を痛めて一人の人間を産み落としたのは本当のことだろう。存在を消されるなんてよっぽどだ。  それなら、やっぱり。 「俺は神嶽とどういう関係にあるんだろう」  真っ先に出てきた疑問。同じ力を持つ者は二人もいらない……とでも言いたいのだろうか。 「どうでしょうね」  その問いかけには鷲尾もため息をこぼして肩を竦め、苦笑いしていた。  こと神嶽の件になると、皆が口を閉ざす。というより、語れるエピソード自体が少ないのだ。  その出自、クラブを知って去るまでの短い間、誰も彼も神嶽の核心に迫るようなことを知らない。 「でも、お前は……読心のことを知っている……というか、信じてはいるんだよな」 「ええ、それは……妙に勘の鋭い方だなとは常々思っていたのですが、それだけでなく……あんな場面を見せられてはね」  鷲尾の言う“あんな場面”というのは、最初に神嶽のことを聞かされた時に口走った出来事らしかった。  神嶽がとある仕事中に致命傷を負った。  内臓まで達した傷と出血量からして、まず助からない可能性の方が高かった。けれども、数分もしないうちにその傷は塞がり、負傷の痕跡を消していた。  何より彼自身、とても生き生きとしていた。  死を恐れず、また死から程遠い者の何かを、鷲尾はその目撃し、強大な生命エネルギーを感じた。  それもそうだ。鷲尾みたいな科学で説明のつかない現象は信じないとでも言いそうな現実主義者が「ある」と断言するような能力だぞ?  そしてそれは同じ力がある俺も……いや、話題に上がっている神嶽ほど回復力は強くないことは確かだ。幼い頃、そして最近まで読心も上手く制御できなかった。  意外とあっさり死ぬかもしれないし、不死身とまではいかずとも絶妙に長く生き続けてしまうのかもしれない。 「想悟様には残念ですが、結局、何もかも中途半端にわからず終いということになります。しかし俺や上がどれだけ調べても、わからないものはわからない。それが真実ですから、逆恨みはしないでくださいね」 「……ここまで来たら、しねぇよ。でもほんの少しでも情報があるだけ、良かった。ありがとう」 「まさか……感謝をされるとは。やはり人間短期間で追い詰めると劇的な変化があるものですね」  さすがの鷲尾もちょっと面食らったような顔をしていた。  追い詰められた側としては、まったくいつでも変わらぬ軽口は気に障ったが。 「聞きたかったことは聞けたし、話は終わりだ。さて……ここからは、最後の仕上げだ」  自身のルーツに関しては、一生知り得ない覚悟はしたつもりだ。  もう過去には縛られない。損をするならば意地も捨ててやる。  俺は現在を生きる。何故ならその存在、人生全てを受け止めると決めた和真が待っているから。

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