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財前和真編END-4 ※幼児退行、男娼 ◆完結

 客の相手をしていない時は、和真は奴隷用の小部屋で生活している。ただ、そこはおおよそ想像するホテルのような感じではなく、だだっ広い子供部屋。  深紅の絨毯の上に、大きな滑り台やトランポリンがある。  サイズとしては当然大人用なのだが、ベッドにはベビーメリーが取り付けられており、これで寝かしつけを行うこともある。  ヒーローものの小さなフィギュアから、玩具のブロック、レールの一部分。あれらを全て片付けさせるにはかなりの苦労がいる。  想悟の訪問に気付き、「ブゥン、ブーン」と自分で声を当てながら車の玩具で遊んでいた和真が、ちょこちょこと小走りでやって来た。 「ああ! そーご! そーごだぁ!」  和真はまるで誠太郎未満、幼稚園児みたいな舌ったらずな喋り方と言動だ。身体はそれほど変わらない体格なのに。  でも不思議と気色悪くはない。顔のせいか。女共がイケメン俳優を見ていちいちワーキャー言っている気持ちが少しわかった気がする。 「なにして遊ぶ?」 「別に遊びに来た訳じゃないけど。元気そうで何より」 「ふへへぇー」  満面の笑みはくしゃっと目元に皺が寄る。  瞳はとろんと据わっていて、口元もいろんな意味で緩くなったのか、唾液が溢れても啜るとか拭うとかの行為を自発的にできなくなった。涎掛けでも必要か、これは。  一瞬、ハッとした和真は困ったような顔をして、想悟の片腕を引っ張った。 「ぅ……ぁ、おしっこ」 「トイレ? ……あああ、ってもう漏らしてるじゃないか」  チョロチョロと流れ出た黄色い液体が、カーペットを汚していく。  赤ん坊やそれに近い年齢の子供にはない、ハッキリとした強烈なアンモニア臭。こんなことならオムツも穿かせておけば良かったか。 「和真……トイレは向こうって教えただろ」 「う、うん、知ってた、けど、ひっぐ、がまん、でき、なぐで、うぇっ」 「そんなことでいちいち泣くなよ……。まあ、今夜はちょっと冷えたかもな。しょうがないな、特別に俺と一緒に風呂でも入るか」 「おふろ! おふろーおふろおふーろおふろろろー」  よくわからないリズムでお風呂の歌を歌い始めたが、これはもしかして元女優の母の影響か?  彼女だって母性が勝っていた頃は、幼い和真を喜ばせようとこんな小さな日常でも大事にしていたのかもしれない。 「それ、誰に習ったんだ?」 「うーーん?? えっと……あんまり思い出せないけど……キレーな女の人がね歌って踊るんだよ俺それがだいっすきなんだ」  ……やっぱり推理は正しいみたいだ。  大河内凛子が結婚前に出演しており、何度も再演された彼女を代表するミュージカル。そのメロディーと上手いこと歌詞をシンクロさせたお風呂の歌。  親が忘れても、子は覚えているものだ。  逆も然り、それが通用しない親子もいる。親子の形は千差万別だ。  いずれ和真の記憶からは幼少期からの生育歴や想悟との出会い、奴隷調教の日々など全ての記憶を消す。  ただ自分はクラブの奴隷で他人に奉仕をするのが当たり前の存在なのだとコンピュータのように叩き込む。  ──その方がクラブには都合が良いかもしれないと、考えていた。  でも、それじゃあ……やっぱりつまらない。彼の記憶は、曖昧なままがちょうどいいのだ。  そもそも和真はブランド品のようなもの。素直に口から出る情報は家族の楽しい思い出であったり、逆にさらなるスキャンダルかもしれない。  もし記憶と理性を取り戻したとしても、もう自分の居場所はここしかないのだと知ったら、それはそれで面白いじゃないか。会員達だってきっと手を叩いて喜ぶ。 「鷲尾、掃除」 「かしこまりました。……ふふ、まったく、どちらも手のかかるお坊っちゃまなのですから」 「お子ちゃまなのはこっちだけどな」  軽口を叩きながら、和真の髪をわしゃわしゃとかき混ぜた。  以前は「何すんだ」と暴言を吐いてきそうなものだったが、実にけろりと、むしろ構ってもらえて嬉しい子供のような表情をしていた。  和真は頭を撫でられたり、暖かな抱擁が好きなんだなと知ったのは、クラブに来てから。でもそれは想悟も同じだった。  お互い存外相性が良いようで、和真が笑うと俺もなんだか口元が緩む。癒される……という感情に近い。  ずっとずっとこうしていよう。それで、互いに幸せを感じられるなら、この上ない。  ふと頭を過ぎる。  自分にこうした愛情表現をしてくれた人は、今頃どうしているんだろう、と。  クラブに染まったこの手で、再びあの人を抱き締めることはできない。  わずかな良心というより、プライドがそれを許さない。同時に、頭を撫でてもらう機会さえ、永久になくしてしまったのかもしれない。  でも。それでも、ただ、もう少しだけ余命を全力で生き抜いてくれればいい。  褒められることではない。ただ、ある種の達成感はあった。  あなたは息子に手を汚させてまで生きたいとは思わないだろう。  それを無理やり延命させ、むしろつらい目に遭わてしまったかもしれない。実に強欲な人間で申し訳ないと思っている。  でも俺も……俺なりに頑張ったんだよ、父さん。  そんなことを考えていたのもつかの間、残酷な一報が入ったのは、和真との呑気な入浴を終えた後の出来事だった。

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