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終章-1

※各ルート直後。展開は同じですが全エンド推奨。  霧島蔵之助の容体が急変し、息を引き取ったと告げられたのは、想悟が奴隷調教を終えてからすぐの出来事だった。  彼の最期には残念ながら間に合わなかった。だがそれで良かったのかもしれない。  父を守る為などと言い訳しながら嬉々として凌辱行為を繰り広げた想悟には、素晴らしい人間性を持っていた父に今さら合わせる顔などない。  蔵之助だって、自分の知らないうちに変わってしまった息子など見たくはないはずなのだから。  けれど、いざ冷たくなった父に対面すると自然と涙が出た。  孤児の自分を守り育ててくれた彼を裏切るような真似をした罪悪感からか。   いつクラブの連中に殺められてしまうのではと危惧していた中、最期は天寿を全うし、眠るように逝ったという安堵からか。  あまりにも様々な感情が混じり合いすぎてよくわからなかった。  葬儀を終えてからの想悟は、人生の目的を失ったかのようにぽっかりと胸に穴が開いた気分だった。  そんな気を紛らわせるように、傍から見れば気負いすぎと感じるほど、仕事に打ち込んだ。  蔵之助が遺してくれた莫大な資産や事業についても改めて長い目で見て考え、整理しなくてはならないし、彼の私生活は多忙を極めた。  クラブの人間も想悟の精神と身辺が落ち着くまでは深入りしない方が良いと判断したのか、以前と比べて接触は少なくなり、またも明皇学園で起きた悲劇が他人事のように思えもした。  事件が起こったのはそんな時。四十九日のことだった。  午前の内に法要を終えて身内と解散した後、昼からはその日初めて、想悟は鷲尾と二人きりで話すという約束でクラブの今後を協議した。  相手が鷲尾とはいえ、当初とは立場も環境も違うため、想悟も比較的、穏やかに議論ができた。しかし、結果は保留となった。  今しばらく答えを出すことを先延ばしにしてほしい。ただし、クラブに深く関わることになり、自身の意志で何の罪もない人間を奴隷として作り変えた以上は、善処する。という前提で。  久しぶりに帰る自宅マンションがある住宅街の入り口で、車を停めてもらった。 「こちらでよろしいのですか、想悟様」 「ああ。……近いうちに部屋も解約して実家に戻るから、ほんの少し一人にしてくれれば助かる。どうせクラブに監視されてるなら俺は逃げるところなんてないんだし」 「……フ、そうですね。大丈夫です、今の想悟様ならば俺もそこまで心配はないと思っておりますから」 「嘘でもちょっとは心配しろよ、馬鹿」  そんな疲れ切った会話を終えて、想悟は車を降りた。  気付けば夜も更け、街灯がなければ辺りは真っ暗だ。  鷲尾の運転する車が見えなくなってから、ふと空を見上げると、ちょうど厚く覆われていた雲の隙間から月が顔を出していた。今の自分には眩しすぎるほどの満月が率直に綺麗だと感じた。  この数ヶ月間、こんな風に空を見上げる余裕もなかったな……と、ぼんやり物思いに耽る。  まだまだ若い自分だが、クラブを知ってからの日々は正に壮絶だった。  あれほど心を掻き乱され、迷い、苦しみ──しかし楽しかったことはかつてあっただろうか。  いや、今後の人生でもあるかどうか。良くも悪くも糧になってはくれそうだ。  深呼吸をして、改めて自宅に向かって歩き出す。  すると、携帯に着信があった。液晶画面を見ると、それは非通知で怪しげだったのだが、何故だかこの時ばかりは出てみようという気になった。  一息ついてから、電話に出る。 「はい」 『霧島想悟』  開口一番、あまりにも横柄な口調の男の低い声音。 「はぁ? いったいどちら様で──」  言いかけて、想悟の背にぞくぞくと悪寒が走った。  理由はないのだが、電話の向こうの人間が誰であるかがわかってしまった。 「ま、まさか……あんた…………」 『左手を見ろ』  携帯を耳に当てたまま恐る恐る、彼の言う通りにする。  夜道の電柱の影。闇に溶け込む黒いスーツ姿をした男が、ぼうっとまるで幽霊のように立ってこちらを見ていた。  その鋭い瞳と目が合った瞬間、足が竦んでしまうほどの重圧を纏うその男。 『話がある。ついて来い』  一方的にそう言って電話を切ると、男が背を向けて歩き出した。想悟は慌てて彼の後を追いかけた。  足が止まり、男がゆっくりと振り向いた。想悟はそこで、街灯に照らされた男の顔をまじまじと見た。  怖々だったが、正直拍子抜けしたというのが正解だろう。これが本当に噂に聞いていたあの男なのか。そんな印象を持った。  学園長時代の風貌とは違うようだったが、そのせいか余計に街で通りすがってもさして印象に残らないであろう凡庸な顔をした男だった。  とても三年前に明皇学園で暴虐の限りを尽くした人間とは思えない。  しかし、見られているだけで心臓を鷲掴みにされたような不愉快な感覚が、彼の強大な生命エネルギーを物語っているかのようだ。

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