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終章-4 ※絞首、嘔吐、カニバリズム
(私はあの子の為にもまだ生きなくてはならないの! 霧島のお家に帰らなくちゃならないのに……! 私の身体を食べないでっ……! ああ、こんな末路が待っていただなんて──)
麗華の断末魔の悲鳴は無残にもその身を食い千切られる様を意味していた。
もしかすると彼は、人間を文字通り“食べる”ことでその命の糧としているとでも言うのだろうか。そうして食らってきた生贄達の魂を全てその身に宿しているのか。
そんなことができるなど、まるで──。
(お父様、ごめんなさい……私……どうしても霧島のお家には戻れないのね……。せめて想悟……あなたと二人で生きたかった……な……)
「やめ、ろ……やめてく……が、ァアアアアアッ!!」
それはあまりの凄惨さだった。母の死の間際の叫びを聞き、想悟は耐えきれず胃の中のものを逆流させていた。
涙など枯れ果てたと思っていたのに、わずかに残っていたのだろう良心が疼くのか、再び溢れ出て止まらなくなった。
麗華さん。姉さん。……ようやく聴けた母さんの、自分の命よりも幼き我が子を守らんと目の前の化け物にも怯まぬ並々ならぬ精神力。
自分は愛されていたんだ。彼女は最期の一瞬まで傍に居ようとしてくれた。あんな奴との間に生まれた子供なのに、ずっと想ってくれていたんだ。
なのに俺は……考えても何もかも遅すぎる。
だからこそ、負けじと必死に手を伸ばす。何故届かない。あと一歩のところなのに。仇を前にして口惜しくてたまらない。
こいつだ! 神嶽修介……こいつが母さんを殺した! オーナーも憎いが、直接手を下したのは神嶽……やはりお前だったんだな!
オーナーと同等の立場にいたという神嶽ならば、あのクラブを我が物のように使うことも、俺の出生も、全て知っていて、影から操ることすら容易だったはずだ。
神嶽の首を絞める力が弱まることはない。どうにかしてこの場から逃げなければ命はないと本能が語る。
なのに宙吊りの状態ではなおさら身体が言うことを聞かず、だんだんと視界が揺らぎ、意識が朦朧としてくる。
母さんもこいつに殺される瞬間はこんな気持ちだったのだろうか。道半ばで倒れる無念というのは、こんなにも……。徐々に薄暗くなっていく視界。
この世界に救世主など居ないのだから、助けは来ない。おおよそ教師に相応しくない言葉。だが……そう、こんな結末で良いのだ。
俺は……俺なんかに……光の世界は似合わない。
もはや死を目前にして自暴自棄になっていたせいか、神嶽に伸ばし続けていた手は彼の頬をかすった。
ゾッ、と昔どこかで感じたことのあるような感覚が、足元から脳天へと駆け抜けた。
生き物が絶対に敵にしてはいけないものを前にした時のような──しかし、取り入る気は毛頭ない。
母を殺した男に乞うものか。全ての元凶に救いなど求めてなるものか。そんなことをするくらいなら、お前の思い通りに殺されてやる。
神嶽はそれを何の気なしに見やっただけだった。
ああ……もうお終いだ。一矢も報いられやしなかった。
「ぁ、ぐ……俺も……とっとと、食えよッ……!」
想悟の捨て台詞を聞いた神嶽は最後に、思案するように眼を細めた。
「殺さない。……お前は、やはりまだ不味い」
「──がはッ!」
喉笛をきつく締め上げられたその直後、想悟の意識は闇に包まれていった。
次に目が覚めた時には、想悟は見慣れた赤い部屋にいた。クラブの自室だ。
そして、ベッドの傍らには、今まで見たこともない神妙な顔つきの鷲尾がこちらをじっと見つめていた。
どうやら神嶽に首を絞められたことで失神してしまったらしい。
ハッとして起き上がる。ベッドサイドに置かれていた携帯を手に取り、履歴から最後にかかってきた番号を確認しようとするが、無論非通知である。
神嶽のやることだから隙はないとわかってはいつつも、せっかく会えたはずの彼に辿り着く糸口を見失って大きく肩を落とした。
そんな想悟を見て鷲尾が重たい口を開く。
「神嶽様とお会いになられたのですね」
「ど……どうしてそれを」
「想悟様と別れてから、珍しく胸騒ぎがしたというか……俺もどうして引き返したのかはわかりませんが、そうしたら、案の定倒れているあなたを見つけまして。あなたをこのような目に遭わせるなんて、きっとあの方くらいにしかできないだろうと察したのです。……神嶽様、やっぱり生きておられたんですね」
「お前はあいつが生きてることを知らなかったのか?」
「ええ。神嶽様がここを去られた時、彼にも、オーナーにも、何も聞いておりませんでしたから」
てっきりあの瞬間に殺されるものだとばかり思っていたから、今こうして命を取り止めたのはなんだか意外だった。
そして話を聞くに、鷲尾に見つけてもらってクラブへ運び込まれなければどうなっていたか。悔しいが、命の恩人とやらになる訳か。
今このタイミングでもし想悟が亡くなりでもしたらどうしようと内心ひどく焦っていたに違いない。
いつでも人を小馬鹿にしている鷲尾のそんな姿は少し見てみたかったかもしれない、だなんて生き延びたからこそ言える感想も抱いた。
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