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第21話
雑踏の中でも、宝石を耳に当てさえすれば、波の音が聴こえる。
あの時に持っていたものは縁起が悪そうで全て破棄してしまったが、たった一つ、捨てられずにいた宝物。
俺が命をかけた、大切な生徒から貰ったものだ。墓場まで持って行く。
実家に戻ってからも、どこかの学校で勤務すればいいと楽観的に考えていたが、いざ教壇に立つことを想像すると、脚が震え、声は上手く出てこず、全身から汗が噴き出してきてたまらなくなった。
時には悪夢で飛び起きるほど、トラウマになっている。教職を続けることは、諦めざるを得なかった。
部屋に引きこもって、自堕落な生活をして。それが数年。
ようやく外で働き出したのは、祖母が亡くなって、さすがに両親をこれ以上心配させられまいと、過去の亡霊から逃げることをやめてからだ。
クラスの何十人、学校全体の何百人の前で立っていたのに、初めは家族以外の人と一対一で話すことすら難しかった。
街中を歩けば、すれ違う人々が皆、俺を殺そうとしてきた村人達にすら見えた。
なるべく人と関わらないよう、清掃や、警備や、日雇いの仕事もたくさんやった。
とにかく考える時間さえなければ、悪いことも思い出さない。そう考えて、寝る間も惜しんで働いていたと思う。
だけどそのせいか白髪がどっと増えて、シミやシワも目立つようになって……同年代の若く見える者と比べたら、まるでおじいちゃんだ。ウィンドウ越しの自分の見た目にため息が出る。
癖毛を伸ばしているとただでさえ不潔に見えることから、たまの床屋で髪を切り、髭も剃ってもらった。こうすると、現役時代の面影はあるだろうか。
元同僚や生徒には誰にも気付いてもらったことはないが。
温暖化の影響なのか、昔よりも暑い日が続く九月。
せっかく人並みに整えてもらった見た目が崩れては理容師に申し訳ないと、ハンカチで汗を拭う。
そんな中、普段は誰がどんな容姿をしているかなど気にすることもない人混みで、パッと眩く光る存在を目にした。
一度見たら忘れられない。忘れられるはずはない。
自然光の元で天使のように光り輝く、見事な白金の毛色をした彼。
思わず、声を掛けようとした。
だが、それより早く、彼に笑みを浮かべている優しそうな女性と、ベビーカーに乗った乳児が視界に入った。
ああ、そうか。彼にも家族が……できたのか。
歳を考えれば、それも自然だ。今も独り身の自分の方が、社会の風当たりは強いのだから。
でも安堵した感情の方が強かった。
あの後、彼がどんな生活をしていたのか、どんな風に育ったのかは、全く不明であったし、知ったところで虚しくなるだけだと思っていたから。
ぐずりだした赤ん坊を抱き上げてあやしている姿は、実に良い夫で、父親で、男。
やっぱり……怪物なんかじゃない。ただの人だ。
それもそこらの人間よりよっぽど心の透き通った善良な人間。
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