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第15話「授業」

「光緒のやつまた別れたって」 「え、また?何人目だっけあいつ」 藤崎久遠は土曜日の1限に滝野と同じ授業を取っている。人懐っこく、そしてしつこい滝野が藤崎を放っておく訳もなく、教室に早めに来て寝ている内にいつの間にか隣の席に座られていた。 「何人目だっけな、、あ!なあ、君が義人くん?」 「え?」 反対隣には佐藤義人が座っていた。 「へえへえ。こないだこいつの家泊まったの?」 「ああ、うん」 「変な事されなかったー?」 「え?」 バシッ! 「だっ!!」 ノートのたわみを利用した見事な叩きが滝野の顔面に決まる。藤崎は義人に見えない角度を良いことに、滝野に向かって「殺すぞ」と言いたげな睨みを送った。 横1列、義人、藤崎、滝野の順に座り、講堂で大人数が収容されて行われる授業に出席している。コアな絵画の授業であり美術史を復習しつつ、当時の絵に描き込まれた小物や動物、人物のポージングからどう言う意図で描かれているかを推察して行くと言う内容だ。 「び、びっくりした、、」 滝野のぶたれた顔面を見ながら、あまりにも突然の藤崎の行動に義人は驚いて、激しくなった動悸を抑えるように胸を叩く。 「なに怒ってんだよ、久遠」 「うざい消えろ」 「うーわー、そういうこと言っちゃう〜?」 「、、、仲いいんだね」 義人と滝野は初対面だった。 滝野が一方的に藤崎から義人の事を聞いてはいるが、義人からすれば見たこともない人間が初めて目の前に現れたのだ。 この授業は初めの頃に斉藤がいたことがあり、藤崎はいつも彼女に隣を取られていたし義人はそれを見て見ぬ振りして近づかないようにしていた。 滝野も斉藤がいたときは気を遣って遠巻きに見ていたが、最近になってやっと藤崎と義人の2人で授業を受けるようになった事を確認して容姿なく割り込んできた。 「え、そう?俺は仲良くしたいのに、こいつめちゃくちゃ素っ気ないんだよ〜!酷いと思わない?」 「うわあ。藤崎、友達は大事にしろよ」 「いいんだよそんな奴」 滝野はとにかくうるさい男だった。小さい頃からそこだけ変わらず、低かった身長だけが藤崎に追いついて大きくなった。ついでに声も。 口数が多いのは滝野の両親も同じようにお喋りが好きだからだろうと藤崎は思っている。両親ともに仲が良く、藤崎の実家に滝野を連れて遊びに来る事が多かったが、来るたびに自分の両親が疲れ果てて笑う程には喋り倒していった。 もちろん賑やかで好きな時間ではあった。 滝野には兄弟がおらず、小さい頃から藤崎と妹の里音、それから先程「光緒」と呼ばれたもう1人の幼馴染みとでよく遊んでいた事もあり、藤崎としてはこの滝野のうるささはもう慣れ切っている反面、うんざりとしている。 「小さい頃からずーっとこんな感じ!」 「へえ。幼馴染みってこと?」 「そうそう」 自分を押しのけながら義人と話す滝野にまたイラッとして、顔をグイグイと黒板のある方へ向ける。頰が潰れた顔のまま、「あ、でさあ、」と無理矢理滝野がこちらを向いた。もう顔だけ別人になっている。 「久遠」 「あ?」 「、、、、」 藤崎が「くおん」と呼ばれている場面に義人は初めて遭遇した。斉藤が「久遠くん」と呼んではいたがそれは本人がまったく了承していない雰囲気もあり、どこか違和感のある場面に過ぎなかった。しかし今回、滝野が口にする彼の名前はまるで彼そのもので、その不思議な音の鳴りも自然と耳に馴染んで心地が良い。 (そう言えば、綺麗な名前だよなあ、、クオン、か) 自分が口にするのは、どうしても異質な感じがした。 「光緒が会いたがってるぜー」 「別に里音と会ってるでしょ。俺と会ってるようなもんじゃんそれ」 「いやいやいや、雑か。里音とお前似てるけど、男と女だし結構違うから。里音に言えない事もあるんじゃね?」 「何度も言うけどミツからすれば俺も里音も一緒。見分けついてないから、あいつ」 先程から話している光緒とは瀬尾光緒(せおみつお)と言う、小学校高学年から藤崎達と仲良くしている男だ。女癖が悪く、今回で恋人と別れたと聞くのは16人目程になる。今では藤崎の妹の里音と非常に仲が良い。性格が悪いもの同士気が合うな、と藤崎と滝野はよく話している。 「あ、教科書忘れた」 「一緒に見る?」 「悪い。見して」 リュックを開けて愕然とした義人にすかさず藤崎が既に机の上に置いていたテキストをズイと寄せる。昨日家に帰っていないのだ。大学内にあるロッカーに教科書を全部置いている藤崎や遠藤と違い、真面目にいちいち持ち帰っている義人はしまったなあ、と今日1日の授業を思い出す。 テキストがいらない、または毎回貸し出される授業と、入山と同じか片岡と同じ授業がある。申し訳ないが一緒に授業を受けさせてもらおう。 藤崎があまりにもスマートにテキストを貸した事に、滝野は隣でニヤニヤと笑いながら藤崎の二の腕のあたりをつっついた。 「滝野、キモイ」 「このこのっ!」 「うざい死ね本当に」 バシン、とつっついてきている手を叩き落とす。 2人からすればいつもの事だ。歳を重ねるにつれて力の強さが増した分、最近は受ける側の滝野も何故か体を鍛えている。 「あ、と言うか自己紹介してないよね?俺、滝野洋平(たきのようへい)です。久遠に何だかんだ絡むと思うから、義人くんも友達になってよ」 普通にしていれば滝野はそれなりに顔の整った、真面目そうな青年に見える。一度口を開くと次閉じるまでに時間がかかるが、別段誰かを嫌な気分にする訳でもない。 人当たりの良さそうな笑みに、義人も自己紹介を返す。間に挟まれた藤崎だけが居心地悪そうに歪めた表情で滝野を睨み続けていた。 「佐藤くんに絡まなくて良いし、佐藤くんもこいつと友達にならなくていいよ」 「え?」 「久遠ちゃんひどおーい!」 また滝野の顔面にノートが当たる。 「教科書、ありがと」 「うん」 ルーズリーフを片付けながら、義人が立ち上がる。2限目の授業はかぶっていない。また昼に食堂に集まる事になる。 「あ。お前さ、滝野くんの顔あんまり叩くなよ」 「ええ、、なんで?」 「普通に痛そう。鼻赤くなってたし。お前だってそのかっこいい顔叩かれたら嫌だろ?」 最後にリュックに筆箱を放り込むと、呆れたように義人はまだ座っている藤崎を見下ろす。 キョトンとしていた藤崎は、言われた言葉を理解するとニコリとした笑顔で義人を見返した。 「へえ〜〜」 「っ、なんだよ」 「俺ってそんなに顔いいんだ?」 「はあ!?」 「けっこうカッコいいって、言ってくれるよね?」 「顔だけな!性格最ッ悪だからな、お前!」 それだけ言うと、「じゃあ昼な!」と言い残して、先に教室を出て行く義人。勢いよく背負った黒いリュックが背中で一回バウンドするのが見えた。 「、、、」 「なーに。あの笑顔」 「起きてんなら言えよ」 「せっかく気ぃ遣ってあげたのにー」 授業の途中から寝かけていた滝野が突っ伏していた机から顔を上げる。どうやらこっそり義人と藤崎の会話を聞きつつ、枕にしていた自分の腕の間からこちらを見ていたらしい。 「何あの、へえ、って言う時のお前のニヤリ顔。だめじゃんか、あれは女をイチコロでものにするキラースマイルなんだから」 「何でダメなんだよ」 「一筋縄で義人くんとくっついたらつまんない からあんまやらないで」 「お前土に還れよキモいなあ」 「ひっど!!」 人の恋路になんて口の出し方をする奴だろう。 自分もさっさと机の上に出していた持ち物を鞄にしまうと、席を立って次の授業のある教室へと向かい始める藤崎。 「待てよ!待った待った久遠!俺まだ片付け終わってない!」 あまりに焦り過ぎたのか、滝野のペンケースがカコン、と一度床に落ちる。 チャックの開いたままのリュックを背負い、ペンケースを拾って走りながらやっと藤崎に追いついた。 「うるさいなお前」 「わーん!久遠ちゃーん!!」 大体、滝野が勝手に「義人くん」と呼んでいるのも、藤崎は気に食わない。

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