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第23話「崩壊」
「藤崎くんいる?」
「は、、、?」
来て早々に麻子はそう言った。
4限の始まりのチャイムが鳴り終わってから10分程経って、それまで連絡のなかった麻子から突然「正門着いた」と連絡が来た。
入山と共に自分達の教室で他のクラスメイト達と団欒していた義人は携帯を見るなり決心したように正門へ向かい、遠目で見つけた門の前にいる麻子に走り寄った。
その後、彼女の背後にいた何人かの女子も含めて、全員が「藤崎」目当てでここに来たのだと察し、まさかの事態に呆気に取られ、硬直してしまった。
「え、、なに?」
苦手な匂いがする。
「麻子の彼氏さんー?こんにちはー!」
「初めまして〜。何だ、かっこ良くないとか言ってたのにめっちゃイケメンじゃん」
戸惑う義人に麻子の背後から次々に声が飛んでくる。誰ひとりとして名前の分からない派手な女子大生の集団は、麻子が自分の大学で知り合った友人達のようだ。
「麻子、何これ。どうなってんの?」
話し合いに来てくれたのではなかったのか。
後頭部が熱くなるように感じた。彼女がどう言う事をしようとしているかは察しがつき、信じた自分が馬鹿だったのだとふつふつと怒りが湧き上がってくる。
「それは後でいいから。藤崎くんて今どこにいるの?」
義人の大学に行く、と言った昨日から、ずっと彼女はこんな事を企んでいた訳だ。
「後でいいとかじゃないだろ!」
流れ始めた不穏で険悪な雰囲気に、流石に周りの女の子達がどよめき始めた。「麻子、これ大丈夫なの?」「彼氏さんに許可取ったんだよね?」と口々に言うが、彼女はそれすら無視している。
昨日のしおらしい態度など消え去り、本来の強気で不機嫌な彼女がそこにいた。
「藤崎は普通に4限でいない。後ろの子達は何?何で連れて来たの?」
「私の友達を一緒に尋ねて来て何か悪いの?」
「人の迷惑とか考えろよ、、大体友達って、藤崎とは昨日初めて会ったんじゃん。それに今日は俺と話し合いに来たんじゃないの?」
無表情を貫く彼女に不気味さすら感じ始めていた。まるで私の不機嫌を直せとでも言いかねない態度に、こんな子だったろうかと義人は更に困惑している。
「佐藤くん!!」
「え!?」
そこへ、また厄介な声が響いた。今1番来てはいけない人間に呼ばれ、義人は勢いよく振り返った。
ミルクティベージュの髪が揺れている。教科書とルーズリーフ、ペンケースを右手に抱えながら、たまたまそこを通りかかったらしい藤崎は小走りにこちらに近づいて来ていた。彼の姿をその場の全員が認識した瞬間、麻子の周りから黄色い声が上がる。
「うわ、本物の藤崎久遠だ!」
「めっちゃイケメン、やば、どうしよう」
「えー!!本当に麻子の友達なの!?」
まずい、と思いつつ大声で来るなとも言えず、とりあえずこちらも藤崎の方へ駆け寄り麻子達から少し距離を取る。義人がやる事はまず、藤崎への被害を最小限にすることだ。
「ストップ藤崎!ストップ!」
「4限がさ、教授の奥さんが急に赤ちゃん産む!ってなって休講になったんだ。めでたいよな〜。佐藤くん見えたから、ついでに一緒に購買行かないかなと思って、、、どうしたの?」
義人の慌てた様子に気がつき、嬉しそうにしていた藤崎の顔色が少し曇る。
「あれ?麻子ちゃんもう来たんだ」
そして、義人の背後にいる麻子の存在に気がついてしまった。
「あのな、藤崎、」
義人は、藤崎への罪悪感に押しつぶされそうになっていた。
このままでは確実に巻き込んでしまう。自分はどうしてこう誰かに迷惑をかける事が得意なのだろうか。せっかく仲良くなれて来ている藤崎に、ここでもし友達を餌に女の子を呼ぶような奴だと思われたら確実に信用を失う。
そんなところまで想像して、1人、慌てている。
「これは、あの、麻子が、、、」
言い訳がましい。まるで自分のせいではないと言いたいようだが、考えてみれば自分に問題があった。友達に藤崎を会わせたいと彼女が言ったとき、義人はきちんと拒絶しなかった事を思い出したのだ。麻子が不機嫌になる事が恐ろしく、曖昧に答えて逃げた事を。
さまざまな事が一気に頭の中を駆け巡り、何を口に出したらいいのかが分からない。
どうしたら藤崎に勘違いされず、藤崎に迷惑を掛けず、この場を収める事ができるだろうか。そんな事ばかりを考え過ぎて、頭の中が散らかって行くばかりだ。
「藤崎、あの、と、とにかく逃げろ!!」
「え?」
「頼むから、購買は後で行くからここから逃げ、」
「藤崎くん、こんにちは。昨日ぶりだね」
「ッ!!」
上機嫌な麻子がスルリと隣に並んだ。ゾワ、と嫌な感覚が背筋を駆け巡る。
「おー。昨日ぶり。何してんの?」
「あのね、どうしても藤崎くんに会いたいって子達がいて」
貼り付けられた外面には綺麗に作られた笑顔が見える。麻子が話しかけた事を皮切りに、周りの女の子達もわらわらと藤崎の周りに集まってしまった。
「初めまして!麻子の大学の友達なんですー!藤崎くんに会えるって聞いて来ちゃいました!」
「こんにちは!はじめましてー!」
「すごい本物だ〜!里音ちゃんのブログいつも見てます〜!」
立ち込める香水の匂いに、黄色い声。藤崎は突然囲まれた事に困惑しつつ、すぐそこにいる義人を見下ろす。義人からすれば、それは不安げで、まるで義人に対して不信感を抱いたように見てとれた。
「佐藤くん、なに?これ」
「違う!!あの、これは、!」
とにかく藤崎を逃さないと。
義人が腕を伸ばし、藤崎の腕を掴む。流石に「やめてほしい」と言えば、この女の子達も引いてくれるだろうと彼女達に視線を移して口を開いた。
「ごめん!!悪いんだけど、藤崎は何も知らないし、こういうのやめ、」
「義人はこっち。余計なこと言わないでいいから!」
「うわっ!?」
ぐん、と強い力で今度は義人の腕が引かれ、パッと掴んでいた筈の藤崎の腕を離してしまった。
「佐藤くん!!」
「藤崎ごめん、すぐ戻るから!!ごめん!!」
有無を言わさず、ぐんぐんと引かれる腕。女子を相手に振り払う事もできない義人は無理矢理に藤崎から自分を離す麻子を見下ろし睨んだ。
「おい、いい加減にしろよ!」
何も言わず、こちらを見もせずに麻子は義人の腕を掴んだまま強引に歩いて行く。
正門から離れ9号館の手前にある8号館の入り口付近まで来ると、綺麗に整備されている芝生の上を通り過ぎ、建物の影に入ったところで、藤崎や女の子達の影が見えなくなった。
「麻子!!何で俺の友達を巻き込むんだよ!!迷惑だからやめさせろ!!」
そこで彼女が止まった。
「義人」
「何でこんな事すんの?!」
ああ、もう、絶対に嫌われた。
午前中、2人きりになったあのとき、藤崎はあんなにたくさん義人に勇気をくれた。だからこそ麻子から連絡が来たとき、何があっても自分ひとりで戦って解決しよう。自分の意思を突き通して、きっちり別れて終わらせよう。そう思っていた。
「何で、、もう訳わかんねえよ」
なのにどうして、自分はこんな事態しか招かないのだろうか。
掴まれていた腕を振り払い額に手を当てる義人を、麻子は冷め切った冷たい視線で見上げてくる。
「、、怖いよ」
迷惑そうな声だった。
「怖いじゃねえよ!俺の友達に迷惑かけんなよ!」
「義人の友達かもしれないけど、もう私の友達でもあるから」
「はあ!?」
昨日、たった一度会ったきりの、連絡先も知らない相手を彼女は友人だと言った。彼女自身が今している事がどんなに迷惑かも知らず、考えず、ただ義人に八つ当たりするかのように。
「何がしたいの?」
義人の中で、彼女といた懐かしく輝いていた日々が音を立てて崩れ去っていく。笑い合った日も、喧嘩した日も全て、良い思い出にできると思っていた彼は考えが甘かったようだ。麻子は凍てついた視線を保ったまま、困惑する義人を迷惑そうに眺めている。
「言いたい事言ってから別れたいの」
「え?」
ギシ、と胸が鳴る。緊迫した雰囲気に押され、ぐっと唾を飲み込んだ。彼女のこの気配が嫌いだ。機嫌が悪く、それを全部人のせいだと決めつけ、全てを義人に背負わせるようなこれが。
「だって、私がフられるのは意味わかんないんだもん。そっちから手を繋いでくれた事無いし、キスもあんまりしないよね。そっちこそなんなの?」
「は、、?」
腕組みをする彼女の、眉間の皺が深くなる。
(キスって、、そんなにするもの、、?)
義人には彼女が言った内容が理解できなかった。
「大体、5ヶ月経ってもセックスしないとか、それで大学生?笑える」
「な、、!」
「正直そこまで好きじゃなかった。でもキスとかセックスとかすれば変わるかなって思ってた私がバカだった」
畳み掛けるように次々と、聞いた事もないような文句や主張を麻子は語っていく。それは義人の常識では通用しない、彼女の中の常識だった。
「だから童貞相手って疲れるんだよね。はいそれだけ。さようなら。今までありがとう」
吐き捨てられるような台詞に、頭が追いついていくわけがなかった。昨日言った「一緒にいたい」は確実に今日これを言う為だけに作られた嘘で、義人ができる限り避けてきた彼女を傷つけるような言葉遣いをしないと言う誠意は、彼女からすれば甘ったれた考えだったようだ。
「、、なに、言ってんの」
大切にし合ってきた人だ。それでも義人の口から、彼女を傷つけるような言葉は出なかった。散々言いたい事を言った麻子は、ふん、と息をついて義人の隣を通り過ぎ、走って藤崎や女の子達のところへ戻って行く。追いかけて殴ればいい。散々罵倒して恥をかかせればいい。
けれど、
『俺からしてみれば、君はすごく魅力的な人間だよ』
その言葉を信じたくて、信じられなくて、ぐちゃぐちゃの頭を抱えたまま走り出す事もできず、拳ばかりを痛い程固く握りしめていた。
(やっぱり、、俺は、、友達も守れない、誰も大事にできない、誰かと付き合うのにも相応しくない、、)
麻子を理解できなかった。この5ヶ月の間、彼女の常識や感覚に寄り添う事も、寄り添おうと気遣う事もしなかった。人の考える「付き合う」がどう言う事かを、義人は考えようともしていなかった。甘く考えてばかりで麻子を傷つける事もできず、彼女の手を振り払って有無を言わさず藤崎を助けに行く事もできなかった。
その事実が、義人の喉を締め上げていく。
「ッ、、ど、どうしよう、、どうしよう、」
助けたい。でも、こんな状態の自分で行くのも恥ずかしくてできない。うるさい女の子達に囲まれるのも怖い。藤崎に嫌われるのも怖い。もう一度麻子と顔を合わせるのも怖い。
「どうしよう、、!!」
常識が、普通が、彼には分からない。
「ッッ、、」
俯いた瞬間、ボタ、と涙がコンクリートの上に落ちて広がり、丸いシミを作った。
どうして、こんな自分なのだろう。
荒くなった息が整わない。足りない酸素を求めているのに、肺は吸い込む事を拒絶している。
「はっ、、はあ、はっ、、はっ」
視界が滲むのは頭が怠くなってきているからだった。脚に力が入らずフラつくくせに、肩や腕はうまく脱力できない。
「はっ、、はっ、、」
何もかもが、苦しい。考えたくない程に、苦しい。
「佐藤くん!!」
「ッ、、えっ、」
麻子よりも強い力で掴まれた腕に、ビク、と体が震える。取り乱していた義人には靴音が聞こえなかったが、聴き慣れたその声に振り向くと、息を切らせた藤崎が5センチ上から見下ろしていた。
「ふ、藤崎、、」
その綺麗な顔を正面から見ている筈なのに、どうしてだかぐにゃり、ゆらりと藤崎の姿が歪んでしまう。
「あ、あはは、ごめんな。本当に、ごめんな?大丈夫だった?」
女子達を振り切って自分を見つけた藤崎の突然の登場に、義人は混乱したままの頭を誤魔化すように下手くそに笑い、脚に力を入れる。
「佐藤く、」
「ごめんな真面目に。ほんと、ごめん。あは、こんな筈じゃなかったんだけどな。ごめん、本当に、俺、分からなくて、ごめん」
あんなに大丈夫だよって言ってくれたのに、ごめん。
ズ、と鼻をすすり、溢れそうになる涙を誤魔化すようにそっぽを向いた。掴まれた腕が熱く、何もかもが申し訳なくて仕方ない。ギリギリと締められ続ける胸が痛んで、苦しくて、悲しくて、それが治らず消えない。何もできなかった恥ずかしい自分を、藤崎に見られるのも知られるのも死にたくなる程痛かった。
「、、、あの子達帰ったから。来て」
「え」
掴まれた手が引かれる。それはあくまで義人が怪我をしないよう、痛くないように気遣ってくれる強引さだった。
「な、なに?どこ行くんだよ!」
フラつきながらも藤崎に腕を引かれ、少し歩いたところにある9号館の入り口から中に入る。学生の姿がほとんどない地下に降りる階段を下り、降り切ったところのすぐ右手にある男子トイレのドアを教科書やペンケースを持ったままの右手で藤崎が押した。
「藤崎?、、ふ、藤崎それは、それはダメ、ちょ!!」
誰もいないトイレの中を進み、1番奥の洋式便器のある個室へ入ると、腕は離されずそのまま義人まで引き摺り込まれる。
「な、何してんのお前!!」
バタン、ガチャン、とドアを施錠されると逃げ場はなく、狭い個室に2人きり、向かい合って固まってしまった。
「あ、、あの、違うよなごめん、あの、迷惑かけて、ほんとにごめん」
少し冷静さが戻った義人は、藤崎の顔を真っ直ぐ見つめてそう言った。先程から何度も、何度も繰り返し同じ事を言っているのは本人も分かっている。けれどこれ以外に今、藤崎に言うべき言葉が見つからなかった。
「、、フラれたの?」
「っ、、え」
教科書、ペンケース、ルーズリーフがトイレの蓋の上に置かれる。正面に向き直した藤崎は、トン、と義人の顔の横両側、後ろのドアに手をつく。背後にあるドアに追い詰められ、両側に藤崎の腕があるせいで義人は身動きが取れなくなり、ただただ真っ直ぐ自分を見つめる藤崎を見返していた。
(フラれた、、)
あまりにも惨めだった。いつものように馬鹿にした顔で笑われるような話なのに、藤崎にそんな様子はない。
「、、笑わねえの?」
震える声は強がってそう言った。
情けなくてそれ以上藤崎を見つめる事もできず、義人は視線を逸らして床を見つめる。
いつもみたいにして欲しかった。
「あーあ、可哀想にフラれたんだ」とか言いながら、ニヤニヤ笑って側にいて、義人がその態度にムカついて蹴りを食らわせるまでの、いつものあの感じで。
「わ、、笑えばいいだろ」
そうでないと。そうしてくれないと、身体がむず痒くて、胸が痛くて、忘れようとしている無力さや藤崎への申し訳なさがまた浮かんできて、自分を苦しめるから。
「笑えって!!」
この静けさも、2人きりの空間も、何もかもが今は義人を追い詰めていっていた。
「笑わないよ」
藤崎の腕がドアから離れていく。ドアに触れていた義人の背中も同じように浮いて、気がついたときには藤崎の腕の中に、抗えない程強い力で抱きしめられていた。
「笑わないから、何考えてるのか、どうしたかったのか、全部俺に教えて」
こんなときに情けない程、低くて心地いいその声に、義人の心臓は激しく鼓動する。
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