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第24話「鼓動」

暖かい。 「藤崎、、?」 抱きしめられた事のない腕の強さに、身体はどこか安心したように力が抜けていく。自分よりも背の高い、身体の大きい人間にこうされるのは初めてだった。 「なに、してんの、、お前」 ぎゅう、と更に腕に力が込められた。 トイレの個室で何でまた男同士が抱き合っているのだろうか、と頭の片隅でぼんやりと考える。薬品のような芳香剤の匂いがいつもは嫌になるのに、今は藤崎の使っている柔軟剤の匂いに気を取られていた。 (ベッドと、同じ匂い) あの日、一緒に寝たベッドに潜り込んだときに感じた柔らかくてスッキリしたしつこさのない香りだった。苦しくて、焦って、追い詰められて、胸を大きく上下させて息をしている自分を、どうして藤崎が抱きしめているのだろうか。 「お、お前、なあ」 肩と、力の入っていた腕と脚が、カタカタと震えている。このまま力が抜け切ったらガクンとその場に崩れ落ちそうな程、頼りにならない状態だった。 「あの、、藤崎?」 何を言っても、返事が返って来ない。 それなのに何故か余計に、ぐつぐつと、ふつふつと、胸に込み上げてくる苦しさがあった。 「ふ、じさき、、おい、なあ、、」 藤崎も、誰も、責め立てるような言葉を義人にぶつけてきていない。けれど抱きしめられた腕の暖かさや洋服越しの藤崎の体温に、優しさに、確実に追い詰められていく。 「いいよ」 「え、、?」 「もう無理しないで、泣いていいから」 「お、まえ、、なに、」 義人は自分を惨めだと思った。 怒っていい筈の藤崎に優しくされ、抱きしめられ、安心させられている自分が心底情けない。フラれて落ち込み、藤崎を助けに行けなかった事を責められもしない。そんな事実が段々と義人を苦しめているのだ。 「泣くわけねえだろ、やめろって!!」 グッ、と藤崎の体を押し返すが一向に離れない。体格差も、力の差も嫌になる。 自分がもう少し、藤崎のようにできたら。器用で、優しくて、強くて、経験豊富で上手く立ち回れたら、きっと藤崎に迷惑をかける事もなく、麻子とこんな関係になってしまう事もなかった。そればかりが頭を巡っていく。 「誰も見てないよ、大丈夫だから」 「やめろ、離せ!誰か来るかもしれないだろ!!」 「ここ幽霊出るって有名だから誰も来ないよ」 「そんなわけ、」 「ねえ、たまにはさ。弱い部分も見せろよ。友達なんだから」 「、、え?」 耳元で聞こえた低い声に身体がビクン、と跳ねる。とん、と肩に藤崎が顔を埋めてきて、ゆっくり深呼吸をするのが分かった。 「もう少し頼ってよ、、俺じゃダメ?」 甘えたような声がする。 「だめ、とかじゃなくて、」 「じゃあ頼れよ。佐藤くんが何思ってたのか知りたい」 「、、、」 「俺、怒ってないよ。あの子達の事も、迷惑掛けられたとか思ってない」 彼自身がああ言った事に慣れ過ぎている事もある。藤崎からしてみればあのくらいの事はどうでもよく日常茶飯事に近く、いちいち気にしていられない。それよりも今の藤崎の中は義人が何をされたのか、何を言われたのかと言う疑問と、どうしてそれを自分に相談してくれないのかと言う疑問でいっぱいいっぱいになっている。 「っ、、、ば、馬鹿、アホ、!」 義人の目からパタパタと涙が溢れていく。怒っていない、と言う言葉にギリギリで保っていた気持ちが崩れて、申し訳なさと悔しさの方が大きくなってしまった。 「ぅ、、ん、、」 藤崎の背中に腕を回したのも、必死にしがみついて服にシワを作ったのも、全て無意識だった。 「ご、めん、、ごめん、、!」 友達なのに、何もできなかった事。 魅力的だと言ってくれたのに、結局自分はその言葉に似合う事はなく、言われっぱなしで終わった事。 無力感で溢れる自分の頭が悔しかった。人を傷つけるかもしれないと尻込みしては動けなくなる自分が情けなかった。その苦しさと、藤崎が自分を嫌いになっていない安心感で涙を止める事もできず、ただ声を抑えて泣いた。 「なんて言うか、こう、怖くて」 「?」 ぽつりぽつりと義人の口がやっと喋り始める。その頃にはもう抱きしめられている事にも慣れてしまい、どちらかと言えば藤崎の高めの体温がちょうど良くて少し眠くなっていた。泣き疲れた子供のようで恥ずかしくてそんな事は言えないが、程よくて心地良い。スン、と鼻をすすって、擦って少し腫れた目で天井を見つめる。 「麻子に、付き合って5ヶ月も経ったのにセックスしないのはおかしいって言われた。あんまりキスしないのも。でも、女子の体って、、うーんと、俺らと、違う、だろ?」 「うん」 呼吸している藤崎の背中のゆっくりとした動きに、義人も合わせるように落ち着いた呼吸を繰り返している。 話しているように、彼は「女の子」が怖くて怖くて触れた事が無かった。 「ヘタレなのは自覚あるんだけど、頑張ろうとした事もあったんだけど、でもやっぱり違う生き物みたいで触るのが怖くて。いつまで経ってもそんなんだから、なんか、俺の体に変なところあるのかなとか、失敗したらとか考えて、余計にできなくなってって、」 「うん」 顔が見えない藤崎は、それでも小さく、「うん」と耳元で相づちを打ちながら、背中を摩ってくれている。 「したいって思わないんだ。触りたいとも思わない。怖い、ばっかり、、好きって思うならできるものなのかな」 こんなに誰かと抱き合っていた事なんて、義人には経験がない。人と触れ合うのはこんなに心地良いのか、と藤崎の肩に顎を乗せ、ふぅ、と息をついた。 「俺、、変、かな?」 首を傾げ、すり、と肩口に頬を寄せる。 「普通、皆んなするもんなのかな?キスとか、セックスとか、、自分だけ違ったら、、嫌だなあ」 先程の麻子に言われた台詞は頭を駆け巡り、身体中を周り、ドつぼにはまったようにどんどんどんどん、嫌な方へと考えを進ませていた。 声はもう震えてはいない。 しかしまったく自信のなくなってしまった義人からはか細くて小さな声しか出なかった。 「俺だけなのかな。好きって感覚が分からないの」 わからない。 自分以外の心の中なんて覗けないし、友達にこんな事は聞いた試しがなかった。今日はやけに藤崎を困らせるような質問をしてしまっている気がした。 「、、?」 抱きしめられていた腕から、力が抜けていく。ゆっくりとした動きで、義人から藤崎の身体が少し離れた。 「あ、ご、ごめんな!!変な事言って!気持ち悪いよな、ほんと、ごめん」 また、ふわりと柔軟剤の匂いがする。 藤崎が短く息をつくのが分かる。呆れられたように思えた。途端に恥ずかしくなった義人は慌てて自分から藤崎と距離を取るが、後ろにはドアがあってこれ以上下がれない。 相手が藤崎だと言う事を忘れていた。経験豊富で義人を馬鹿にしていた人間である事を。 彼からしてみれば、セックスができない自分は呆れた相手かもしれない。腑抜けと思われても仕方がないが、今の義人にはそう思われる事も、それを口に出される事も耐えかねる。 「忘れて!!本当に!!」 何も言われたくなくて、予防線を引く為に焦って藤崎にそう言った。 「ぁ、」 ミルクティベージュの前髪が揺れて、深い茶色の目が覗く。呆れているものでも、馬鹿にしているのでもない目がこちらを見ていた。 あの目だった。 感情が読めない、読ませようとしない、ただ強い視線と、奥の見えない感覚が義人を襲う。 「藤崎?」 ドク、ドク、と耳の後ろで激しい脈音がしている。胸が騒がしくなって、飲み込んだ唾の音が2人の間に響いた。 「佐藤くん」 「ん?」 スル、と右手を持ち上げられる。そういえば、藤崎は左利きだな、と自分の手首を持っているその大きい左手に視線を落とした。 「触って」 「え?」 低い声にまた身体が、ビクリとした。 右手はそのまま持ち上げられ、藤崎の首まで持っていかれる。ちょん、と喉の中程より少し上にある出っ張った部分に力の入っていない指先が触れた。 「あるでしょ、のど仏」 「、、うん」 今度は伸ばされた藤崎の右手が義人の喉に触れてくる。 「んっ、」 ごきゅ、とそこが上下に動いた。 「ね、ほら。一緒だ」 ニコ、と優しい笑顔が見える。 「次、こっち」 「、、えッ!?ちょ、ま、待て!!」 喉から離れた手が、今度は藤崎の下半身に持っていかれる。そうしてそのまま、他のやつのなんて絶対に触らないと思っていたそこに、ぐ、と押し付けられた。 「な、な、何してんの!?」 「わかる?」 「え?」 「全部一緒だろ。俺とは」 「あ、、」 右手にある感触は、確かに同じものだった。自分にもあって、藤崎にも当然にあるそれ。パッと手が離され、義人も慌ててそこから手を離す。少し気恥ずかしいのに、藤崎は平然と義人の顔を覗き込んで来た。 「俺は佐藤くんと同じ。だから、怖がらなくていい。佐藤くんは変なところなんてないよ」 ふわりと笑う顔が柔らかくて優しくて、義人の胸がまた高鳴って行く。痛い程激しい鼓動を感じながら見惚れるように藤崎の目を見つめた。 「佐藤くんはまだきっと、本当に好きだって思える相手に出会えていないだけで、普通の人間なんだよ」 かつて、こんなに自分に寄り添って話してくれる人を持った事はなかった。 先程もそうだったが、藤崎の言葉のひとつひとつが何だかもどかしく、恥ずかしいくらいに素直に心に響いて行く。 トクン、トクンと音がしている。 その音は、胸の中にすっぽり空いた部分に響いて心地良く、愛しく思える音だった。 「俺もあるよ。麻子ちゃんの事を佐藤くんが理解できないようなこと。周りの人と違うこと。ヤバそうな女の子とかやり過ぎなくらい拒否っちゃうし、きつい事言い過ぎだって滝野によく怒られる。俺の場合は怖いじゃなくて腹が立つ、なんだけど」 困ったように笑う。 藤崎は、できる限り義人にわかって欲しかった。 人が人である限り、全員同じはあり得ない。藤崎自身も理解できない人間がいる事。自信がない時がある事、自分でも自分が分からないときがある事。 色んな不都合や不器用を詰め込まれていたとしても、それが義人であって、そんな義人を自分が今、好きでいるんだと言う事を。 「人間個性がある。理解し合えない部分がある。でも、それも含めて受け入れられて、愛せる存在とセックスすればいいんだ。変な事なんてない」 どんなに義人が自分が分からなくても、藤崎は義人を選んでそばに居続けているのだと、確かに分かって欲しかった。 「間違ってないよ、佐藤くん。好きじゃなかったんだと気がつけただろ。だったら進歩だ。次はちゃんと、好きな人と付き合えるよ」 「、、、うん」 ふわりと笑った整い切った綺麗な顔から目が背けられない。吸い込まれそうな濃い茶色の瞳に義人の姿がしっかりと写っている。 「色々ごめん。それから、ありがと、藤崎」 「っ、、うん」 嬉しそうに、最後にほんの少しだけ溢れた涙を服の袖で拭いながら、義人はやっと緊張が抜け切ったような、へなっとした力ない笑顔を見せた。

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