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第25話「言葉」

「藤崎」 午後19時30分、少し前。空は最後に晴れたようで、星がキラキラと瞬いている。 月曜日から飛ばし過ぎは良くないと入山がストップをかけ、飾りの配置と照明の向き強さなどは決定し終わり、後はプレゼンの仕方を話し合っていく事になると言うところで撤去作業をした。 5月に近づいた4月の終わり、薄手の上着を脱いでも過ごせる気温の中を動き回っていたせいか、全員が少し汗をかいている。 荷物をまとめ終わり、いつも通り教室を後にしたチームうな重は揃って大学の最寄り駅まで歩き出していた。 「ん? 「ありがとうな、今日」 少し驚いたような表情をした藤崎が、隣に並んだ義人を何も言わずにじっと見つめる。 女子達とは距離があり聞こえる心配はあまりなかったが、少し恥ずかしい義人はやはり小声で今日あった様々なことについての感謝を、もう一度だけ藤崎に伝えた。 「、、、」 「な、何だよ」 2人より先を歩いている女子達は、何故か遠藤が奇声を発しながら入山に飛びかかろうとしており、それを片岡と西野が止めている。遠藤は背が高く、170センチ近い身体で西野に背後から腕を回され羽交い締めにされつつも暴れ続けていた。 コンクリートの道をガチガチと靴音を立てながら全員が早歩きで歩く。 隣の藤崎が何も言わない事を不審に思い、眉根を寄せながら義人は彼を見上げた。 「ふふ。どういたしまして」 「ん?、ってバカたれ!触んな!!」 次の瞬間、優しく嬉しそうに笑った藤崎が、義人の頭をぐしゃぐしゃに撫でる。義人はそれが恥ずかしくて抵抗したが、「いいからいいから〜」と言いながら藤崎は蹴られるまで義人にしつこく纏わりついた。 「兄ちゃんおかえり」 「んー、ただいまー」 義人の実家は大学の最寄駅から片道1時間程かかる場所にある。玄関のドアを閉め鍵を掛けていると、後ろから弟の昭一郎が義人に声をかけた。 「最近おせーな」 午後20時48分。風呂から上がり髪を乾かす前にアイスを食べ始めている弟のくぐもるような声に、疲れ果てて眠そうな義人は大きな欠伸を1つしてから振り返った。 「んー?あー、けっこう課題が大変でね」 脱いだ靴をそのままに廊下をズンズンと進む。弟の横をすり抜けていくと、何故か後ろからついて来た。一緒に使っているシャンプーの香りがする。 (藤崎ってどのシャンプー使ってんだろ) 抱きしめられたとき、柔軟剤の他に少し甘くて良い匂いがしていたな、と何となしに思い出した。 「なー!あのゲーム貸して!」 「あのゲーム?」 今日起こった全ての事に対して疲れを感じている義人はダルそうに聞き返した。 眠くて仕方がないが、腹も減って仕方がない。寝ながら食べたいとすら思える。 リビングのドアを開けて中に入ると父親の姿はなく、母親がキッチンで食器を片付けながら「おかえりー」と上機嫌に義人に言った。 「ただいまー」 「兄ちゃんが高校のときやってた、古いヤツ」 「あー、、あ。ランプ集めるやつ?どこやったっけなあ」 40分程度で食事を済ませ、さっさと食器をシンクに入れる。風呂の準備をしようと部屋へ向かうと、ゲームゲームと騒ぎながら弟がやはり付いてきた。そのまま部屋に入れると、お前も探せと言ってまずは風呂の準備を済ませる。 「兄ちゃん最近さー」 「んー?」 絶対にないだろうベッドの下をしきりに弟に捜索され、持っていないエロ本でも見つけようとしているのだろうかと呆れながらテキトーな相槌を打った。 「麻子さんと会ってんの?全然見ないってお母さん心配してるけど」 高校3年生の弟が受験勉強の合間にやりたいのだろうゲームを2人で探しながら、突然始まった話題にまだズキンと胸が痛んだ。 『好きじゃなかったんだと気がつけただろ。だったら進歩だ。次はちゃんと、好きな人と付き合えるよ』 「、、、」 義人は藤崎に言われた言葉を思い出して、確かにその通りかもしれない、と一旦手を止める。 「別れたよ」 フラれた事実とそのとき麻子に言われたことは胸に残っていて、まだまだ、思い出す度に義人を傷つける。けれどそれと同時に思い出される藤崎の言葉は暖かく穏やかで、言わせたい奴には言わせておけば良いか、と何度でも思わせてくれる。言われる前より幾分も、胸は軽くなっていた。 「え!?」 ガン!!と一度底に頭をぶつけてから、ベッドの下から這い出た昭一郎はクローゼットを捜索していた義人の方をバッと振り返る。 「いつ!?」 「今日」 「うーわ、あんな可愛かったのに」 「昭一郎」 妙にキリッとした顔を作った義人はゆっくりと昭一郎へ向き直る。やたらとスローモーションで座り込むと正座をし、四つん這いになったままの昭一郎を見下ろした。 「人間な、別れるときは別れるんだよ」 「え、、あ、はい」 途端にうわーと言いながら、「もういい。勉強する」と部屋を出て行く弟。 (あ、何か悪いこと言ったかな) 義人と比べても昭一郎はドが付く程真面目な弟だった。高校2年生の時から付き合っている彼女がいた筈だが、最近その子も見ていない。もしかしたらこの受験期を乗り越える2人の関係性が、今、微妙なところだったのかもしれないと考えた。 「まあ、いっか」 見回した部屋。何回か麻子を入れた事があったな、と小さく考えてため息が出た。 「、、、」 好きでは、なかったんだろう。 藤崎に影響されているだけかもしれない。それに、自分に都合のいい台詞を当てはめようとしているだけかもしれない。その場に座り込んだまま、次には何もかも面倒になってゴロンと床に寝転がった。 (初めて手を繋いだ時、どうだったっけ) 床は冷たく、ヒンヤリとして少し寒い。 (あー、、びっくりしたんだ。せっかく繋いでくれたのに) ベッドの下を眺めながら、体から力を抜いていく。足の指、ふくらはぎ、膝、太もも、腰。 (初めてキスをした時、どうだったっけ) 上半身の力も抜け切ると、意識して首と肩、顎を脱力させた。 (、、何にも感じなかったなあ) 唇に柔らかいものがあたったとき、何かあたったな、と言うくらいにしか感想がなかった事を思い出す。初めてしたディープキスも、ただ相手の口の中の感触がもろに伝わってくるだけで、正直、気持ち悪いとさえ思った。 (本当はどう感じるものなんだろう) 段々と、床に触れている部分の肌が冷たくなっていく。 義人は、「普通」にしようとしていた。 恋愛を、キスを、したいと欲求が働いた訳ではなくて、しないといけない気がする、だからキスをしよう。その程度のことだった。 考えてみれば、随分酷く、相手に対して失礼な事をしていた。何も考えずに付き合ってしまったのは自分だ。その事に関しては、申し訳ないと思える。 「、、、」 『人間個性がある。理解し合えない部分がある。でも、それも含めて受け入れられて、愛せる存在とセックスすればいいんだ。変な事なんてない』 その感じた事が無い程美しい言葉達は、まるで魔法のように静かに義人の胸に溶けていき、胸の中心にあった黒い靄のような重い固まりを吹き飛ばして行く。 『間違ってないよ、佐藤くん。好きじゃなかったんだと気がつけただろ。だったら進歩だ。次はちゃんと、好きな人と付き合えるよ』 藤崎はただただ大人で、そして格好良かった。 義人が不安で動けずにいる事も全部包み込んで、大丈夫だと言ってくれる。 普通だと笑いかけてくれる。 思い出す言葉のひとつひとつが全て、彼の人間性を含んでいると思えた。 (お前みたいな人と結婚できたら、きっと相手は幸せなんだろうな) いつか話したときのように、過去に藤崎と付き合っていた女の子達へ何かを感じるよりも先にきっと、藤崎自身と一緒にいる幸せや喜び、彼といる平凡な毎日のどれもこれもが眩しく輝いて、その人の心を満たすのだろう。 「そういえば、アイツ、好きな人いるんだった」 今までに無いくらいに好きになって、どうにも対処できないで、相談もできないと言っていた。 あんなにできた人間が惚れる相手とはどんな人物だろうか。 眠くなってきているぼやけた頭の中で、義人は藤崎の顔を思い浮かべる。 「、、、ん、」 まどろむ中でふわりと笑う藤崎の、あの濃い茶色の目が美しかった。 段々と、義人の目が抵抗もなく閉じて行く。 「いいなあ、」 隣でそんなふうに笑ってくれる人がいたら、一体どんな気分だろう。 「、、、」 隣で藤崎が手を引いてくれたら、一体どれ程、幸せなのだろう。 「いいなあ、、藤崎と付き合える、、女の子」

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