26 / 46

第26話「欲望」

「珍しいねー」 9号館から出て右へ折れ、11号館B棟に突き当たってまた右に折れるとそこは、ほぼ森の中にある1〜4号館周辺の木を減らす際に移植された木々が生い茂り、造建の先代学生達が悪ふざけで買い込んで様々なものを植え付けた通称「オアシス」と呼ばれる、珍しい植物が多めの小さな公園のような広場がある。 「珍しいよなー」 「、、、」 「めずら、」 「うるさいんですよ滝野さん本当に沈めるぞ」 「ひっど!!」 藤崎が指さした先にあるのは小さな池。大学内にあるこのオアシスは生い茂った木々の他に、鯉の住んでいるこの池と無許可で置かれた卒業制作の誰かの胸像、祠、たくさんの木のベンチが投棄されている。 一緒に講義をサボる事を決めた幼馴染み2人組は、普段からあまり人気のないオアシスのベンチに陣取り、購買で買ってきたポテトチップスの袋をパーティー開けしてベンチの上に広げて食べている。 「で。何が珍しいって?」 「んー?お前が気になる子相手に手を出さない事がさー?」 もしゃ、と滝野が2枚一気に口に頬張る。 「弥生ちゃんは別としてさ。あの子はほら、お前完全にもてあましてただけだから。その前とか、その前の前とか。気になったらすぐ告白して付き合って、好きになって。そしたらお前、すぐがっつくじゃん?」 藤崎の今までの恋愛遍歴は全て滝野にバレている。 藤崎が話しているのではなく、勝手に携帯を見る里音か勝手に里音からその情報を聞き出した光緒からの報告で知っているに過ぎないのだが。 「ヤリまくり侍はどこへやら?」 「なんなんそのキモいあだ名」 ニヤニヤと笑う滝野の口元に食べかすがついている事は黙っておいた。 滝野は藤崎と違い、自分が惚れ込んだこの子!という相手としか付き合わない。友達の延長や断りきれなかったからと言う理由で妥協で交際する等と言うのは相手にも失礼だから、と断固として拒否する男だった。 加えて付き合ったらとにかくセックス、と言うタチでもない。健全なお付き合いから段々と大人の階段を登る慎重派だ。 その滝野からすれば、とにかくすぐがっつく藤崎は「ヤリまくり侍」に見えているらしい。 「里音がいっつも、お前は自分とおんなじで性欲強いから、絶対女の子が苦労してるって言ってたし」 「お前らりいと普段からそんな会話してんの?もう少し抑えてくれてると思ってたんだけど」 「お前の双子が止まると思うなよ」 パリ、ポリ、とお互いにポテトチップスを頬張っていると、バサバサと音がして近くに鳩が降り立った。クイ、と首を傾げてくる。 「で。どうすんのよ、義人くんは」 滝野の視線は鳩へ向いている。 「あ?」 「お前もちろん突っ込む方だろ?」 「何で皆んなそこ気にするの?」 「いやーー、、光緒が急にお尻に目覚めちゃった、とか言っても全然さ、あーそう、で?って感じじゃん?」 「まあ、節操ないしなあ、昔から」 「お前はそうではない存在なんだよ。心配してるとかじゃないし、男とするのも別に引かないんだけど、ただお前がお尻の処女失いましたってなるとな、うん。俺としてはな、うん。それだけは引く」 滝野はポテトチップスのかけらをパラパラと鳩に分けてやる。忙しく地面をつつく音がし始める。 「そりゃあ突っ込みたいよ」 素直にそう言った。藤崎は池の鯉がボホボホと何かに群がって水面で口を開いているのをぼーっと見つめる。 「義人くん可愛いからな」 「うん、めっちゃ可愛い」 「で、やっと彼女さんと別れたんだろ?どうすんの」 「んー、、、」 「んー??」 藤崎の顔を滝野が下から覗き込む。整い切ったその顔の眉間に小さく皺が寄っていた。 「告白は?」 「うーん、、この間やっと少し俺の事気にし始めたかなー?って感じだしなあ」 麻子がこの大学に乗り込んできたあの日。2人きりになったトイレの個室で抱きしめた身体は震えていて、強がる義人の目には今にもこぼれ落ちそうな程の涙が溜まっていた。 泣いた姿さえ可愛くて仕方なくて、でもそんな事を考えている不謹慎な自分を押し殺して必死に伝えた。そのままの君が好きだと言う事。その言葉にほんの少し警戒と緊張を解いて、義人は藤崎の目を見返して優しく無垢に笑いかけてくれた。 「確実に、ちょっとずつは俺の事好きになってくれてるとは思うんだけど」 「ええー。もっと苦しめよ」 「うっせえなホント」 バシ、と頭を叩くと滝野が口に入れようとしていたポテトチップスが手から溢れ、ベンチの足元に落っこちていった。すかさず鳩が食い付いてくる。 「食われた、、俺のポテチ、、」 呆然とする滝野をよそに、藤崎は構わず話を続けた。 「付き合えるかな」 「んあ?」 ベンチの上に足を上げてあぐらをかき、同じようにして座っている滝野と向かい合う。膝の上に頬杖をつきながら、藤崎はいつもとは違う不安げな表情でそう言った。 「もし両想いになったとしても、付き合えなさそうなんだよなあ」 「えー、、何で?」 2人とも、視線はベンチの下の鳩を追っている。 「好きって事もよく分からないし、キスもセックスもしたいと思わないらしいんだわ」 「あー、何か難しそうだな」 羽音もせず、鳩は1羽増えて2羽になった。 奪い合うでも分け合うでもなく、2羽は黙々とポテトチップスをつつく。 「、、俺さー。お前知らないと思うけど、友達に1人いるんだよ」 「は?」 ちら、と話し始めた滝野を見た。 「こう、男が好きな男?」 「ゲイって言えば?」 「じゃあゲイな。正直、お前と似てるなーって前々から思ってたヤツでさ。だからお前が男が好きって言っても、まあ、うん、と受け入れられたんだが」 「んー。いたんだ友達」 そこまで言うと、滝野がこちらに視線を向ける。 「え、そこ?いや、そいつもだったらしいんだけど。女子とのセックス怖かったんだと、ずっと。でもいざ自分がゲイだと自覚して、男と付き合う、男とするって考えたら別に怖いとか無くて。あ、そいつお前と同じで突っ込む方ね。だから、上だろうが下だろうが、女子と付き合う事に違和感感じる人はいるんじゃね?」 「何が言いたい?」 少し怪訝そうな顔をすれば、滝野はニッと大人びた笑い方で言う。 「もしかしたら。義人くん、ほんとは気がついてないだけで、初めからゲイなんじゃねえの?」 「、、いやー、それはないだろ。真面目で考え過ぎなだけだろきっと」 「え?!ないかな!?結構そうじゃねえかとか思ってたんだけど!」 「んー、あったとしてな?」 あぐらをかいたままふんぞり返り、両手でベンチの縁を掴む。木漏れ日が顔に当たり、一瞬眩しそうに表情を歪めた藤崎は、晴れ渡った春の空を見上げた。 驚く程、ゆっくりとサボりの時間は流れて行く。 「多分佐藤くんはすごく怖がるんだよ。男と付き合うっていうのも」 何に対しても神経質なくらい真面目で怖がりな義人が、例えば自分を好きになったとして、その事実を受け入れて自分と付き合ってくれる確率はとても低いと思っている。 だからこそ慎重に、追い詰めないように、ゆっくりゆっくり懐柔して行っているのだ。 「真面目な上に純情で。自分の事あれだけ追いつめる人だから、男の俺とって、親の事とか世間体とか考え始めて、多分ダウンする」 「お前が自信ないとか、珍しいな」 「自信はある」 「出たよこの野郎。結局自分の顔の良さは理解してんのかよ」 「自分に自信が無いんじゃなくて、俺のことを好きになってくれても、彼が苦しむって話し」 「あー、なるほどね。どうすんのよ、マジで」 滝野の真剣な顔。こうして見ると、彼は随分端正な顔立ちをしている。 「だからこうしてな。ゆっくり受け入れてもらおうとしてんのよ。少しずつ好感度稼いで、君は変じゃないしおかしくないから、自信を持って俺と付き合ってって」 「あー、ね。確かに向こうの意識変えないと、このままだと義人くんがお前のこと好きになっても両片想いで終わるもんな」 遠くでまた、鯉がばちゃばちゃと騒ぐのが聞こえてきた。 「って言うのもあるけど、好きすぎて、フラれたら真面目に俺が死にそうだから、確実に俺の事好きになってもらって、俺なしだと生きられないようにしときたい」 「、、、、、、、、、、、、、」 残りのポテトチップスを掴み、無言でバリバリもぐもぐと滝野のは視線を鳩に合わせたまま食べる。袋の上に残った細かいチップスのかけらは全て鳩に撒いてやってしまった。 「、、、」 「おい」 「、、、」 「滝野」 「え?あ、ごめん。現実味がなさすぎてびっくりしちゃって」 「どういう意味だ根暗」 「根暗違うから!!いや、だって!!お前がそんなこと言うとか!!うわ、うわ!!気持ち悪い!!!」 藤崎久遠は人に依存などしない。 こと恋愛においては来るもの拒まず去るもの追わずをモットーに、今までこんなにも慎重に臆病にアプローチをしていく事はなかった。 「人の心に石をぶつけるな」 「ごめん。きもい」 「言い方変えても意味一緒だろうが」 バシ、とまた滝野の頭が強打される。 「お前なしじゃ生きられないとか地獄じゃん、、」 「あっはっはっはっ、どう言う意味?」 「顔が怖いからこっち来ないで」 「どう言う意味?」 「ごめんなさい、ごめんなさい!」 笑いながら滝野は藤崎の肩を叩くと、2人が座っている間に置いていた何も乗っていないポテトチップスの袋を取り綺麗に畳み始める。 「、、、」 その几帳面な畳み方を眺めながら、藤崎はまた膝の上に頬杖をついた。 (、、、付き合ってくれないかなあ) ぼんやりと昨日を思い出す。 あのとき、義人が自分の背中に腕を回してくれた瞬間、正直、理性がはち切れそうだった。 きっと他の女の子なら、あそこで襲われても喜ぶだろう。藤崎久遠に抱かれるなら何処だっていいと思う子は少なくない。めちゃくちゃにキスされたって、忘れられない良い思い出になる。 けれど藤崎が分かっているのは、義人がそんな人間ではないと言う事だった。 (でも、傷つけたくはないし、あんな風に泣かせたくない) 喉から手が出る程、佐藤義人が欲しい。 この課題を一緒にこなして行く内に知った、何事も丁寧に取り組む姿や人を気遣い過ぎる優しさ。あの日あのとき、自分に手を差し伸べてくれた彼が天使や女神にも見えたが、同時に放っておけない程に人間なのだと知った。 ゆっくり義人を知って行くと、あの日の彼がどれだけ自分に勇気を出して話しかけ、道具を貸してくれたのかが良く分かる。あのときは義人の方が、放っておけないと思ってくれたのだ。 (好きだなあ、、何でか知らないけど) 何処が好き?と聞かれると分からない。 色の白さも、恥ずかしそうに悪態ついてくるところも、誰かに笑いかける顔も、細い腰も綺麗な手も、全部が好きで選べない。 強烈に惹かれている。義人の何もかもに。 「久遠」 遠くでチャイムの鳴る音がした。 「決めろよ〜!」 ニコ、と笑う滝野は立ち上がり、パンパンとズボンの尻を叩く。鳩は飛び立っていった。 「うん」

ともだちにシェアしよう!