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第29話「衝動」
細められる目が色っぽくて、低い声は官能的で、まるで何かを誘われているように錯覚する。
事実相手は、男としてはこの上ないぐらいに魅力的だった。
義人の心臓はどうにもこの男に弱く、壊れそうなくらいに痛々しい鼓動を繰り返している。
「藤崎、あの、離れろ、頼むから、!」
「どう思った?」
「藤崎、頼む離して、」
胸が苦しい。
藤崎の左手は、いつの間にか義人の右の二の腕を強く掴んでいる。これ以上距離を取る事ができない。
「藤崎ッ、、」
その目に自分が写っている。
他の誰でもない、義人自身だ。
それはやたらと美しい光景のように思え、よく分からない期待を含んだ頭が混乱して来ていた。
「ぁ、あの、」
(キス、しそう)
力の入っていない手は、それでもグッと藤崎の胸を押し返す。
(したくない、何考えてんだ俺)
初めて感じた感覚だった。
頭の中が支配されていくようで、やはり上手く思考が回らない。
(ダメだ、ダメ、ダメ、ダメだって!!)
視線を外したいのに外せない。
目を閉じればいいのに閉じれない。
殴ってでも距離を取ればいいのに、それができない。
(ダメ、)
考えられるのは藤崎の事だけだった。
また抱きしめられたいとか、名前を呼んでほしいとか。
あの唇に、1回だけでいいから触れてみたいだとか。
「俺、、は」
(考えたくない、、)
見ないで欲しい。
知らないで欲しい。
こんな醜い感情が、自分の中で湧き上がって止まらないでいる事を。
「答えて」
言い聞かせるみたいに呟かれた言葉が、耳から入って脳を麻痺させる。しびれるくらいに甘い声が感覚を浸食し、身動きを取らせない。
「あ、の、、」
「なに?」
「ご、ごめ、、俺、」
「謝らないで、教えて」
右手がゆっくりと、義人の頬を撫でていった。
切なそうに細められた視線は何を求めているのだろう。義人の唇は震えながら、藤崎が待っている答えを溢そうとする。
「お前が、こ、、こと、」
断った時、すごく、嬉しかった。
「ハーイ!!そこのお2人何してるのかなー!?」
「うわあッ!?」
首をねじって、顔を横に向ける。同時に義人は藤崎を突き飛ばしていた。
「いってー、、あー、残念」
藤崎が、小声で何か言ったような気がした。
突き飛ばし方の勢いが良すぎたらしく、壁に頭をぶつけ、右のこめかみの上あたりを摩っている。
「ホモホモしてんじゃない!!いつになったら購買くるかと思ったら、何してんの!!不健全!」
「え?は?はあッ!?」
そこでよくやく義人は我に返り、先程まで何をしていたのか、何を言おうとしていたのかが一瞬で頭を駆け巡っていった。
また別の意味で顔が熱くなってくる。
「違う違う違う!!ホモ言うな!違うから!!」
暗い廊下に響く声。義人は無理矢理身体を起こして立ち上がり、入山と向かい合う。
「それのどこがホモじゃないわけ!!」
「いや、だから違うんだって!!」
「ちょっと入山さーん。俺と佐藤くんのラブラブタイム邪魔しないでくれなーい?」
同じように立ち上がった藤崎が数回尻を叩くと、パラパラと小石が床に落ちた。いつも通りのふざけた笑みを入山に向け、大きく伸びをして見せる。
「はいそこ黙るー。イケメンはどっか行ってくださーい」
「ひっどーい」
ツカツカと近づいて来た入山は、ガッと義人の腕を掴み、くるっと向きを変えた自分の前に腕を引いて押し出す。今度は背中に両手を当てて、ドンッと突き飛ばしてきた。
「ほらほらほら!佐藤くん行くよ!っつうかお前走れ!なに藤崎に迫られてんの!走って行ってこい!みんなに謝れ!!」
「は、え!?俺だけ!?」
「西野が10秒で来いって」
「西野は人が変わったのか!?」
「速く走れ!!」
「マジで言ってんの!?」
入山が蹴りの体勢に入った事を悟った義人は、「行く行く行く!!行きます!!」と慌ててその場から走り出す。バタバタと階段を降りてから、吹き抜けの下から走り続ける音が響いて来た。
「あらら。マジで走ってるよ」
吹き抜けから下を覗き込みつつニコニコしながらそう言うと、藤崎は正反対の表情をした入山へ視線を戻した。
「で、なに?」
義人と話すときとは違う、低く冷たい声だった。
「あんたこそどう言うつもり?」
強い視線は明らかな怒りが込められている。
「何が?」
藤崎は吹き抜けの壁へ背中を預けて腕を組んだ。入山はこちらを睨み、眉根に皺を寄せている。初めて見る彼女の敵意がそこにあった。
「何がじゃない。何してんの、アンタ」
はあ、と重たく苛ついたため息を溢す。
「女じゃ飽き足らずに佐藤くんに手ぇ出そうっての?顔がいいといいよね、遊び放題で」
「、、、」
「佐藤くんが最近元気ないのは、アンタのせい?」
いつもよりも低い声。ここまで真剣に話す彼女を、初めて見た気がした。真剣というよりは、冷静、冷淡と言うべきか。
「それは彼女さんと別れたせいだろ」
「別れさせたのはアンタなの?」
「、、多分違う」
「多分て何よ」
「佐藤くんがフったんじゃなく、彼女からフったから、俺のせいじゃない」
「あ、そう」
「、、どしたの?」
男同士がこそこそしていて、ここまで察しよく気がつく人間も珍しい。
入山は、藤崎が義人に何をしようとしていたのかをあの一瞬で察したようだった。
「あのさ。藤崎くんが遊びや一時の相手で佐藤くんに手を出しても、佐藤くんがもし藤崎くんを好きになったら、それは遊びじゃないんだよ。佐藤くんは遊びとかできない人なんだよ?」
敵意は緩まない。
「わかってる」
「わかってるじゃない。だったら試すようなことしないで。藤崎くんは佐藤くんと遊びで付き合って、その後すぐに女の子とまた付き合えるかもしれないけど、そうじゃない人だっているの。佐藤くんはそうなれないかもしれないんだよ」
彼女が言わんとしている事は分かっている。自分が義人も巻き込んで大きな賭けに出ている事も、それが遊びや冗談や若気の至りでは済まされないという事も。
腕組みを解き、グッ、と藤崎が力一杯に拳を握る。触れた義人の体温を思い出しながら、静かに口を開いた。
「入山さん」
「?」
真剣な顔だった。
「本気ならいいだろ」
「え、?」
「遊びじゃなくて本気なら、俺が佐藤くんを好きになっても、許されるだろ」
彼なりの覚悟は、あの日義人が自分に笑いかけ、手を差し伸べてくれたその時からもう決めている。
走ったせいじゃないこの心臓のうるささに、義人は表情を歪ませる。
「ッ、、、!!」
キスがしたい。
そんな事を彼は初めて思った。そんな欲求を初めて感じた。抑えきれない激しい感情に駆られた事が、今は怖くて仕方がない。
耳の裏まで、心臓みたいにドクドクとうるさかった。
「は、、っ、」
走り続けると、やっと5号館が見えてくる。
「、、はあっ、、」
藤崎を見ているのが辛い。それでも見たい。近くにいたい。あの目に支配されたい。藤崎に触りたい。
自分が考え、感じた様々な事。彼にはこれが何かが分からないでいた。
どう言う名前のついた感情なのかを、知らないでいた。
「俺、」
立ち止まり、肩で息をする。背中を折り、膝を掴んでいる手は汗ばんでいて、脚は少し震えていた。
「俺、どうなってんの、、?」
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